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日本は香港の人々の生活に取って身近な存在になった

時は25年前。場所は上海。

上海駅前の広場にある商業ビル内の大きなレストランで、リボンカットセレモニーが行われようとしている。ハサミを持っているのは上海市の副市長。集まった100人ほどのゲストから一斉に拍手が起こる。そしてクライアントは練習してきた中国語で、感謝の辞を述べ、乾杯の音頭を合図にレストランのスタッフが料理を運んで来る。あちこちで乾杯の音頭、「おめでとう」と「ありがとう」を繰り返し、頬を紅潮させているクライアント。自らの席も設けられているが、広告代理店の担当はあらゆる事が気になってしまい、座ってもいられない。ようやく隅の方でスタッフと一緒にビールを一杯。ようやく、夜6時からクライアントの企業ロゴを冠したネオンが上海駅前で稼働し始める。

繁華街、空港、高層ビル。大都市の著名な場所にネオンサインやビルボードを掲げることは、デジタルメディアでのコミュニケーションが隆盛となった今でも、多くの人にリーチすることが出来る。同時に、企業のステータスを示す効果がある。もちろん、年間の媒体料は場所やサイズによるが、日本円にして何千万円にもなる。最近では単純なネオン管や静的なビルボード?に加えて、新素材を用いて動画を流したり、データやARを使いデジタル媒体との親和性を高めてきている。

日本を出て、上海そして香港で仕事をするようになってから、冒頭のクライアント(精密機械の企業)に再びネオンサインを紹介することができた。そう、冒頭の広告代理店の担当者は25年前の僕だ。

その後、自分の会社を立ち上げてからは、クリエイティブやプランニングの仕事が中心となる。屋外広告は、キャンペーンで使う二階建てバスのラッピング、地下鉄のライトボックスなどとなり大きなネオンを扱うことは無くなった。けれども香港のビクトリア・ハーバーの有名なスカイラインの立ち並ぶネオンサインを見ると、駆け出しだった広告マン時代を思い出されて、いつも感慨深い。

そして屋外広告が企業のステータスだという事実を考えると、あの頃の日本企業の勢いは凄かったと思う。

日立、サンヨー、東芝、キヤノン、パナソニック、リコー、セイコー、シチズン、カシオ。三菱、NEC、コニカなどもあっただろうか。*日立のネオン広告(1986~2016)の終了を告げる日経新聞の記事

なのに、今では、香港で屋外広告を出し続けているのは「パナソニック」だけだ。まるでForbes100。企業が元気だから、あるいはパワーアップしている産業だから広告を大きく展開できる。今の香港を賑わしてるのは、金融や保険、中国企業になっているのも必然だろう。

そして、外国にいることはその国で日本がどんなステータスにいるかの移り変わりを知ることができる。日本のプレゼンスは25年前のように日系企業の大きな屋外広告が示しているのではなく、どこにでもあるラーメン屋や、あらゆる種類が手に入る日本酒やお米、日本と変わらない値段の果物、破竹の勢いを見せるドン・キホーテなどが示すように変わったのだと思う。これを悪い話ではなくて、日本は、より、香港の人々の日常生活に入り込んだのだと考えよう。つまり、ネオンの数が何だ。笑

日本はまだまだイケる!僕はそう思って、クリエイティブな立場から日本の企業を応援している。そう、ここ、香港で。


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