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短編小説『未来の自分』④作戦決行の夜


「犯人は、どんな風に現れると思いますか」と僕は訊いた。
「そうね、、、普通の人を装ってやってくるのか、それとも見つからないようにして忍び寄ってくるのか、、、」
「あるいは初めから公園内に潜伏してるか、、、」
「犯人の出方、、、。これに関しては、はっきりしたことはなんとも言えないわね」
「みたいですね、、、」

 作戦の詳細な部分を、残りの数十分をかけて僕らは話し合っていた。

 公園内のそれぞれの正確な待機位置や、僕が塾が終わってから現場に向かうまでのスケジュールの確認など、様々なことだ。

 僕はその内容を、完璧に頭に叩き込んだ自信があった。
と言っても、僕はいつも通りに行動すればいいわけだから、覚えるのに難儀な部分は皆無に等しかったのだ。

 要は、犯人に悟られないように自然な振る舞いを心掛けながら行動し、原田さんをただ信じていればいい。

「オーケー、作戦の内容はこれで全て話したわ」と原田さんは言った。「この後鈴江君は、図書館に戻ってもらって、午後3時までそこに滞在する。そして一度家に帰宅し、午後5時からの塾に向かう。あとはさっき説明した通りの流れよ」
「分かりました」と僕は頷いた。

「あの、私も鈴江君の護衛じゃないですけど、一緒に図書館に戻ります」
「それは駄目」
「どうしてですか?」
「いい? あなたは私がこの現代に来たからこそ図書館に向かったのよね? それなら、本来はあなたが図書館にいるということは起こらなかったはずの出来事なの」

 確かに野上先輩は今朝、原田さんの操縦するタイムマシンの姿を目撃し、その正体を調べるために一旦図書館へと向かった。
それはつまり、未来からの影響を受けて変更された予定外の行動ということになる。

「鈴江君は一度そこから離れてしまったけど、やはり念のために、もう一度そこに向かった方がいい。できるだけ既定路線通りに行動した方が、何かと安全ではあると思う。周りに人もいるからね」と原田さんは言った。「でも野上さん、本来ならあなたはそこにいなかった。あなたのおかげで私と鈴江君が会うことができたのは事実だけど、あなたが再びそこに向かうことで、何らかの結果がまた変わってしまうかもしれない」

「それだけのことで、変わるものなんですか?」
「そうよ。例えば、図書館であなたと鈴江君が一緒にいるとしましょうか。そして館内のどこかに、犯人がいるとも仮定しましょう。そこで犯人があなた達二人が一緒にいるところを見たのなら、もしかしたら今夜の犯行を躊躇うかもしれない。そういった可能性も、決して否定できなくはないの」

「それは、私と鈴江君がアベックだと思われて、8時を過ぎた時間帯でも一緒にいるかもしれないと?」
「ええ、ターゲットは最初から鈴江君一人なんだから、連れがいるのは犯人にとって極めて都合が悪いはず。それは犯行を断念させる要因になり得る。だから悪いけど、野上さんは図書館にだけは向かわないで」
「分かりました、、、」と先輩は少し不服そうに言った。

「それと言いづらいんだけど、やっぱり野上さんは作戦には参加させられないわ」
「えっ、ちょっと待ってください。どうして?」
「当初はあなたにも、公園の周囲をさり気なく見張ってもらって、怪しい人物がいないかどうか偵察してもらう予定だったわね」
「ええ、そうです」
「ただ考えてみれば、これがかえって逆効果になるかもしれないのよ」と原田さんは言った。「あなたの存在が犯人を警戒させるかもしれないし、最悪の場合、人質にされるかもしれない」
「私は、足手まといだと?」

「それはちが、、、いや、そうね。申し訳ないけど、そういうことになるわね。鈴江君を守りたい気持ちは分かる。ただ、その気持ちをなんとか抑えて、作戦決行時には自宅で待機しててほしいの」
「、、、私がいない方が、成功率は上がりますか?」
「ええ、上がるわ」と原田さんは頷いた。「今更こんなこと言ってごめんなさい。でも、あなたも鈴江君に生きていてほしいなら、ここは私の判断に従ってほしい」

