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短編小説「夜のハイウェイ」

 サービスエリアで夕食を済ませた後、俺は再びアウディを発進させた。

 時刻は午後九時四十六分。時速は百キロを超えている。
夜の闇に覆われた高速道路を、俺が運転するアウディは疾走していた。

 三日間の盆休みを利用して、俺は三年振りに地元の神戸に向かっていた。
神戸の高校を卒業した後、東京の大学に進学し、今は同地の電機メーカーに勤めている。

 以前は毎年夏になると実家に帰省していたのだが、二年前から流行した新形コロナウイルスの影響で、この二年間は帰省を自粛していた。

 だが俺は今三年振りに、神戸に向けて一人車を走らせている。
久しぶりに地元に帰りたかったのもあるし、流石に自粛はもういいだろうと、俺も両親も判断したのだ。

 明日から始まる盆休み、早朝から帰省ラッシュで、渋滞に巻き込まれることは避けられない。
だから俺は会社が終わった後、その日の夜に車を運転して、地元に向かうことにしたのだ。

 同僚から飲みに誘われたが丁重に断り、自宅に帰った後シャワーを浴び、身支度を整えた。
それから部屋を出て、車を発進させ、インターチェンジを通り抜け、サービスエリアでハンバーガーとフライドポテトを胃の中に放り込み、そして現在に至る。

 車の流れはスムーズで、順調だった。
真夏の夜の高速道路を、スピードを緩めることなくアウディは走っていく。

 向こうに到着するまでに、休憩を挟んでも残り五時間はかかるだろう。
仕事終わりなのでそれなりに疲労感はあるが、俺は車を-それも夜に-運転するのが好きだった。
ハンドルから左手を離し、缶コーヒーを一口飲んだ。

 暫く走っていると、オレンジの照明の下、路側帯に一人の女が立っているのが見えた。
事故だろうか? いや、女の傍に車は見当たらない。
ただ一人、俯き加減にその場に立ち尽くしている。

 すれ違いざまに女の方を見ると、長い黒髪で、白いワンピースを着ていて、そしてピクリとも動いていなかった。
ガラス越しで、それも一瞬だったが、彼女はまるで石像のように固まっていて、生気というものが微塵も感じられなかった。

 なんなんだ、今のは?
付近にはバスストップや非常電話が設置されている訳ではない。
それなら、どうしてあんな場所に女が一人で立っていたのか。

 俺は反射的にルームミラーを見た。
たった今女が立っていたはずの照明の下には、誰もいなかった。

 俺の後ろを走るアクアのドライバーや、追い越していったクラウンのドライバーは、あの女の姿を目にしたのだろうか?
していなければ、もしかすると彼女は……いや、やめよう。そんな思いつきは馬鹿げているとしか思えない。

 それから数分が経過しても、俺はずっと答えのない答えを求めていた。
なぜあの女はあんな場所に突っ立っていたのか、そしてどうやって一瞬のうちにあの場から消え去ったのか、そんな疑問が頭の中を駆け巡っていた。
でも、どれだけ考えみても一向に答えは見つからなかった。
俺は無意識に、ハンドルを握る手に力を込めていた。

 そんな時、進行方向の先の路側帯に、また一人の人間のシルエットが見えた。
近づいていくと、俺は目を見張った。
あの女だ。照明の下、長い黒髪に白いワンピースを着た女が、またそこに立っていた。

 すれ違う時、俺は女の方を注意深く観察した。
例によって女は照明の下にいるので、その姿を鮮明に捉えることができた。
長い髪は僅かに濡れていて、前髪が俯いた顔を伏せている。そのため、表情は隠れて見えない。
肌は青白く、痩せていて、背が高い。黒いヒールを履いてはいるものの、女にしてはかなりの高身長だ。百八十センチ近くはあるかもしれない。
そして、全くと言っていいほど動いていない。写真のように静止している。

 女の傍を通り過ぎた時、俺はすぐにルームミラーを確認した。
やはり、女はその場所からいなくなっていた。照明の下の路側帯には、誰の姿も確認できなかった。

 繰り返している。何もかも同じだ。数分前と全く同じ出来事が、たった今起きたのだ。
俺は小さく溜め息をついた。
ここまで来れば、腑に落ちる。あの女は、生きている人間ではない。
論理や科学では通用しない現象、つまりあれは心霊現象ということで間違いないだろう。

