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短編小説『未来の自分』③自分殺人事件


 僕が今夜、誰かに殺される?

 彼女が言ったその言葉の意味を、僕は上手く呑み込むことができなかった。

 周囲に響き渡る蝉の鳴き声が、徐々に遠のいていくような感覚があった。

「急にこんなこと言われて、とてもショックだと思う」と女性は言った。「でも、安心して。その事件を阻止するために、私はここにいるから」

「鈴江君が殺されるって、、、そんなの、悪い冗談にもほどがあります」
「あなたに信じてもらっても、もらわなくても、どちらでも構わない」と女性は言った。「私にとって重要なのは、犯人を捕まえて、鈴江君を守ることなの」

 僕はやっとの思いで訊いた。「あの、証拠はあるんですか? 僕が今夜、何者かに殺されるという証拠は」
「うん、それ聞きたい。第一、あなたが本当に未来人かどうかも怪しい」

「証拠ならあるわ」と女性は言って、腰のポーチから折り畳まれた一枚の白い紙を取り出した。
それから彼女はそれを広げて、僕に渡してくれた。

 紙は、新聞の記事の一部を印刷したものだった。
僕はそれを仔細に読み始め、野上先輩も横から覗いた。
その記事には、こう書かれていた。


『昨夜の7月28日午後8時40分頃、臼杵市内の県立高校に通う鈴江稔さん(15)が、同市内の公園にて遺体となって発見された。
鈴江さんは発見時、刃物で背中を複数回刺された痕跡があり、公園内のベンチの前に倒れているところを、近くの通行人が発見し、通報に至った。
現在、警察は殺人事件として捜査を進めている。
犯人の身元は判っておらず、動機も不明。犯行時の目撃者は見つかっていない。
警察は地元の住民に情報提供を呼びかけ、犯人の行方を追っている』

 記事内には白黒で僕の顔写真が掲載されており、一番上には『九州新聞 2021年(令和3年)7月29日(木曜日)』と記載されていた。


「事件発生から翌日の夕刊よ。つまり、本来なら明日の夜に出されることになる」
「嘘、、、こんなことって、、、」と先輩が呟いた。

「私のいた2055年は、事件から34年の月日が経っているから、現物は無いわ。だからこれは、図書館のコンピューター上のデータベースから印刷した記事になる」と女性は言った。「でも、これで分かってもらえたかしら? 私が未来からやってきたということと、私の言った話が本当だということが」

「こんな物を出されたら、信じるしかないでしょうね」と僕は苦笑して言った。「残念だけど、こんなのは客観的証拠に他ありませんから」

 パルソニック社製の謎の飛行物体、非合法の拳銃の所持、明日の日付が表記された新聞のコピー。
これらの事実を綜合すれば、もはや彼女が未来からやってきたということに疑問の余地は無い。
僕が殺人事件の被害者になるということも。

「鈴江君、、、」と先輩は僕を見つめて言った。
「信じてくれるのね」と女性は言った。
僕は黙って頷いた。

「犯人は、34年経っても判ってないんですか」と僕は訊いた。
「判ってない」と女性は頷いた。「34年後の世界でも、犯人の年齢や性別、身体的特徴は何一つ判明していない。犯行の動機もね」
「未解決の事件か、、、」
「その通りよ。凄惨な未解決の事件。だからこそ解決しなければならない」

「酷い、、、」と先輩が呟いた。「こんなのあんまりよ、どうして鈴江君が、、、。それに背中を複数回って、誰がこんな酷いことを。私、、、私、絶対に許せない」
「先輩、僕のために、ありがとうございます」
「当たり前じゃない」と先輩は言った。「君は、私の大切で、かわいい後輩なの。同じ部活の仲間がこんな目に遭うなんて、怒らない方がどうかしてる」

 僕は野上先輩の言葉に一瞬涙が出そうになったけど、なんとか堪えて我慢した。

「大丈夫よ。私が絶対に守るから。絶対に君を殺させたりはしない」
僕は頷いた。「だけど、どうして未来からわざわざ僕を助けに?」
「仕事なの。詳しいことは教えられないけど、これは少なくとも私の個人的な感情で働く行動ではないし、そんなもので務まるようなことでもない」
「、、、なるほど」

「ああ、それとまだ名前を言ってなかったわね」と女性は言った。「私の名前、原田というの」

 原田さんか。下の名前はなんていうのだろう。
いや、それはこの際どうでもいいことだ。

「それで、あなた自身は何か心当たりはない?」と原田さんは訊いた。「自分を恨んでいて、犯人となってもおかしくないような人物なんか」
僕は少し考えてから、かぶりを振った。「いえ、見当もつきません」