 野上先輩は数秒黙ってから口を開いた。「分かりました。鈴江君のことは原田さんに任せます。私は家で、鈴江君が無事であることを祈ってます」
「野上さん、ありがとう」

「先輩、、、」
「鈴江君」
「は、はい」
「先輩として、何か手伝えることがあれば良かったんだけど、邪魔ってことなら仕方ない。私が作戦に参加しない方が、君の生存率が上がるのなら、それが一番だから」
僕は何も言わずに、曖昧に頷いた。

「でも、これだけは約束してほしい」と先輩は言った。「お願いだから、絶対に死なないで。必ず無事で、生きていると約束して」
「約束します」と僕は言った。「必ず、未来の自分を取り戻してみせます。誰かに殺されたりなんか、決してそんなことはさせない」

「うん」と先輩は微笑んだ。「大丈夫。君の未来は、絶対に大丈夫。私が保証する」

 野上先輩の家を後にして、僕は一人、バスに乗って再び図書館へと向かった。

 シャツの下には、原田さんから貰った防弾チョッキを身に付けている。
暑いし重たいけれど、想定外の事態が起こった時のための対策としては心強い。

 そして、またしても先輩は僕にバスの乗車代金を渡してくれていた。
この際、断るのもどうかと思ったので、僕はありがたくそれを受け取ることにした。

 バスから降りて、再び図書館に到着すると、僕は二階へと上がった。
二階には夏休みだということもあり、僕と同年代と思わしき学生が多かった。
大半は、図書館を利用して受験勉強に勤しむ高校3年生といったところだろうか。

 僕は数時間前に読むつもりだった『時空の大域的構造』を再び手に取り、席に座ってそれを読み始めた。

 本の内容は難解だし、こんな状況だから殆ど頭に入らなかった。
それでも午後3時までの2時間半はこの図書館に滞在しなければならないわけだから、何か時間を潰すとするならば、ここでは本を読むことが最も正しい時間の使い方であるのだろう。

 午後1時過ぎになると、すぐ近くにあるマクドナルドに寄ってハンバーガーとコーラを買った。

 僕は全くと言っていいほどお腹が空いてなかったので、その食事は咀嚼というよりも、ハンバーガーをコーラで胃の中に無理やり流し込んだ形だった。
便宜的に腹を満たすための簡易的な食事だ。

 それから再び図書館の二階で、『時空の大域的構造』の続きを読む。
そのようにして時間が過ぎ、時刻は午後3時になった。

 僕は家に帰宅し、ソファに寝転んでぼうっと天井を見つめながら、時間が過ぎていくのを待ち続けた。
窓の外の蝉の鳴き声が、虚に僕の耳に響いていた。

 *

 教室の窓の外は、すっかり暗くなっていた。
時計の針は、午後7時59分を指している。

 残り1分足らずで、僕は塾の夏期講習から解放され、いよいよ作戦の実行に乗り出すことになるわけだ。

 教室内では、授業時間一杯まで講師の谷村がホワイトボードに数式を書き込みながら解説を行い、周りの生徒達は熱心な様子で授業に打ち込んでいる。

 その中で僕は当然のことながら授業内容なんて何一つ頭に入っていなかったし、考える気にもならなかった。
きっと客観的に見れば、僕の顔色はひどく悪いはずだ。

 加えて教室の冷房は効き過ぎなくらいだったが、図らずともシャツの下に着ている防弾チョッキが、僕の身を人工的な寒さから守ってくれていた。

 教室内に、チャイムが鳴った。
鳴り響くチャイムは、まるで僕の生存の危機が少しずつ近づいていることを宣告しているかのようだった。

 生徒達は筆記具やテキストを鞄の中に仕舞い、続々と教室を後にし始めている。
僕も周りと同じく、席から立ち上がり、扉に向かって歩き出した。

 後ろで谷村は「夜道は危ないので気を付けるように」なんて常套句を感情を込めずに口にしている。
そしてその言葉は、まるで今の僕には皮肉のようにしか聞こえなかった。


 塾の玄関口から外に出た際、後ろから声をかけられた。
「鈴江」
振り向くと、塾のクラスメイトで、同じ高校の樋口という同級生が立っていた。
学校ではクラスは違うが、僕と同じ科学部の部員だ。

「今日なんか体調悪そうだったけど、大丈夫か?」
眼鏡の奥から心配そうに僕のことを見ている。
「ああ、問題ないよ」
「休み時間中もずっと真剣に考え事してるみたいで、なんか話しかけづらくてさ」

