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1型糖尿病⑤~入院生活のはじまり~

この記事はわたくしうえこの、1型糖尿病発症前からのレポートです。
前の記事はこちらからどうぞ
1型糖尿病④~はじめての入院~

マガジンにもまとめたよ!
うえこの1型糖尿病(IDDM)レポート

前回の記事は3000文字弱。
まあこんなんでもなにかの参考になればと思います。
入院初日は受診から始まってるので、怒涛過ぎてあれよあれよと言う間に過ぎていった。

入院1日目の話

前回書きそびれたのだけど、
確か初日に、何か色々ヒヤリングを受けたような気がする。
それはいわゆる発症までの、自覚症状や、普段の生活などだったように思う。
1型糖尿病①~序章~に書いたようなことだ、
それで、受診当日の朝食について聞かれた時に、素直に答えたのだけれど。
「前日の残りのメロンパンを朝食に食べました。」
病室の、窓側のベッドの人がざわついた。
「メロンパンはお菓子だよね~」
うっせえな、何だお前は。
お菓子を朝ごはんに食べることの何が悪い、普段なんか食パン一枚とスライスチーズだぞ。
なんかあの、ケロッグとかフルーツグラノーラとか、あーゆうのもお菓子と大差ないやんか!
外野(同室の人)はだまっとれーい。

とまあ、割とどうでもいい話なんだけど、同室の人との相性って、大事。
基本的には入院中はカーテンを半分くらい閉めて過ごしていたような気もする。

入院2日目の話

初日は金曜日だったので、翌日は土曜日だ。
しかし、6時起床。
とは言えたっぷり点滴を受けたので、身体はかなり楽になっていた。
あんなに重たくてしんどくてつらかったのに。
改めて、あんな状態でよく頑張ったなあと思う。
朝、看護師さんがやってきて、夜中に点滴が終わったともつけっぱなしだった管を外してもらえた。
採血、採尿を済ませると朝食のお時間で、入院中の少ない楽しみである食事に浮かれた。
子供か。

しかも土曜日は、入浴室を使用できた。
なんか男女で使える曜日が決まっており、更には事前に予約をする必要があった。
予約といっても簡易なもので、入浴室の前にホワイトボードがかかっており、一時間ごとに区切られた表になっていて、希望の時間帯に自分の名前を書いておくのだ。
使用後に名前を消していく。
だから使いたかったら、朝の内か前夜に名前を書きに行く必要があるのだ。

この日、10時に同室のアカウミさんが入浴室を使用していて、次の時間空いてるよ!と教えてくれたのだ。
親切である。
バスタオルも持ってきていなかったので、ハンドタオルと、かろうじて持ってきていたミニボトルのリンスインシャンプーを握りしめて入浴室に向かった。

入浴室は広かった。
めちゃめちゃ広かった、銭湯かと思ったくらいだが、広いだけの空間にポツンと一人用のバスタブが置かれていた。
この広さはいったいなんのために…
とりあえずこの日はシャワーだけにした。

シャワーから戻ると、色々不足品を買ってきくれた保護猫カフェの関係者がきていた。
バスタオル、ハンドタオル、割り箸、寝巻きだ。
ほんとありがたい。
更に院内をうろつく許可が出たので、一階のLAWSONに行ってみたりした。
郵便ポストもあるし、ここから健康保険の限度額認定の申請書を出したりした。

そう、限度額認定
入院ともなると医療費はヤバイことになる。
そこで年金事務所に電話をして、書類を取り寄せ、必要事項を書いて投函するのだ。
これは病院から説明があったのでよかった。

早々に昼食の時間となり、K先生と言う女医さんとも対面した。
チャキチャキした若い女医さんで話しやすく、雑談もよくした。
元気かな。
土曜日と言うこともあってか、この日はなんとも賑やかに過ごすことが出来た。
そう、お見舞いにいろんな人がきてくれたのだ。
不足品を、買ってきてくれた人もそうだが、この日お見舞いにきてくれた二人も保護猫カフェ関係者の友人で。
なんなら札幌には保護猫カフェの関係者しか親しい人いないなと(笑)
お守りをくれたり、モバイルバッテリー型の充電アダプターを貸してくれたりした。

実は私はアホの子なので、お盆休みに実家に帰省して、帰りに親が駅まで送ってくれたのだが、車をおりるときに少しバタバタしたもので。
電車内で使おうと小さい手提げバックに別に入れていたコンセントにさす充電ケーブルを、
車のなかに忘れてきた。
帰省から戻った初日は家のパソコン経由で充電し(USBケーブルだけはあった)
翌日は職場で充電したが、入院となりどうするかなと少し困っていたところ、前述のとおり、助けてもらった。
入院は暇だ。
スマホがないと詰む。

それで、お見舞いにきてくれた二人とそれぞれ二時間近くお喋りしたりして。
あっという間に夕方になっていた。
病室に戻りちまちまとSNSの返信をしたりして過ごし、夕食もぼんやり済ませ、LAWSONで買った小説を読みふけ、21時の消灯に合わせて寝た。