 僕は個人的に誰かに恨みを買われるような身に覚えは、何一つなかった。
特に、背中を複数回も刺されるほど強い恨みを持たれる覚えなんて、尚更だ。
だとすれば、衝動的な犯行による無差別殺人ということだろうか。

「私から見ても、鈴江君は誰かに恨みを持たれるようなタイプではないと思う」と先輩は言った。「部活中に誰かと衝突したところなんかは一度も見たことないし、鈴江君、冷静で温厚だから、普段から喧嘩するようなことだってないだろうし」
「ええ、高校に入ってからは特に」
「、、、そう。あなた達の証言から容疑者を特定するのは難しそうね」

 僕はとてもじゃないが、頭が働くような状況ではなかった。

 自分が今夜殺されるという事実を急に打ち明けられ、内心はかなり動揺しているのだ。
おまけに暑いし、蝉の鳴き声も煩い。
木々の向こうから覗く青空が、やたらと青く澄み切っていた。

「犯人を捕まえるには、当然のことながら被害者であるあなたの協力が必要なの。それによって作戦の内容も変わってくるし。大丈夫かしら?」
「勿論、協力は惜しみません」
「良かった、助かるわ」

 もはや僕に選択肢は無い。
自分が殺されることを予見しておきながら、何の対策も練らないほど馬鹿なことはないからだ。

 だが僕はよく考えずに、二つ返事でそれに答えた。
今の僕を取り巻く状況には、現実感というものが決定的に欠落している。
つまり現実感の欠落というものは、思考を安易にさせる危険性を孕んでいるらしい。

「私も協力します」と先輩は言った。「鈴江君がそんな目に遭うことを知っておきながら、何もしないなんて耐えられないし」
「でも野上さん、あなたは女の子だし、こんな危険なことには関わらない方がいい」
「え、どうして私の名前を知ってるんですか? 私、一度も名乗った覚えはないけど」
「、、、そうだったかしら」
「はい」と先輩は頷いた。「ねえ、鈴江君」
「ええ、確かにそれは」

 原田さんは一呼吸置いてから言った。「私が、あなたの名前を知っていることは、そんなに不思議なこと?」
「どういうことですか」
「私は未来で、当時の鈴江君の交友関係を徹底的に調べたわ。クラスメイトや先生、科学部の部員なんかをね。名前と顔は一致した状態で、完璧に把握してる」

「それは、学校内に容疑者がいるかもしれないと?」と僕は訊いた。
「そう。あなたの知り合いの中に犯人がいないとは限らないからね」と原田さんは言った。「そして、野上佐織さん。あなたのことも、例に漏れず調べさせてもらった。だから、実はあなたのことは最初から知っていたの。鈴江君と一緒だったのは、ちょっと驚いたけど」
「そう、だったんですね、、、」

「ああ、でも安心して頂戴。あなたにはアリバイがあったし、事件当時の段階から疑いもかけられていなかった。学校内に任意の取調べを受けた人も何人かはいたけど、すぐにみんな容疑から外されたわ。ただ、私は当時の警察の捜査を必ずしも信用してないわけじゃないんだけど、かといって彼らが見落としてる点が無いとは断言できない」

 先輩は強張った表情で頷いた。
「だけど、仮に高校生が犯人なら、現場にその人間に繋がるような証拠物件が残されていることが多いはず。言っても子供だからね、どこかに抜かりがあるものなのよ」と原田さんは言った。「でも実際に現場にあったのは、男性のものと思われる足跡くらい。指紋も凶器も見つかっていない。つまり、計画的で手慣れた人間による犯行の可能性が高いの」
「まさか、殺し屋とか、、、?」と先輩は呟いた。

「その可能性だって、決してなくはない。結局のところ、犯人は鈴江君の顔見知りの人間なのか、あるいはそうじゃないのか、現時点ではそれを判断することはできない」
「そのようですね、、、」と僕は言った。

「とにかく、この事件は素人の犯行ではないかもしれないという想定がある以上、あまりにも危険だわ。だから野上さん、あなたは大人しく家にいなさい」
先輩はかぶりを振った。「嫌です。こんなことを事前に知っておきながら、見過ごすことなんてできない。私だって、学年は違うけど、鈴江君のことはそれなりに知ってるつもりだし、何か役に立つことだってあるはず」