 それなら、帰りがけも話しかけるのは控えてほしかった。
僕は文字通り一刻を争う状況にあるんだ。こんなところで悠長に級友と会話している余裕なんて、あいにく今の僕には無い。
「鈴江?」
「いや、本当になんでもないんだ。トンネル効果について考察していたら、授業のことなんて全然入ってこなくて」
「ふっ、鈴江らしいな」と樋口が笑って言った。「なあ、この後ゲーセン行かないか? ワイクリのスコア、リーマン達から取り返しにさ」
「悪い、今日はちょっと気分じゃない。家まで直行したい」
「分かった。やっぱちょっと疲れてるみたいだな」
「ああ、だと思う」

 ごめん、樋口。
いつもならもっと普通に接するはずなのに、今日だけはどうしても素っ気なくなってしまう。
こんな精神状態では、友達に対する態度にも支障が出てしまうみたいだ。
「じゃ、またな」
「おう、また明日」

 互いの帰り道に向かってそれぞれ歩き出した時、後ろから樋口が言った。
「鈴江〜、明日部活来るよな?」
「僕が来ない日があったか?」と僕は苦笑混じりに言った。
「それもそうだな、野上先輩だっているもんな」と樋口は笑って言った。



 街灯に照らされた夜道を、僕は一人歩いていた。
人影は少なく、ちらほらと会社帰りのサラリーマンが歩道を歩いているくらいだ。
昼間に比べれば、車やバイクの通行量も格段に減っている。
夜も8時を過ぎれば、町は嘘みたいに静まり返るのだ。

 ふと、自分が気づいていないだけで、既に犯人は僕の後ろを尾行しているんじゃないかという観念が僕の頭をよぎった。

 もしそうだとしても、下手に振り返ることはできない。
万が一、犯人が僕のことを監視しているとするならば、こちらの警戒を悟られるような行為は迂闊にはできないからだ。
些細な行動の変化が、その後の出来事を大きく狂わせてしまうかもしれない。

 あくまでも僕は、夜遅くまで勉学に勤しむ真面目な高校生を振る舞う必要があった。
防弾チョッキを着てるから、背後からの突然の攻撃には耐えられるだろうが、それでも怖いことに変わりはない。

 たまに僕の横を通り過ぎる車の存在や、スーパマーケットやガソリンスタンドの照明が僕の気を少しだけ落ち着かせてくれていた。

 数分後、何事もなく目的のコンビニにたどり着き、そこで僕は適当に選んだアイスを買った。
当然、食欲などあるはずがなく、言わずもがなこれは作戦の通りにした便宜的な行動に過ぎない。

 コンビニを出て、すぐ近場にある目的の若木公園まで歩いた。
本来ならここは僕が殺人事件の被害者となり、遺体となって発見されることになる公園(事件現場)だ。

 だが既に事態は変わっている。
もはやここは僕が一方的にやられる場ではない。僕らの作戦を遂行する舞台であり、僕と犯人の命運を決める決戦の場である。
ここは紛れもない戦場なのだ。

 公園内は暗く、木々の間から通りの街灯が控えめに入ってくる程度だ。
滑り台以外の遊具は設置されていない、良く言えばシンプル、悪く言えば質素な公園だ。そのため、日頃から小さな子供にはあまり人気はない。
公園の広さは、大きくも小さくもないといったところか。
例えば、フットサルをするには申し分ないが、野球をするには狭過ぎるといった具合だろう。

 公園内に人影は見当たらないが、予定通り原田さんは公衆トイレの中に待機しているはずだ。
僕は意を決して足を踏み入れ、待機位置であるベンチの方まで歩いていった。

 ベンチに近づいていくたびに、僕の鼓動はどんどん早まっていった。
恐怖と緊張が僕の心を侵食していく。
僕は周囲の暗闇に自分が溶け込んで、そのまま消えてしまいたいような想いに駆られた。
それくらい僕の精神状態は切迫しているし、耐え難い重圧に押し潰されそうだった。

