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「ただ行ってみたくて」ポーランド編③ショパンの心臓

飛行機に乗れば酔い、枕が変われば、眠れない、食べなれない物を口にすれば、お腹を壊す。そんな軟弱者だが、知らない場所には行ってみたい。冒険などではない、旅と呼ぶのもおこがましい、理由などない、ただ行ってみたいだけだ。

今回は、馴染みの薄いポーランドへ。美人に浮かれ、ビールを飲みまくり、料理に舌鼓をうち、アウシュビッツでは考え込む、ひたすら自由でテキトーな8日間の旅行記。

ポーランド旅行記③ ショパンの心臓

寒い、六月も末だというのに、この寒さはなんだろう。ホテルから薄いセーター一枚で出てきたことを後悔していた。

気温はどのくらいだろう。十五度くらいだろうか。いやもっと低いかもしれない。日本でいうと三月末から四月の初めの頃の気温と変わらない。

空を見上げるとワルシャワの空はどんよりと曇っていた。天気予報によるとしばらく曇天の日が続くらしい。

ひゅー、と風が吹き抜けて行く。ワルシャワの中心部にいるというのに、ほとんど人がいない。中央駅の前は道路の幅が百メートル以上ある。高い建物があまりないために余計に物悲しい雰囲気が増していた。

これがこの国の首都なのだろうか。駅には大きなショッピングモールがあり、目の前には立派にそびえ立つ文化科学宮殿はあるが、日本の新宿や渋谷とは大違いだ。

「なんだか、日本の地方都市みたいね」と妻が言う。

本当に車も人も少ない。それに反比例して空は広い。高い建物がないために風の通りがいい。僕は寒さで体を震わせていた。

「どうしよう。セーターはこれ一枚で、機内用に持ってきたフリースが一枚あるだけだ」

「どこかで上着を買った方がいいかもね」

妻も防寒になるような服はほとんど持ってきていなかった。

街を歩く人を見ると、薄いダウンジャケットを着ている人もいる。

どこかでビールでも飲もうと考えていたが、こう寒くてはたまらない。服を買おうとショッピングモールに向かったが、店には防寒になるような服は売っておらず、並ぶのは夏服ばかりだ。

困ったことになった。それでも僕らは旅行に来た高揚感からか、ホテルにこのまま戻るのは嫌だった。

十五分ほど歩けば、ワルシャワで唯一の観光地と言ってもいい旧市街があるはずだ。そこへ行けば軽く飲める店があるだろう。

僕らは寒さに耐えながら、進むことにした。歩いていてすぐに気がついたのは、ワルシャワの街には信号機がすくないことだ。さすがに大きな通りには信号機がついているが、日本のようにどこにでもという感じではない。

これは街を歩くのは大変かもしれないな、と同じように信号のない国であるベトナムのことを思い出していた。あの国では、車が走っていても、どんどん車道に踏み出していかなくてはいけない。そうしないと一生渡ることができないのだ。

だが、そんな思いも杞憂に終わった。この国では信号機のない横断歩道を渡ろうとすると、必ず車が止まってくれるのだ。

初めは、なんて心優しい人たちばかりなんだろう、と思っていたが、すべての車が減速して止まるところをみると、法律で決まっているのかもしれない。

止まった車の運転手は、にっこり微笑んでくれることもあるが、明らかに、はやく行けよ、といった顔をしているドライバーもいたからだ。

ワルシャワの街には、ほとんど日本人がいなかった。それどころかアジア人さえ見かけない。

道を行く人は、誰もが背が高く脚が長い。この国に住むのは九割以上がポーランド人だ。移民はほとんどいない。肌が白く、金髪で、目は薄いブルーグレーだ。美しい女性が多いとは聞いていたが、美しい男性が多いのには驚かされた。美の基準がここにあるとすると、日本人などは到底太刀打ちができないだろう。

僕は街行く人たちをジロジロと見ていたが、ワルシャワの人たち、特に子供たちは、小柄で黒い目をした日本人が物珍しいのか、僕のことジロジロと見てくる。

たぶん、こいつチビだけど、大人なのかよ、とでも思っているに違いない。

こんなとき、どこから来たんだ、と問われることが本当に辛い。

もし僕が、日本からだ、と言ったら、そこでは僕が日本人代表になってしまうからだ。チビで坊主頭の僕が日本人の典型ではない。日本人にも、もっとステキな背の高い、誇らしい人はいるんだよ、と言ってやりたいのだが、目の前にはいるのは、この貧相な僕だけである。

