「ただ行ってみたくて」ポーランド編⑥
『ショパンの手に魅了される』
飛行機に乗れば酔い、枕が変われば、眠れない、食べなれない物を口にすれば、お腹を壊す。そんな軟弱者だが、知らない場所には行ってみたい。冒険などではない、旅と呼ぶのもおこがましい、理由などない、ただ行ってみたいだけだ。
今回は、馴染みの薄いポーランドへ。美人に浮かれ、ビールを飲みまくり、料理に舌鼓をうつ、そしてアウシュビッツでは考え込む。ひたすら自由でテキトーな8日間の旅行記。
ポーランド旅行記⑥
「ちょっと誰かに訊いてよ、ショパンの手がある場所」
妻がイライラしながら言う。
地下から3階まで隈なく博物館の中を見てまわったというのに、肝心のショパンの手を見ていなかった。
いったいどこにあるのだろう。ショパンの手を実際に形どって複製したデスハンドだ。みんな見たいに違いない。ならばそこには人がたくさん集まっているはずだ。
だが、それらしき場所はなかった。もしかして博物館の目玉として個別の部屋に展示されているのかもしれない。
「ウェアーイズショパンズハンド?」
僕は一階の入り口に立っている係の人に尋ねた。するとすぐに、三階にある、と教えてくれる。
はて、三階にそれらしき部屋などなかったはずだが…。僕らは首を傾げながら、もう一度三階へ上がって行った。
どこだろうか?すると、奥に小部屋のような場所があった。やはりショパンの手は別室に展示されていたのだ。
中に入っていくと熱心に見ている人たちがいた。やっぱりここか!
僕らは人をかき分けて前に進み出た。するとそこには石膏で作られたショパンのデスマスクがあった。
なるほど、これがショパンの顔か、と思うも、目を閉じている顔は、なんだか魂が抜けているようで、よくわからない。これなら肖像画の方がよっぽどショパンの繊細さを表しているように思う。
それよりもピアノを実際に弾いていた手が見たかった。だが、デスマスクのそばにあると思っていたショパンの手が見当たらない。
あれ、どこにあるんだろう。前後左右の展示物を眺めるも、それらしき物はない。
「もう一度訊いてよ」
妻に言われて、仕方なく、近くにいた係員に尋ねる。
今度はしっかり伝わるように、自分の手を見せて、ショパンズ、ハンド、と言う。
すると、今度は地下にあると言うではないか。
おい、おい、さっきの人が三階だと言ったのはなんだったんだ。
仕方なく、僕らはもう一度地下まで降りることにする。しかし、先程地下の展示物を見て回ったが、そこにもそれらしき物はなかったはず。
「ほら、もう一回訊いて」
妻に言われて、またも地下の係員に尋ねた。今回も、手を見せることを忘れない。
「ウェアーイズショパンズハンド?」
すると、係員の男は、こっちだ、と僕らを連れて行ってくれる。
それは楽譜などが展示された部屋の隅の一角だった。
「え、どこにあるの?」
またもや、違う場所に連れていかれたのかもしれない、と思っていると、展示品のもっとも端に、ショパンの手はあった。
どうやら、ショパンの手は、僕らが思っているような目玉の展示品ではないようだ。
誰も見入っている人などいなかった。
なんだよ、これ、といった感じで展示されていた。でも、ショパンの実際のデスハンドを見て、僕らは溜息が漏れた。僕は幼少の頃からピアノを弾いていたとか、将来はショパンコンクールに出たかったとか、そんなことはもちろんない。ショパンの曲を知っていても思い入れも何もないくらいだ。
だが、その細っそりとしたショパンの手には、なぜだか感心するところがあった。結核で亡くなったショパンは死の間際に痩せ細ってしまって、たぶん本来の指の太さではないのかもしれない。それでも指の長さは変わるまい。
この指からショパンの曲がつむぎ出されたのか...
手は顔よりも、その人の年齢を表すと言うが、どうやら生き様も表しているらしい。
隣を見ると、妻も僕と同じような気持ちだったのかもしれない。ショパンの指をじっと見つめていた。
しかし、疑問は、どうしてここにいる観光客たちは、このショパンのデスハンドを見に来ないのか、ということだ。
もしかしたら、みんなその存在を知らないのかも、と思えるほどに誰もいない。ちゃんと日本のガイドブックには載っていた。
おいおい、ロンリープラネットには載ってないの?本気で聞きたくなりました。
やれやれといった感じで、ショパンの手から離れると、奥に映像を見せる部屋があるのに気がついた。防音になっているのだろう、外からは何が行なわれているのかわからない。
僕はそっとガラスの扉を開けて中に入った。そこではショパンコンクールの映像が流されていたのだ。
画面に映るのは、日本人だろうか、よくわからないが、アジア人であることは確かだ。黒髪の若い女性が一心不乱にピアノを弾いている。
そのテクニックも凄いが、僕が見入ってしまったのは、その彼女の表情だった。
もう完璧に何かが乗り移っているとしか思えないほどに、陶酔しきっていた。そこにはコンクールに対する緊張など微塵もなく、かと言って楽しんでいるとは到底思えない、言うなれば人間の業を背負って、ピアノを弾いているような感じだったのだ。彼女がこの舞台に立つまでに、どのような苦労と苦悩を味わったのかわからないが、その一部を目の前で見せられているのは確かだった。
もう見ていられない、と僕は席を立った。
僕にとって彼女の姿は憧れや賞賛ではなく、恐怖に近いものなのかもしれない。
ああ、あ、ため息が出る。
外に出ると、雨がやんでいた。
自分がつくづく凡人だと思えた。だが、それで良かったとも思う。
さぁ、ビールでも飲みに行こう、凡人らしく気を取り直すことにした。
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