 落ち着け。大丈夫だ。
限られた時間ではあるが、作戦の打ち合わせは何度だってやったじゃないか。
原田さんもいるし、防弾チョッキだって着ている。

 野上先輩が僕の生存を信じてくれたように、僕も原田さんのことをただ信じていればいい。
そうだ。今の僕にできることは、信じることだけなんだ。

 ベンチに腰を下ろし、スマートフォンを起動した。
ロック画面には、20時12分と表示されている。全くもって時間通りだ。
まあ、それも当然と言えば当然なのだが。
未来の僕の習慣的な行動を、現在の僕がただ意図的に反復しているに過ぎないのだから。

 僕はメールで原田さんに「待機完了です」とメッセージを送り、その直後に原田さんから「了解。こっちも準備は整ってる」と返信が来た。

 野上先輩の家を出る前に、僕と原田さんは連絡を取り合えるようにメールアドレスを交換していた。
2021年と2055年の携帯端末間の通信は、問題なく可能なのだ。

 僕はスマートフォンをポケットに仕舞い、左手に持っていたアイスのパッケージを見つめた。

 パッケージには、頭の悪そうなペンギンのキャラクターが描かれ、中央に『ペンギン・アイスバー』という何とも捻りのない商品名が大きく載っている。
中身は白一色のヨーグルト味のアイスバーだ。

 そんなアイスのパッケージを開けて、僕は機械的にそれを食べ始めた。
最後の晩餐にならないことを祈りながら食べるアイスの味は、もはや何の味もしなかった。

 そして、これで取るべき行動は全て取った。
後は、犯人が僕の前に現れるのを待つだけだ。
時間的に考えれば、犯人がいつ現れてもおかしくはない。

 だが、先程から周囲に人影は見当たらない。
敵は一体どこから攻めてくるのか。

 公園には西側と南側の出入り口があるが、律儀に犯人がそこを通ってやって来るとは限らない。
柵を超えてくるかもしれないし、あるいは僕が気づいていないだけで、最初から公園内に潜伏しているのかもしれない。

 しかし原田さんは外が暗くなる前からここに待機している。
つまり、誰かがここに足を踏み入れれば、事前に彼女なら気づくはずなのだ。
だが「不審な人物を確認した」といったメールは僕のところに報告されていない。
それに、いくら公園内の見通しが悪いといっても、この程度の広さならもし誰かが隠れていれば気付きそうなものだ。

 ということは、犯人の潜伏の可能性は除外していいということだろうか。
具体的な敵の侵攻方法。
作戦の打ち合わせ時にも話し合ったが、こればっかりは予測が立てづらい。

 その時だった。
僕の真後ろで何かが落下する音がし、それと同時に軽い振動が伝わった。

 直後に、僕の首筋に冷たい鋭利な物が当たる感触があった。
「動くな。声も上げるな」
ベンチに座る僕のすぐ背後で、聞き覚えのない低い男の声が言った。
一瞬思考が停止したが、すぐに理解した。犯人だ。
「振り向くなよ。少しでも動けばすぐに殺す」

 どうやって現れた? 一瞬だった。さっきまで周囲に人影はなかったはずだ。
待てよ。落下音、、、まさか、ベランダ?

 僕の真後ろに建っている五階建てのマンションは、この若木公園と隣接している。
つまりこの男は、そのマンションのベランダから飛び降り、瞬時に僕の背中を取った、、、。

 そこでずっと待ち構えていたのだ。
この公園は、ハナから敵の陣地にあったのか。
くそっ、そこまで考えが至らなかった。

「鈴江稔だな? お前を殺す前に、いくつか訊きたいことがある」
僕のことを知っている、、、計画的な犯行、、、。単独犯、、、。
それにこの男の声、感情というものを一切排し、殺意だけを抽出したような冷酷な声だ。
声の印象からして僕と同年代ではない。20代から30代の大人、、、?
いずれにしても、僕の知っている人物ではなさそうだ。

「お前は訊かれたことだけに答えればいい。それ以外の余計な言葉は一切発するな。分かったか?」と男は僕の首筋にナイフの刃を当てながら言った。
「、、、分かった」と僕は慎重に答えた。
「よし鈴江稔。まずは第一の質問だ。お前は、ロバート・オッペンハイマーを偉大な科学者だと考えるか?」

 ロバート・オッペンハイマー、、、。
第二次大戦中に、『マンハッタン計画』と呼ばれる原爆実験を主導したアメリカの科学者だ。
実験は成功し、その結果、8月6日に広島が、8月9日に長崎がその犠牲となった。