インスリンを打つようになったので、夜中のトイレも23時頃に一度行っただけで、あとは朝までよく寝た…
と言いたいのだが、同じ4階の別の病室にいる患者のおばあさんが、
夜中にえずく。

妖怪えずきババア


これは前夜もあったが、何て言うか、すごい、びっくりする。
夜中に、響き渡るのだ。

おえええええ

と。
すんごい大音量で。
なんかもう、ずっと。
別の病室から
「うるせえ!」
と怒鳴る男性の声も響いた。
なんちゅーとこだ…

こんなんで寝られるか心配だったが、意外と寝れた。

入院3日目、日曜日

実はこれは、当時、持っていったノートにメモしていたものを見ながら書いている。
数枚のTシャツとペロペロズボンという、入院生活に置いて必要なものが不足しまくりの荷物のなかに、ノートと鉛筆は入っていた。
文章や絵を描くのが好きなので、入院はきっと暇だろうから、暇を潰すものを持っていかないとと思ったのだ。
消ゴムは院内のLAWSONで買ったが。

3日目も6時起床。
毎朝6時きっかりに、私の病室のほぼ向かいにある洗面台で、電動髭剃りを使うおっさんがいるのだ。
マジで、ちょーうるさい。
もう少し寝たいけど仕方なく起きるのだ。

午前中のメモはほぼなく、昼食にエビフライが出て私は興奮した。
エ ビ フ ラ イ
興奮するだろう、子供か私は。
基本的にこの病院の食事は、美味しかった。
いや、美味しすぎる。
もともと私は薄味で自炊していたので、病院の食事も味が薄いとは感じなかった。
病院食は美味しくないという偏見の成か、余計に美味しく感じた。
なんなら退院するときにここの食事作る人宛にお礼のお手紙を書こうと思ったくらいだ。
結局書かなかったけど。

それで、エビフライに浮かれていたら、初見の男性の先生が眠そうな顔で登場した。
眠そうに、私のベッドのゾーンにある壁に寄りかかり、身体の半分が見えない状態で声をかけてきた。

ロマンスグレー先生と、女医さんと、眠たい先生。
どうやらこの三人はこの病棟の担当らしい。
眠たい先生は、目が開いてるんだか開いてないんだかわからないような、そんな眠そうな顔で今後の説明をしてくれた。
翌日。
つまり月曜から、各種検査とリハビリをしますよ、と言うお話だ。
この入院が、教育入院だということも教えてくれた。
教育入院。
糖尿病患者は、退院後に血糖コントロールを自分でしていかないと行けないので、そのための知識をこの入院で教えてもらう必要があるのだとか。

説明をしている間も先生は眠そうで、私はそれがなんだかとても面白くて、説明があんまり頭に入ってこなかったのは内緒だ。

説明を終えて眠たい先生が病室を出ていって、13時頃かな。
なんと私の入院を知った高校生時代の友人が、はるばる旭川からお見舞いにきてくれたのだ。
実は入院時に必要なものは、しおりにかいてあるいがいにもあった。

洗面器とか、かごとか。
かごはね、いる。
なんか、ペン立てとかノートとかをしまっておいたり、タオルとか細々したものを、テレビの上の棚に置いておくのにあると便利だった。
そういうものを買ってきてくれたのだ。
彼女は看護師の資格を持っていて、色々と心強かった。
それで友人から、アドバイスをもらった事がある。

実は病院食の、米の量が多い。
確か180グラムだったと思う。
もともと、朝は食パン一枚、昼はおにぎり一個と野菜スープ、夜はおかずだけの生活だ。
米が重い💦
でも性格的に、残せないのだ。
残さず食べなくちゃいけない。
だって病院だし。
そう思い込んでいたのだが、友人曰く、退院後の生活にも関わるし、食べれる量にセーブして、食べられない分は残しなさいと。
このアドバイスはありがたかった。
実は受診した朝は43kgだったのだが、病院で毎食完食していたら体重が一気に増えた。
46kgだ。
3日で3キロも増えるもんなんだね…
はじめての体験だった。
違う意味で、そう、物質的な意味で身体が重い。

アドバイスをもとに、腹八分目くらいで残すようにしたら、お腹の苦しさからは逃れることが出来た。
結果、出される時点での白飯の量が、180gから150gと減り、最終的には130gとなった。
ちょうどいい。

入院時の日課

そういえば入院してから、朝に体温と体重をはかるのが日課となった。
デイルームという場所があって、フロアの中央ぐらいにある広い空間だ。
三種類のお茶と水が出てくる機会があり、朝起きるとここにコップを持ってきて、お茶をたっぷり入れる。
その横に体重計があり、はかる。
これは看護師から記録を取るように言われての日課だったが、増えた減ったとチェックするのもささやかな楽しみとなっていたのかもしれない。

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