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先生って呼ばないで~~~😵

お疲れ様です!オーストラリア在住6年目保育士のぴぃです。

いつも永遠のようにながーーーい記事ばかりをあげているので、今回は少し軽め、短めにオーストラリアに来て自分が変わったなーとふと思ったことについて書こうと思います。

テーマは先生、子どもの呼び方。

ふと思ったきっかけはSNSでみた保育園でのお子さんの呼び方、さん付け?ちゃん、くん付け?あだ名?それとも呼び捨て?というご質問の投稿でした。

私が思ったことはそれとはまーったく関係なく、先生として、子ども達からの呼ばれ方についてです。

日本では先生のこと、「先生」って呼びますよね。
特に先生が教室にら1人しかいない場合、名前を付けずにただ「先生」と呼ぶことが多いと思います。保育園では先生が一人しかいないという状況があまりないので名前➕先生で呼ばれることが多いのではないのかと思います。私自身も日本で働いていた時には苗字➕先生で呼ばれていましたが、一対一の時や子どもによっては「先生」のみで呼んでくれる子もいました。

私はオーストラリアに来るまでの27年間、これになんの違和感も感じていませんでした。

オーストラリアに来て語学学校、保育の学校に入り先生の事は名前で呼んでいたのですが日本人の同級生で先生を「Teacher」と呼んだ人がいました。その当時の私としてはまぁなんとなくわかるなぁとぼんやり思っただけでした。

しかしながらその時の先生のリアクションは 

「何その呼び方??なんか変だからやめて!私には名前があるんだから名前で呼んで。」というものでした。そうなのか、オーストラリアはそういう感覚なのか・・・とこれまたなんとなく思っただけでした。

それから早5年。

オーストラリアの保育園で働き始めてからのほとんどをトドラーズ(1歳半〜2歳半程度)で過ごしてきたのですが基本的にお話が上手な子にはMissぴぃ、まだお話ししはじめの子にはぴぃと呼ばれてきました。

そんな私が先日とある理由からキンディークラス(3歳〜5歳の混合)に移動しました。その中の多くの子は私が昨年少しの間だけいた2、3歳児クラスから上がってきた子たちです。

私の名前は覚えているはず・・・でもいるのです。「Teacher」と呼んでくる子。私が始めてそう呼ばれた時にとっさに思ったことは

え・・・私の名前、覚えてる・・・よね? 

でした。はじめはまず子どもに答えてから「私の名前はMiss ぴぃだよ」と伝えていましたが一月経った今、先生なのにおとなげない私はTeacherと呼ばれた瞬間

"What's my name?"


とまず答えてしまいます。

この感覚がこちらで一般的なのかはわかりませんが私の名前を知っているはずだし、そうであれば名前で呼んでほしい。名前を知っているのに名前で呼ばないことは無礼にすら感じてしまいます。オーストラリア育ちの別の保育士が同じ応答をしているのを見たことがあるのでおそらく私だけの感覚でもないのだろう思います。

今なら私たちの保育の先生の気持ちもよくわかります。私も変わったものです。

と、ここまでが私の感覚が変わったものだな。というプチコラムです。

これだけではあまりに内容が薄すぎるので前述のSNS上で拝見したご質問への個人的な意見を、SNSにコメントもさせていただいたのですがこちらにも書かせていただこうと思います。

そのご質問に対する他のコメントでは、

子どもの人権を重んじるためにちゃん、くん、さん付けが当たり前。あだ名、呼び捨てなんてもっての外。というご意見や、先生と生徒は平等であるべきなのでうちの園では生徒、先生がお互い呼び捨てで呼び合っています。というご意見もありましたし、さほどのこだわりはなく時々による。という方々もいらっしゃいました。

まず私が日本で働いていた時、始め私は子どもたちをちゃん、くん付け、もしくは略称にちゃん、くん付け。(けんたくんをけんちゃんなど)もしくは保護者さんが呼んでいるあだ名で呼んでいました。その後園の方針が変わり名前を省略せずにちゃん、くん付けで呼ぶようになりました。