「考えない、、、。人の道を踏み外した科学者、、、だと思っている、、、」と僕は言葉を選ぶように言った。
質問の意図が分からない以上、慎重に答えざるを得ない。
「そうか、ならお前は、、、」
男がそう言いかけた時、「動かないで」と背後から声がした。

「こっちは銃を持ってる。その子に手をかければ、躊躇なく引き金を引く」
振り返らずとも、状況はよく分かった。
男が僕に集中している間、原田さんは気づかれないように静かに迫り、男の背後を取ったのだ。

「そのナイフを彼から離して、地面に落としなさい」と原田さんは言った。「さあ、早くやるのよ」
「お前は誰だ? 警察か、、、?」
「銃口は今、あなたの頭部を向いている。5秒以内に指示に従わなければ、本気で撃つわよ。ほら、5、4、、、」

 ナイフが僕の首から離れ、地面に落下する音がした。
「降参だ」と男が戯けるように言った。「まさかボディガードがいるとは思わなかったな。それも女で、銃を持ってるときた」
「鈴江君、そいつから離れて」

 僕は言われた通りに、ベンチから立ち上がり、少し距離を取った。
振り向いた先にいたのは、長身で面長の男だった。目つきは鋭く、身体は極端なまでに痩せている。身長は180センチ以上はありそうだ。髪は短く、年齢は30代前半から半ばといったところか。
いずれにしても僕の記憶では、この男は見ず知らずの人間だ。

 男は降参のポーズを取るように両手を上げ、こちらをじっと見つめている。
辺りは暗いし、僕と男の間には2、3メートルの距離があるものの、その表情からははっきりと敵意のようなものが感じ取れた。いや、表現としては殺意と言った方が正確だろうか。

 その少し後ろで、原田さんが冷徹な表情で男に向けて拳銃を構えている。
彼女はその状態を維持しながら、地面に落ちていたナイフを少し屈んで拾い、さっと腰のバックパックに片手で仕舞った。

 じっと僕を見つめるその男を、僕もじっと見つめ返した。
この男に、僕は殺されていたのか。
怒りや恐怖よりも、疑問の方が大きかった。

 犯行場所に僕が来ることを予め把握していた計画性。背中を何度も刺す程の強い殺意。初対面の人間。謎の質問。僕は男のことを知らないが、男は僕のことを知っているという不一致。

 あらゆる疑問が僕の脳内を渦巻いた。
これらの事実を綜合したところで、確かな答えは何も分からない。混乱。いや、混沌だ。

 なぜこの男は僕を殺したいんだ?

「ベンチに座りなさい」と原田さんが言った。
「なんだって?」
「ベンチよ。聞こえてるでしょ? それとも身体に穴を空けてからの方がいいかしら?」
「はっ、随分とおっかない女だ」
男は指示通りに、ゆっくりとベンチに座り込んだ。

 原田さんは男の背中に銃口を向けたまま、少し近づきベンチの上に手錠を落とした。金属製の重い音がした。
「一方を左の手首に、もう一方を肘掛けに取り付けなさい」
男は一瞬考える素振りを見せたが、抵抗はできないと考えたのか、原田さんの指示の通りにそれぞれに手錠を掛けた。

「なあ、これでいいのか? あいにく俺に変わった趣味はないんだ」
男は手錠の掛かった左の手首を何度か振り、両方にロックがされてあることを自ら示した。
手錠とベンチの肘掛けが接触する金属音が何度か響いた。

「これで拘束は完了して、身動きはできない」
原田さんは男に拳銃を構えながら、僕の隣までやってきて、僕らは男と正面から対面する構図となった。
僕ら二人は立った状態で、男は座って拘束された状態だ。
作戦、成功。

「だけど少しでも変な動きを見せれば、迷わず撃ってやるから」と原田さんは冷たい声色で言った。
男は何も言わずに、じっとこちらを睨んだ。

「警察は、呼ばない方がいいんですよね?」と僕は訊いた。
「ええ、今はまだ。これから尋問しなくちゃいけないし、それに私は拳銃を所持してるから、バレれば色々と厄介なことになる」
「ですね」
「最悪、呼ばないかも」と原田さんは呟くように言った。