 原田さんは溜め息をついた。「どうしても、この件に関わりたいのね?」
「私がその事件を知ってしまった以上、先輩として鈴江君を守る責務があると思ってるんです」

 僕はかなり驚いていた。
先輩は、どうしてそこまで僕のことを?
まさか、月野先輩は僕のことが、、、。
いや、やめろ。くだらない妄想に耽ってる余裕なんか、今のお前には無いんだ。

「分かった。そこまで言うなら、あなたにも協力してもらいましょう」
「本当ですか?」
「だけどいい? 犯人が誰なのか判らない以上、このことは他の誰にも話しちゃ駄目よ。 鈴江君も」
「約束します」と先輩は頷き、「分かりました」と僕は言った。

「よし、じゃあこれから作戦を話したいのだけれど、、、ここは暑いし、蝉が煩すぎるわね」
「同感です」と僕は言った。「あと5分もここにいたら、僕は犯人に殺される前に死んでしまう」
「鈴江君、まだそんな軽口を叩く余裕があったの?」と先輩は呆れた顔で言った。

 心身共に疲弊しきった僕の口から出た、苦し紛れのジョークなのだ。

「あの、原田さん、落ち着いて話せる場所ならすぐそこにあります」
「もしかして、そこって、、、」
「ええ、私の家です。この時間は誰もいないから、絶好の環境だと思うけど」


 それから僕らは野上先輩の提案に乗って、裏山を降りて彼女の家へと向かった。
先輩が先頭で、その後ろを僕と原田さんがついていく形になる。

 先輩の後ろ姿を見ながら僕は、一つ疑問に残ることがあった。
どうして原田さんは、先輩の名前を知っていたことを追及された時に、一瞬はぐらかしたりしたのだろう。

 未来で先輩にちゃんとアリバイがあって、何の容疑もかけられていないことが分かっているのなら(当然、先輩が僕を殺すなんてあり得ないことだけど)、彼女の名前を知っていたことを隠す必要なんてなかったはず。

 それに、結局は先輩の参加を許したことも何か引っかかる。

 ちらりと見た原田さんの整った横顔からは、何の表情も読み取ることはできなかった。

 野上先輩の家に到着すると、先程麦茶をご馳走になった和室の客間に通された。

 僕が入り口側のテーブル席に腰を下ろし、原田さんはその向かいに着いた。
先輩はリモコンを手に取り、クーラーのスイッチを入れた。

「飲み物、アイスコーヒーとかで大丈夫ですか?」と先輩は訊いた。
「コーヒーは好きよ、ありがとう」
「鈴江君も?」
「はい、僕もそれでお願いします」

 少しして先輩が盆に載せて、グラス3つ分のアイスコーヒーを運んできた。
先輩は僕の隣に腰を下ろし、それから僕らはアイスコーヒーにそれぞれ口をつけた。

 僕は往々にして喉が渇いていたので、一口で3分の2程を胃の中に流し込んだ。
冷たく、苦味の中に甘味があって、とても美味しい。

「美味いっすね、これ」と僕は口に出していた。「ネスカフェなの。ペットボトルからそのまま注いだやつなんだけど」と先輩が苦笑して言った。
「あ、僕ネスカフェ好きです」
「私も。安いのに結構、本格的な味わいだし」

 そんな取り留めも無い雑談を交わしながら、僕は暫く心地の良い安息に浸っていた。

 まるで今夜、僕が殺されるかもしれないということが嘘であるかのような安息が、この部屋には確かに内包されていた。

 それから少しして原田さんが言った。「本題に入る前に、一つ重要なことを伝えておくわね。鈴江君が殺されるのを仮に防いだからといって、私のいた未来で鈴江君が生き返るというわけではないの」

「えっ、そうなんですか」
「そう。一度起きてしまった事実は変わらない」
「それなら、意味が無いじゃないですか」と先輩が少し怒ったような口調で言った。
「待ちなさい、話は最後まで終わってない」と原田さんが言った。「いい? 今のは一つの時間軸における話なの」

「一つの時間軸、、、?」
「ええ。つまり、過去に戻ってある出来事を変えるたびにその都度、時間軸が分岐していくのよ。もっと噛み砕いて言えば、私のいた世界の時間軸では、鈴江君は死んだままだけど、あなた達の世界の時間軸では、鈴江君は生き続けるということ」
「過去を変えると、そのたびに別の時間軸に分岐していく、、、。すると、複数の世界が同時に存在するということですか?」

