夫婦円満は、対等よりも上下関係⁉︎
飛行機に乗れば酔い、枕が変われば、眠れない、食べなれない物を口にすれば、お腹を壊す。そんな軟弱者だが、知らない場所には行ってみたい。冒険などではない、旅と呼ぶのもおこがましい、理由などない、ただ行ってみたいだけだ。
今回は、馴染みの薄いポーランドへ。美人に浮かれ、ビールを飲みまくり、料理に舌鼓をうつ、そしてアウシュビッツでは考え込む、ひたすら自由でテキトーな8日間の旅行記。
ポーランド旅行記⑤
心もとかす甘いホットチョコレートドリンク。
寒い。現地時間の午前六時すぎ、寒さで目覚めた。昨夜はなんとか午後十時までワールドカップのおかげで起きていることができた。試合終了のホイッスルとともに、テレビを消して寝落ちした。
だが、熟睡は長く続かなかった。
相当疲れていたので、ぐっすりと朝まで眠ってしまうかと思ったが、寝て三時間ほどで目が覚めてしまい、しばらく寝付くことができなかったのだ。
いったいどうなっているだろう。時差ボケが抜けないのか、加齢のために眠りが浅くなったのか。それとも枕が変わって眠れないだけか。
それでもなんとか、午前四時過ぎにもう一度眠って、起きたのが今だ。
ホテルの部屋の中だというのに、朝方はさらに冷えこんでいた。いったい何度なのだろう。十度を下っているのかもしれない。体が寒さに慣れていないこともあるが、余計にこたえる。
鼻水がでる。風邪でもひいたのだろうか。クシャミが止まらない。後頭部もなんだか重い。身体の中心がシャキッとせず、寒さが奥の奥まで侵入してくるようだ。
もう一度ベッドに潜り込んで丸くなるが、ちっとも暖かくならない。
どうしたものだろうか。お風呂で温まろうかとも考えたが、生憎バスタブがない。シャワーだけなのだ。
安いホテルに泊まっているのではない、ヒルトンに泊まっているのに。
ちなみにないのはバスタブだけではない。冷蔵庫もこのホテルにはない。おいおい、もうどうかしている。
確かにポーランドの夏は、そんなに暑くならないのはわかった。なにせ、六月の末でこの寒さだ。でもバスタブか冷蔵庫のどちからは置いてほしい。ヒルトンなんだから。
今さらジタバタ騒いでも遅い。すでにホテルを選ぶときにわかっていたことだ。
でも、こんなにもワルシャワが寒いとは知らなかったのだ。
僕はベットから起き上がると、着ている薄手のセーターの上にフリースを羽織り、フードをかぶった。これで首元が暖かくなった。
カーテンを開けて外を眺めた。すっかり夜は明けていた。日没は午後九時過ぎで、日の出は午前五時前なのだろう。なんて日が長いことだろう。同じ二十四時間なのに、どこか得した気分になるのはなぜだろうか。
しかし、こう日が長いと不眠症の人も多いに違いない。なにせ夜が来るのは遅いし、眠ろうとしても、すぐに夜が明けてしまうのだ。
「どう、今日の天気は?」
と妻が起き出して尋ねる。
窓の下には、駅へ向かう人たちが見える。どの人も傘をさしていた。どうやら今日も雨みたいだ。
「今日も駄目みたいだな」
「どうしちゃったの、あなたらしくもない」
僕は典型的な晴れ男で、僕の行くところ太陽は照り輝き、嵐は恐れをなして逃げて行く、とまでは言わないまでも、今までの旅行では数々の奇跡を起こしてきたのを、妻もよく知っていた。
そう、僕は金運も、女運も、出世運も、仕事運も、勝負運も、ありとあらゆる運を持っていない。それは認める。だが、こと天気運だけは恐ろしいほどに持っていたはずだ。
それが、この旅行では通じないのだ。僕はどんどんワルシャワが嫌いになっていくの感じた。
「今日の予定はどうなってるの?」
と妻が尋ねる。
「ここワルシャワにはさ、ワジェンキ公園っていう森みたいに広い公園があってさ、そこでは日曜日に無料のショパンコンサートが開かれるんだ。公園の芝生の上で思い思いの格好で、ビールやワインを飲みながら、ショパンのピアノ曲を楽しむんだ」
「でも、雨じゃだめでしょ」
そう、僕は残念で仕方がなかった。土曜日に到着して、日曜日はまるまるここワルシャワを堪能するつもりだったのだ。本当に日程も完璧だった。それがこの天気のせいで何もかも台無しだ。
「ああ、どうしようかなぁ」
ホテルで朝食を済ませると、 Tシャツを重ね着し、薄いセーターの上にフリースを着た。取り敢えずはこれで大丈夫だろう。妻には薄いナイロンのトレーニングウエアを貸した。もしかしてジョギングするかも、と持ってきていたのが、こんなところで役に立った。
外に出てみると、昨日よりも気温が低いように感じる。
何度も言うが、もう六月も末だ。これじゃ冬と変わらない。せっかく初夏のヨーロッパを楽しもうと考えていたのに。
もうどうでもいい気分になっていた。フリースのパーカーを被り、折りたたみの傘をさす。