 原田さんは拳銃を握る手に一層力を込め、険しい顔つきになった。
「さて、あんたは何の罪も無いこの少年をナイフで刺し殺そうとしたわね? その理由を言いなさい」
「そのガキに何の罪も無いだって? これだから無知ってやつは、反吐が出る」
「御託はいい。さっさと動機を言うのよ」
「お前が無知であるということは初めから分かっていたことだ。そして時に無知であるということは罪同然だ。だがな、真実なんていうものは知らない方が大概は楽なもんさ。だからせいぜいお前は、その見せかけの楽園に永遠に浸ってるがいい」
「、、、少しは痛みを知らないと、答えられないようね」

 単に頭のイカれた人間なのか、それとも何かしらの信念を持って行動しているのか。僕にはいまいち判別がつかなかった。

「撃ってみろよ」と男は言った。「どのみち女、お前はこの俺を撃てない。そのグロック、サプレッサーが付いてないな? こんな田舎の町で一発でも銃声が轟けば、一瞬で警察は大所帯で駆けつけ、俺もお前も終わりだ。果たして、お前にそのリスクを背負う覚悟があるのか、女?」
「なんなの、こいつ、、、」
「なあ、どうして存在するだけで罪になるガキを庇うんだ? そのガキ自体が罪なんだ。どうして俺の邪魔をする? 俺はただそいつを粛清して、穢れた魂を浄化させてやろうとしただけなのに」
「それ以上言えば、本当に撃ち殺す。あんたみたいな異常者と話してるとね、気が滅入るの」

 男はそこで話すのをやめ、代わりに不敵な笑みを浮かべ始めた。
僕は嫌な汗が浮かんでいたし、一刻もこの場を離れたかった。
だが、そういうわけにもいかない。

「もう一度訊くわね。あんたは何者で、どうして鈴江君を殺そうとしたの? 答えなさい」
原田さんがそう言った直後、「鈴江君っ」と右手から声が聞こえた。
そちらを振り向くと、野上先輩が僕らの方まで走ってきており、すぐに駆け寄ってきた。

「先輩っ、どうして?」
「どうしても君の安否が気になって、、、ごめん、来ちゃった、、、」と先輩は息を切らせながら言った。「でも、鈴江君が無事で、本当に本当に良かった」
「先輩、、、ありがとうございます」
「信じてたよ、私。君は絶対に大丈夫だって」
僕は何も言わずに頷いた。

「野上さん、、、」
「作戦、上手くいったんですね」
「ええ、今尋問してるところだけど、、、野上さん、危ないわ」
「平気です。だって、拘束してるんでしょ?」
「それはそうだけど、油断は禁物よ」
「分かってます。それに私、犯人の顔どうしても見てやりたくて」
野上先輩は肝が座ってる、、、。

「こういう人だったんですね、、、鈴江君を殺そうとした人って」
男は先輩のことを試すような目でじっと眺めている。
「ええ、見ての通りの悪人顔。それにこいつはさっきからカルト宗教めいたようなことばかり口走ってて、全くもって会話が成立しないの。正真正銘の精神異常者ね」

 野上先輩は男をじっと見据えて言った。「どうしてあなたは鈴江君を殺そうとしたんですか? 答えてください」
「知らないのかい、お嬢ちゃん? 悪魔祓いさ。鈴江実は罪深き悪魔だ。だから楽にしてあげようとした」
「ふざけないで。鈴江君が悪魔? あなたこそ何かに取り憑かれてる」

 無知、罪、そして悪魔、、、。どういうことだ。
いや、待てよ。まさか、、、。

「野上さん、下がって」と原田さんは言った。「いい? 次、ちゃんと質問に答えなければ、あんたはここで誰かに遺体として発見されることになるわ。不本意だけど、私達はそれで解散するつもり」
「ちょっと原田さんっ、本気で言ってるんですか」と先輩が驚いて言った。
「、、、本気よ」
「駄目ですよ、人殺しはっ。この人と一緒になっちゃいますからっ」
「だけど、こうしてここで無意味な押し問答を繰り広げてたら、一向に埒が開かない。それにいつ誰かにこの事態に気づかれて、警察に通報でもされれば、、、。余裕が無いの。とにかく、こいつが質問に答えない限り、もう終わらせるしかない」