 あの女は、何かを訴えているのだろうか。
悔恨や怨念のせいで現世に留まっていて、何かを求めているのだろうか。
仮にそうだとしても、当然俺には知る由もないことだ。

 それから数分が経った時、また同じ女が同じ場所で同じ様子で、そこに立っていた。
路側帯、オレンジの照明の下、白いワンピースを着た長い黒髪の女。案の定、微動だにしていない。

 三回目になると流石にもう驚かなかったし、わざわざルームミラーも確認しなかった。
同じ結果が待ち受けていると、見なくても容易に想像できるからだ。
こうして同じ怪現象が繰り返されていても、俺は意外と冷静だった。
気にしない。ただのオブジェクトだと思えばいい。

 きっと幽霊というのは、人間の不安や恐怖につけ込んで、さらなる不安や恐怖を与えようとしてくるのだろう。それが奴らの常套手段、主な手口のはずだ。
つまり、こちらが最初から平常心を保っていれば、何の問題もないということだ。

 俺は気分を変えるために、FMのスイッチを入れた。
こういう時は、明るい音楽とか人の話し声が聴きたい。
だがそんな俺の期待とは裏腹に、ラジオからは『真夏の納涼企画……背筋が凍りつくような怪談の数々をこれよりお届け致します……』と恐怖感を煽るような喋り方の女の声が聞こえてきた。

 俺は速攻でチャンネルを変えた。一瞬の雑音の後、無理やり気分を上げるようなロックンロールが流れ出した。
絶賛、現在進行形で心霊現象に見舞われている時に、間違っても誰かの恐怖体験を聞く気にはならない。

 反政府主義について歌うジョニー・ロットンの歌声を聴きながら、俺は一定のスピードを維持して車を走らせ続けた。

 それからの一時間、用を足すためにパーキングエリアに入るまでの間に、合計十四回あの女の姿を目撃した。
その十四回は全て同じ状況、条件、状態だった。

 パーキングエリアは公衆便所と自動販売機が設置されてあるぐらいの簡素な造りで、敷地面積は少し前に夕食を食べたサービスエリアと比較してかなり狭かった。
そして俺のアウディの他には、車は一台も駐まっていなかった。

 俺は車から降りて公衆便所で用を足した後、建物と隣接して設置されている自動販売機で二本目の缶コーヒーを買った。
車に戻り、缶を開けて、コーヒーを一口啜った。美味しくも不味くもない、中間的な味だ。
いや、そもそもは缶コーヒーに深い味わいを求めること自体、間違っている。

 そのようにして俺は暫く、フロントガラスの先の公衆便所と自動販売機の景色を無感情に眺めながら、缶コーヒーを飲んでいた。

 女子トイレから、一人の女が出てくるのが見えた。
俺は周りを見渡した。他に車は一台も駐まっていない。

 その女の姿がはっきりと見えた時、俺の心臓は大きく脈打った。
あの女だ。白いワンピースを着た、長い黒髪の高身長の女。
例の女が俺が乗っているアウディに向かって、一直線に歩いてきている。

 俺は小さく悲鳴を上げた。
だが、それは例の女がこちらに向かってきているということに対してではなかった。

 女の背後の公衆便所から、続々と同じ見た目をした女たちが何人も出てきていた。
白いワンピース、長い黒髪、痩せていて背が高い。
全員が同じ格好、同じ背丈だ。同じ姿の女たちが、際限なく女子トイレから出てきている。
五人、六人、七人と数がどんどん増えては、複数のヒールの音を響かせながら俺の方へ向かっている。

 俺は金縛りに遭ったかのように動けず、その異様な光景を見つめていた。

 同じ女が出てきたのが十二人目に達したところで、俺はやっと我に返り、車のエンジンキーを回して急いでその場を離れた。
一人目の女との距離まで、三メートルもなかった。

 パーキングエリアから出る際、ちらりとルームミラーを見た。
公衆便所の傍から、大勢の同じ姿の女たちが俺の方を見つめていた。

 俺はもう高速道路を走れるような精神状態ではなかった。
暫くして、俺は次のインターチェンジを通過し、一般道に降りた。

 一般道だと高速の倍近くの時間はかかるが、もはやそんなことを気にしている余裕はない。
高速道路よりも通行量が格段に多く、マンションやアパートや一軒家の灯りが辺り一帯に存在している。
そんな地上における当たり前の環境が、俺の心を落ち着かせてくれていた。

 あの女は一体何だったのか。どうして同じ女が何十人もいたのか。
きっとそれはどれだけ考えても分からないことで、分かりたくもないことだった。


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