駅前だというのに、相変わらず人通りはない。日曜日だからだろうか、カソリックの国ならそれもあり得る。車もほとんど見ない。タクシーに乗ろうとしても無理だろう。
さて、どうしようか……こう寒くては散歩する気にもならない。ホテルを出てすぐにカフェに入るのもなんだが、仕方がない。
僕らは特に行く場所もないので、チョコレートドリンクが飲めるカフェに行くことにした。
「なんて名前の店なの?」
「ええ、なんだけ…」
妻に尋ねられて、僕は言い淀んだ。
だが、それも仕方がない。店の名は、エー•ヴェテル • ピヤルニャ• ショコラディと言うのだ。どうしてこんな長い店名をつけたのだろう。僕なんかガイドブックを見てもちゃんと店名が言えない。
僕らは、そのエー • ヴェテル• ピヤルああ、もうヴェテルの店でいいかも、に向かうことにした。
このヴェテルというのは、ポーランドで有名はチョコレートメーカーだそう。そのヴェテルがチョコを直接販売し、その奥でカフェを営業しているというかたちだ。
店の作りはいかにも老舗といった趣で、重厚な建物の中の一階にあった。
どうやらここは観光客に人気のある店のようで、すでに何組かの年老いた欧米人で席は埋まっていた。
すぐにウェイターがやってきてメニューを置いていく。普通にコーヒーも注文できるが、ここはまずチョコレートドリンク、それもホットで頼みたかった。
だが、僕の注文をよそに、妻はここでもアイスのチョコレートドリンクを飲むらしい。ただでさえ寒いというのにだ。
妻の内蔵は強い。一方、すぐにお腹を壊す僕は、夏でもホットの飲み物しか飲まない。いや、飲めない。
僕の持論では内蔵の弱い奴に、喧嘩が強い奴などいない。ここからも僕らの夫婦関係がわかる。強い嫁と弱い夫。だが、意外にも夫婦仲はいい。
僕は彼女と結婚するまで、何人かの女性と付き合ったが、いずれもうまくいかなかった経験がある。よく喧嘩もした。それは彼女たちとの関係が対等だったからだ。
だが今は違う。妻とは完璧なる上下関係が出来上がっているので、喧嘩にならない。いや、正確にいうと喧嘩できない。皮肉なことに、それが夫婦円満につながっていた。う〜む、愛に正解などないんですね〜。
すぐにホットとアイスのチョコレートドリンクが運ばれてきた。
ちょっと見た感じでは、ホットココアと言ったところか。だが、一口飲むと、その濃厚なチョコレートの甘さに舌がとろけそうになった。これはココアでは出せない味だ。
甘い、とにかく甘い、だが、決して薄っぺらな安い甘さではない。上質なチョコレートをトロトロに溶かしたまろやかさがあった。
思わず顔の筋肉が緩む。僕は甘い物にも目がない。
甘い物は、本当に心を豊かにする。ほっと和ませる力を持っている。
ヨーロッパに来て、羨ましいと思うのは、こちらでは中年の男でさえ、堂々と甘いものを食べていることだ。
よく見かけるのが、スーツをカッコよく身につけた男が、ジェラートをペロペロと舐めながら歩いている姿だ。
また、そのカッコいいこと。僕ら日本人がこれを真似しても、絶対にカッコよくならない。
おい、おい、オジサンがアイスクリーム食べながら歩いているよ。子供じゃないんだからさ、みっともない、となる。
ホットチョコレートを堪能すると、体も底から暖まってくる。そこで今度はアイスのチョコレートドリンクも飲んでみたくなる。
僕は妻に頼んで、一口もらう。氷が砕かれて入っているのか、ホットよりも甘さが控えめになっている。これがまた絶妙で、すっきりと仕上がっていた。
ホットが甘すぎると感じるなら、これもありかも。
窓の外は、まだしとしとと雨が降っていたが、僕は心も体もポカポカと暖まっていた。そして元気も出てきた。
さて、どこへ行こうか、ガイドブックをペラペラとめくってみると、歩いてすぐの所にショパン博物館があるのがわかった。
会計を済ませるために、ウェイターに声をかけた。ウェイターは、現金かカードか、どちらで支払うのかと尋ねてくる。
僕は迷わずカードで支払うと言った。今まではどこでも現地の通貨で支払っていたが、今回はヨーロッパということもあって、何もかもカードで支払おうと考えていたのだ。
ヨーロッパでは、ほとんどどの店でもカードを使うことができるし、両替するよりも利率がよかった。ただ注意するのは、日本の円で支払っては意味がなく、ポーランドのズロチで支払わなくてはならないことだ。
それにしても、ズロチという通貨は初めて耳にする。ポーランドはユーロ圏ではあったが、通貨は独自だった。だが、そのおかげで物価は安い。一ズロチは約三十円だ。ちなみにホットチョコレートは十五ズロチ、約四百五十円ということになる。
カードでの支払いを終わらせると、僕らは店を出た。外は依然として雨が降っていたが、気分は悪くなかった。
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