「いえ、原田さん。そんなことする必要はありません」
「鈴江君、、、どういうこと?」
「何となくではあるんですが、大体の察しがついたんです。彼が何者であり、いかにして僕に殺意を持ったのか」
「心当たりが、あるってこと?」
「心当たりなんてありませんよ。ただ、彼の言動やいくつかの事実から、ふと思い至ることがあって」
そうだ。僕の推論が正しければ、おそらくこの男は原田さんと同じだ。

「それは何?」
「彼はおそらく、タイムトラベラーです」
「タイムトラベラー!? 原田さんと同じ未来人ってこと?」
「ええ、ずっと疑問に思ってたんです。こんな小さな町で、どうして何十年間も犯人の手がかりを一つも得られなかったのか、未解決事件のままだったのかって」
「それはこの男が、この時代の人間ではなかったから、、、?」

 僕は頷いた。「僕が彼のことを知らないにも関わらず、彼は僕のことを知っている。そして異常なまでに僕に執着している。この奇妙な食い違いは、彼が未来からやってきたと推定すれば説明がつきます」と僕は言った。「それに、無知という言葉、、、何か引っかかってたんですよ。もしかしたら未来の人間からすれば、過去の人間は皆無知に見えるのかもしれない。つまり、原田さんのいた時代よりも後の未来からやってきたのか、あるいは別の時間軸からやってきたのか、、、。どちらにしろ、彼は未来人である可能性が高い。そして彼は僕を殺す理由を、その未来で見つけた」

 原田さんも野上先輩も、見るからに驚いた様子だ。
犯人の男でさえも、一瞬驚いた表情をしたのを僕は見逃さなかった。そして、男の反応で僕は自分の説が正しいということを確信した。
「つまり、僕はこの現代では誰かに殺されなくてはならない身に覚えは何もありませんが、未来では何らかの形で恨みを持たれる出来事があったんじゃないかと、そう思ったんです。ですよね?」
僕は男の視線をしっかりと受け止めながら言った。

「、、、ああ、その通りだ。鈴江稔、お前の言う通り、俺は遥々未来からやってきた。お前を粛清してやるためにな」
「本当なんだ、、、。本当にこの人は未来人で、だから警察に捕まることがなかった、、、」と先輩は呟いた。「鈴江君、よく気付いたね?」
「いえ、原田さんの存在が無かったら、到底思いつかなかったことです」

「ちょっと待って」と原田さんが言った。「この男が適当に話を合わせて、私達をからかってる可能性だって充分ある。ねえあんた、どうやってこの時代にやってきたの? 方法は?」
「はっ、パルソニック社製のタイム・ヴィークルに乗ってきたんだよ」
「、、、同じだ」と原田さんは呟いた。
原田さんと同様のタイムトラベル方式。
この男がタイムトラベラーであるということは、確定していい事実らしい。

「どうやら話を聞く限り、女、お前も俺と同じ未来人のようだな。どの時代から来たんだ?」
「あんたにそれを言う義理は無いわ」と原田さんは言った。「それよりも鈴江君、この男が君を殺したがってる理由にも見当がついてるみたいだけど、訊いてもいいかしら?」

「ええ、理由がいくつかあって。まず彼は僕に、ロバート・オッペンハイマーという科学者についてどう考えるか訊いたんです」
「ロバート、、、オッペンハイマー?」と先輩が訊いた。
「原子爆弾を、世界で最初に製造した科学者です」と僕は言った。「それから彼は、僕のことを罪だの悪魔だの穢れた魂だのと非難しました。粛清してやるとまで、、、」
「つまり?」と原田さんは眉をしかめて言った。

「そこまで言われなければならないほどのことで、実際に殺意を持たれるほどのことを、未来の僕が本当にしてしまったのだとしたら、、、。まさかとは思うし、考えたくもないことですが、もしかしたら僕は、未来でロバート・オッペンハイマーのような科学者になってしまったんじゃないかって、、、」

 一瞬の沈黙が訪れた。
その沈黙を最初に破ったのは、男の方だった。
「自らの罪を、自分で暴くとはな。鈴江稔」と男は言った。「そうさ、全てお前の言う通りだ。お前は未来で、とある新型爆弾を開発した最悪の科学者だった。そして、お前のせいで俺は故郷を奪われた。家族も恋人も友人も、全てを失った。お前が、俺の全てを奪ったんだ」


(つづく)次回・最終話

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