『おさがりの赤い自転車』(短編小説)
(あらすじ)
姉からゆずり受けた赤い自転車が、大嫌いだった……自転車と友達、まだ僕らが何者でもなかった頃のコンプレックスをめぐる小さな物語。
『おさがりの赤い自転車』 上田焚火
小学3年生の時、僕は二歳上の姉から赤い自転車を譲り受けた。少し錆びた女の子用の赤い自転車。僕はその赤い自転車が大嫌いだった。
小学生にとって自分の自転車は特別な存在だった。それは、歩いて行ける近所しか知らない僕らの狭い世界を、大きく広げる道具だったからだろう。
当時はギア付きのサイクリング自転車が発売されたばかりで、友達の何人かは5段変速、後部ウインカーまで付いた最新式の自転車を持っていた。
しかし、僕のは姉からのお下がりの赤い自転車である。
その頃の僕はクラスの勢力争いの渦中にいて、ボスの座を手中に収めようとやっきになっていた時期で、その僕が女の子の乗る赤い自転車だなんて、クラスの友達に知られたら、評判はガタ落ちである。
「赤は女の色だから、新しい自転車を買ってよ」と僕は父親に何度もお願いした。
しかし、父はその度に同じことを言った。「赤は女の色じゃない。お前の大好きな赤レンジャーの色だろ」と。
新しい自転車が買ってもらえないとわかると、僕は赤い自転車を徹底的に無視した。友達にサイクリングに誘われても、学区外への虫採りに誘われても、「自転車を持っていないから行けない」の一点張りである。
ただ、家から遠く離れた学習塾に通う時だけは、自転車に乗らなければならなかった。そんな時は、クラスメートに見られないように、ひたすら裏道を走り、塾にたどり着く前に公園の木の下に自転車を隠すなど、人知れず涙ぐましい努力を行っていた。
そんな訳で、遊ぶ友達も自転車を持っていない者に限定された。その一人がT君だった。自転車を持っていない二人は、遠くに行くこともなく、どちらかの家で遊ぶことが多かったように思う。
ある休みの日、僕はT君の家をふいに訪問したことがあった。しかし、あいにく彼はスイミングスクールに出掛けていなかったのだ。彼の母親の話では、もうすぐに帰ってくるとのこと。僕は玄関の前で、彼が帰ってくるのを待つことにした。
待つこと五分。通りの向こうから、T君が現れた。
その時、僕は自分の目を疑った。T君は持っていないはずの自転車にまたがっていたからだ。
T君はバツが悪そうに、僕の顔を見ようとしない。そして言い訳をするように口を開いた。
「これ、姉ちゃんのお下がりなんだ」
僕はなんて言ったらいいか、わからなかった。T君も僕と同じように、姉から譲り受けた赤い女の子用の自転車に乗っていたなんて。
T君の顔は恥ずかしさで真っ赤にそまっていた。僕は言わなければならないと思った。
「Tくん。実は俺も姉ちゃんのお下がりなんだ」と僕がそう言うと、T君はすぐに全てを理解したようだった。ようやく顔を上げて僕の方を見てくれた。
「今度一緒に自転車で虫採りに行かないか、俺、穴場を知ってるんだ」とT君は日焼けした顔をほころばせて言った。
その日、僕は人生で初めて本当の友達ができた。お互いに絶対に他人には見せたくない部分を見せあえた結果だろう。それは親にも、姉にも、誰にもわかってもらえない僕らの恥部の共有だった。
人は誰にも見せたくない部分を必死で隠しながら、それと同時に誰かにわかって欲しいと痛切に願う不思議な生き物である。
その後、赤い自転車がどうなったのか、よく覚えていない。だけど、あの日、二人で赤い自転車に乗っていった虫採りのことを、僕は今も忘れていない。
その日は、雲一つない、よく晴れた日だった。
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