「その通りよ。これが時間旅行の根幹を成す重要な構造であり、この構造こそがタイムパラドックスを防ぐ役割となるわけ」
「なるほど、、、」と僕は頷いた。

 なるほど。
僕が生きている未来と、僕が死んでいる未来。
例えは最悪だが、理解するには申し分ない。


「この構造を理解してもらった上で、これから鈴江君を殺した犯人を捕らえる作戦を話していくわけだけど、、、」と原田さんは言いかけた。「何度も言うように、この件については何があっても絶対に他言はしないで。私達三人だけの秘密よ。このことが外部に漏れてしまえば、犯人にもそれが伝わって、作戦がパァになってしまう最悪のケースも考えられるから」
「ええ、分かってます」
「私も。絶対誰にも言いません」

「いいわ。じゃあ、話すわね」と原田さんは言って、例の新聞記事のコピーを手に取った。「まず、犯行現場が公園となっているけど、これは臼杵城跡の近くにある若木公園のことよ」

 僕が今朝、野上先輩と偶然出会った図書館のすぐそばにある公園だ。
僕が通っている塾もその辺りにあって、夏休み中は週3、4日ほど、夕方から夜まで夏期講習がある。

「そして、この記事には載ってないけど、死亡推定時刻は午後8時15分前後だとのちに判明しているわ。この時間帯、夏祭りでもない限り町はいつも人通りが少ないから、犯行は容易だったというわけね」

「ちょっといいですか」と先輩が言った。「さっきから疑問に思ってたんですけど、鈴江君はこんな時間にどうして公園なんかに? 誰かに呼び出されたとか?」
「いえ、それは多分、僕の習慣です」と僕は言った。「塾の帰りに、近くのコンビニで買ったアイスをその公園で食べる習慣があって。それでおそらく僕は今夜もその習慣の通りにしていて、後ろから襲われることになるんだと思います」

「ええ、鈴江君の言う通り、事件現場のベンチの前には、実際にアイスのパッケージと棒が落ちていたわ」と原田さんは言った。「コンビニの監視カメラにも、午後8時10分頃に鈴江君の姿が映っていたし、お店のレジに会計のデータも残っていたから、間違いない」
先輩は黙って頷いた。

「そして、いよいよここからが作戦よ。鈴江君には今日、事件当日と全く同じ行動をしてもらう」
「えっ」
「つまり、鈴江君には予定通り塾に行ってもらい、その帰りにコンビニでアイスを買い、若木公園に向かってもらうの。少なくとも8時12、3分前にはベンチに座っていることが望ましいわね。そして、私は事前に公園内の公衆トイレの中に待ち構えておくから、犯人と思わしき人物が現れた場合、私がそこでそいつを押さえる。万が一逃げられそうになった場合、躊躇なく発砲する」

「でも、それじゃ鈴江君が危険過ぎませんか? 一歩でも遅かったら、殺されるんですよ?」
「犯人の正体が特定できない分、これしか有効的な方法が無いの。だってそうでしょ? 逆にこちらが行動を変えてしまったら、当然犯人の行動も変わってくるわよね? すると、私達はそれを予測するしかなくなる。現にこうして犯人の大まかな行動を私達が把握している以上、敢えてその通りに行動させて、罠に嵌めるというやり方の方が成功しやすいはずなのよ。何度も考えたけれど、やはりこの作戦が最適だと思うわ」

「確かに」と僕は頷いた。「既定路線通りに犯人を泳がせておいた方が、最終的に対処はしやすい。こちらには最初から結果を把握しているという有利な手札があるわけですから、それを捨てるということは犯人と立場が同じになってしまうということ。それは合理的じゃない」
「分かってるわね、鈴江君」と原田さんは言った。「それと、私が未来から持ってきた防弾チョッキも後で渡すつもり。さすがにその無防備な状態だと心許ないでしょう? 並の弾丸なら、至近距離で撃たれても貫通しないくらい強度なやつだから」
「ありがとうございます。心強いです、それは」

「要は被害者である鈴江君自身を、囮に利用するという作戦ね。犯人が現れることが判明している唯一の場所がこの公園だとすれば、もはやこれしか対処法はない」
「あの、思ったんですけど、事件の起きる時間帯だけ、鈴江君をこの町から遠ざけておくじゃ駄目なんですか?」と先輩は訊いた。
「それでは意味が無いわ。本質的な解決にはならない。問題を先送りにするだけよ」と原田さんは言った。「今日、犯人から逃がれられても、明日また襲ってこないという保証はどこにもない。どのみち犯人を捕まえなければ、鈴江君には永遠に平和は訪れないの」
「そっか、鈴江君が狙われるのは今夜だけだとは限らないんですね」