これについては、小学校低学年くらいまではこのようなルール付けがあってもよいのかなと思っています。

しかしながら本来は呼び名というのは常識の範囲内であれば呼び合う本人同士の性格、関係性などで決まるべきものであり、呼ばれる本人さえ不快に思わないものであれば園や学校の方針でさん付け、呼びすてなどを決められるべきではないのではないかというのが私の意見です。

ちなみに数年前に聞いた男女平等を意識して性別に関わらずさん付けをする。というのもいまいちしっくりこないように感じています。(これを書きながら観ていたワイドショーでも偶然同じ話題が出ていたので現在でもこれを行っている学校は少なからずあるようです。)男女平等というものは名前の呼び方で表現しなくても良いようよう思いますし、教員の方のキャラクターによってはさん付けで呼ぶことで生徒との距離感に影響が出てしまう方もいるように思います。

生徒同士にも呼び方のルール付けをしている学校もあるとのことなのですが、個人的にはこれこそお互いをどう呼ぶかは子どもたち自身がそれぞれの関係性を鑑みて判断することであり、社会に出たら相手の性格、関係性によって自らの判断で対応を時には変えなければならない、トラブルがあれば自ら対策しなければならないということを学校という小さな社会で訓練するひとつの機会を奪ってしまっているようにも感じます。

小学校低学年くらいまではルール付けもありかもしれないと書いたのは、子どもの個性やキャラクターがはっきりとしてきて、かつ他者のキャラクター、関係性などをほとんどの子どもが理解でき、個々の判断で呼び方、呼ばれ方の良し悪しを意識できるようになるのが小学校中学年くらいからではないかと思うからです。

ただこういった議論がなされる以前の時代にフレンドリーを履き違えて常識を逸脱したあだ名で生徒を呼んでしまう教員がでてきたり、あだ名を使ったいじめを防ぐためにルール付けをしなければならない現状もあるのだろうと理解しています。

先ほども少し書きましたが、正直にいうと後者に関してはそれが起こってしまった時に嫌だと伝える、悩みながらもどうにか解決する、解決できなかったら先生などに助けを求める。なども大事な勉強なのではないかなというのが本音です。

ちなみにオーストラリアで保育をしている現在私がどのように子ども達を呼んでいるかというと英語という言語の性質上名前のみで呼ぶ、略称で呼ぶ、(Stephanie→Stephなど)名前や略称にyの発音をつける(Steph→Stephie)などのあだ名のようなもので呼ぶなどが主流です。時によってはHoney, Sweetheart, darling など英語特有の呼びかけをすることもあります。感覚としてはyの発音をつけて呼ぶのが日本でいうちゃん、くん付けに近いのかなと思います。

子どもの人権を重んじるという点では苗字で呼ぶのではなくファーストネームで呼ぶということがそれに当たると聞いたことがあります。フルネームで呼ぶことはあります。

また、先生の呼び方なのですが少なくともオーストラリアでは生徒と先生はある程度意見を言える間柄であっても先生には敬意を表してMiss, Mr, Mrsをつけて呼ぶのが基本だと思います。個人的にはフレンドリーかつ尊重し合うべき間柄であってもあくまで先生、生徒の間には一定の距離があってしかるべきで完全に平等である必要はないのかなというのが私の意見です。

最後に日本、オーストラリアの二カ国、二言語での保育、教育、生活を経験してきた身。という視点からお話しするとくん、ちゃん、さん付けは日本語という言語だからこそある一つの素晴らしい日本文化だと思うので、海外は呼び捨てが当たり前だから日本でも呼び捨てにするべきというのも違うように思いますし、英語圏は例えば上司、部下でも名前で呼び合うフレンドリーな環境で上下関係がゆるい。というイメージがあるかと思いますが、フレンドリーではありますし、上下関係も日本のそれとは種類が違うものではありますが、上司である、部下である。という線引きは時に日本以上に明確であることもあるので名前で呼び合うことで全てが平等になる。というのも違うのかなと考えます。

教育者として大事なのは相手の立場、性格、相手との関係性によって違いを認め、呼び方を含め対応をフレキシブルに変えていけるような順応性を育てることなのではないかな。と日々考えています。


文責:ぴぃ

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