日本のみなさん、ごめんなさい、本日、ここでは僕が日本人代表です。

そこにいくと妻は背が高くてスタイルもいいし、黒髪も美しいので、日本人代表としても誇らしい。

必ずヨーロッパに行くと、僕は夫ではなく、弟に見られる。そんなときは、悪かったな、チビな男が夫で、と心の中で悪態をつくしかない。

しばらく歩くと、バーやお土産屋が連なる通りが出てきた。ここが旧市街につながる新世界通りだった。

寒空ではあったが、観光客が行き交う通りには活気があふれていた。

すぐに妻の目が輝いた。彼女は観光地のマグネットを集めるのが趣味で、すでに百個ほど持っていた。

もちろんワルシャワでも、何個かステキなマグネットを買うつもりだった。

妻はすぐに店を見つけて、中に入って行く。ヨーロッパの観光都市のマグネットはアジアと違いよくできていた。精巧で作りがしっかりしているのだ。

お土産屋の店主は中年の女性で、ハロー、と軽く挨拶するだけで、グイグイ売り込んだりはしない。そんな商売っ気のないこともよかった。
妻は落ち着いてゆっくりとマグネットが選べることに満足しているようだ。

妻は三つほどマグネットを買った。何やら十字架を掲げた王様らしき人物の銅像が街のシンボルらしく、どのマグネットにも街の名所と共に彫り込まれていた。

旧市街の中心地に向かう参道のような道を僕らは進んだ。今朝まで日本にいたことが信じられなくなる。レンガ作りの建物と足元に続く石畳は、僕らがヨーロッパの国いることを意識させた。

どこからかショパンのピアノ曲が流れてきた。そう、ワルシャワはショパンの生まれ故郷なのだ。

音の出所は、道路の脇に設置された大理石で作られたベンチだった。そこには金髪の幼児が座っており、ボタンを何度も押して喜んでいる。
ワルシャワの旧市街には、このようなショパンの曲が聴けるベンチが何個か設置されているらしい。

たしか、ショパンの心臓が埋葬されている教会がすぐそばにあるはずだ。

あいにく外観が工事中でその美しい建物が見えないが、目の前に聖十字教会があった。

僕らは立派な扉を開けて入っていった。中からはパイプオルガンの調べが聴こえる。黄金に彩られた祭壇が立派な教会だ。

どうやら何かミサのようなものが行われているらしい。僕らは邪魔しないようにそっと内部を見てまわった。

「ねぇ、ところで、どこにショパンの心臓はあるの?」

確かにそうだ。教会の中をぐるりと見て回ったが、どこにもそれらしい物はなかった。ガイドブックで調べると中央の通路の真ん中あたりの柱が、そうらしい。

ミサを邪魔しないようにそっと近付いて、イスに座って眺めると、確かにそこにショパンと書かれた文字があった。この柱の中にショパンの心臓が埋まっているのか、と思うと感慨深い、と同時になぜ心臓だけが、という思いが浮かぶ。

それはポーランドの歴史に関係していた。
二十歳まで、ここワルシャワにいたショパンは、活躍の場所をウィーンに求めたが、うまくいかず、最終的には父親の故郷であるパリで活躍したそうだ。

成功したショパンは故郷への思いを募らせながらも、当時、帝政ロシアに支配された国に帰ることが出来ず、三十九歳という若さで亡くなってしまう。そのときせめて心臓だけは故郷に埋めて欲しいと、姉に頼んだそうだ。

ポーランドという国は、その地理的な条件から常にロシアとドイツに翻弄されてきた。それはショパンでさえ例外ではなかったのだ。

そのとき突然、どかどかと観光客の一団が入って来て、教会内の静寂を乱した。声が大きい。中国人の旅行者のようだ。好き勝手に歩きまわる。

ああ、あ、どこでも俺流なんですね。

見かねた教会の関係者が怒りで顔を真っ赤にしながら、出て行くように大声を上げた。ちょっとした押し問答が続き、僕らも一緒に退散するしかなかった。ポーランドの人たちから見れば、日本人も中国人も同じように見えるのだろう。

外に出ると、さらに寒さが増し雨が降ってきた。鞄から傘を出してさしたが、雨の勢いが強くて服が濡れてしまう。

僕らは仕方なくバス停で雨宿りすることにした。濡れた体に風が吹きつける。ただでさえ寒いのに。

困ったことになった。ヨーロッパの快適な初夏を満喫しようと思っていたのに、それどころではなくなってしまった。開放的な広場でビールを飲むなんて夢のことだ。それよりもどこか店内で暖かいコーヒーが飲みたい。

このまま一週間、ずっとこの寒さが続くのかと思うと憂鬱になる。

せめて雨がやんでくれないだろうか。僕はどんよりと曇った重い空を見つめることしか出来なかった。

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