「そういうこと。それに、一度にタイムマシンが稼働できる時間には限りがあるのよ。結局は、私がいた上で、事件が起きることを分かっている今夜に作戦を決行するのが、最も効率的なの」

「それなら、警察の人に話して、張り込んでもらうというのは? その方が鈴江君が助かる確率はより高まると思うんですけど」
「先輩、それは逆にリスクがあると思います」
「どうして?」

「犯人が警察官じゃないとは限らないからです」
「あっ、、、。え、本気で言ってるの?」
「その、、、あらゆる事態を疑った方がいいのかなって。勿論、可能性としては低いでしょうけど。どうせ話しても信じてもらえないでしょうし、警察というのは事件が起きない限り動くとは思えません。予定通りこのことは、誰にも話さない方がいいんじゃないかと」

「ええ、誰が犯人でもおかしくはない」と原田さんは言った。「それに、仮に警察に協力してもらって周囲を張り込んでもらうにしても、犯人が洞察力のある人物なら、かえって警戒されるかもしれない。どうしてこんな時間に、こんなに人がいるんだろうって。そして、何故だか自分の犯行の計画が外に漏れていて、警察は自分を捕らえるつもりだろうと、きっと気づかれるはず。そうなれば、犯人に逃げられることは容易に想像がつく」
「そうなってしまえば終わりですね。犯人に逃亡されれば、少なくとも僕はこの町では暮らせなくなる」

「そうね、きっとそうなるでしょうね」と原田さんは言った。「それにしても鈴江君、あなた本当に15歳なの? 自分が被害者である殺人事件をそこまで冷静に分析できるなんて、ちょっと信じられない」

 違う。冷静じゃない。
僕は必死なんだ。
僕は顔も名前も知らない人間に、理由も分からずに殺されるという最悪な死に方をしたくないだけだ。
そうだ。僕は、死にたくないんだ。

「鈴江君は怖くないの?」と先輩が見つめて訊いた。
「そりゃ、怖いですよ」と僕は苦笑した。「でも、怖がってるだけじゃ事態は何も変わらない」
「そうだよね、そうに決まってる。ごめん。無神経なこと訊いて」
「いえ、全然大丈夫です」
しかしこうして自分が殺される事件について自分が分析するというのは、なかなか気が滅入るものだ。

「でもね、私は確信してるんだ。鈴江君は必ず生きて、そして偉大な科学者になるんだって」
「え、どうして、、、?」
「だって前に言ってたじゃない。私が将来就きたい職業を訊いた時に、科学者ですかねって」
「それは、、、就職はしたくなかったから、消去法で何となく答えただけで、、、。それに、漠然とですよ」

「漠然とでもいいじゃない。夢があるって素敵なことだよ」と先輩は言った。「それにやっぱり鈴江君は、科学の道に進むんだと思うな。そして、いつかノーベル賞なんて取っちゃったりして」
「いやいや、あり得ないですから。僕なんかが」と僕は苦笑した。
「そんなことない。だって鈴江君より科学に詳しい人、私知らないもん。先生達よりずっと凄いと思う」

 先輩は僕を励ましてくれているのだ。
そのことが僕には心の底から嬉しかった。

「そういえば野上さん、時間は大丈夫?」と原田さんが訊いた。
「え?」
「そろそろ11時半になろうとしてるけど、弟さん、もう少ししたら部活から帰ってくるんじゃない?」

 僕は腕時計を確認した。
時刻は午前11時29分。
いつの間にか、こんなに時間が経過していたのだ。

「そんなことまで把握してるんですね、、、」
「言ったでしょ、鈴江君と親しい間柄の人は徹底的に調査したのよ」と原田さんは言った。「それで、この家は作戦会議の場には使えなくなるんじゃないかしら」

「はい。お昼を過ぎれば、弟は大抵帰ってきますけど」
「それなら、後10分ほどでお開きにした方がいいわね」と原田さんは言った。「ちょうどいいわ。作戦の概要は大体説明し終えたし、本来なら鈴江君はこの時間帯は図書館にいるはずだから、打ち合わせが長引くのはあまり良くないから」
「ええ、そうですね」

「要は鈴江君には今日、いつも通りに生活してもらえればいいの。最も重要なのは、午後8時15分よりも前に、私を信じて若木公園のベンチに座っていてほしい」

 原田さんを信じるか、、、。

 年齢も職業も下の名前も知らない未来からやってきたこの女性に、果たして僕の命を託すことができるのだろうか?

 今の僕には、それを判断する時間も余裕も、何一つ持ち合わせてはいなかった。


(つづく)


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