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立てこもり事件を他人事とする浅はかさ

各地で相次ぐ立てこもりや殺人事件。

心が休まる間もなく凄惨な事件の報道に触れる度に、胸が痛み、社会情勢の不安定さを実感せずにはいられません。


なぜこのような事件を起こすに至ったかの理由や原因、加害者の真意を報道のみから汲み取ることは不可能です。

にも拘らず、メディアでは多くの人が憶測でものを言い、それを見る側も勝手にレッテルを貼り、事件やそれに関わる人々のことを色眼鏡で見るようになります。

環境が悪い、親のせい、地方の田舎だから……

悪い出来事の原因を外的要因に無理やり見出し、自分がそれに当てはまらなければ「自分とは関係ないことだから大丈夫」とホッとする。

少しでも安心できる材料を探したくなる気持ちも分かりますが、その考え方はとても浅はかです。


立てこもり事件を起こす事は迷惑な事であり、殺人は悪い事、たとえ自殺をしたいと思っても実行に移してはいけません。


それら全てが正論ですが、人は時として「そうする以外に道が無い」と思い込んでしまう時もあるのです。


事件を起こすまではいかないまでも、もっと身近なところで、なりふり構わず人に迷惑をかけ、悪いと分かっていてもやってしまい、結果的に自分を傷つける行動を取ってしまう、そして自分を省みることなく家族や環境のせいにしてしまっていることは無いかと問われたら、誰もが日常的にやってしまっているのかもしれない、とは思いませんか。


酔っぱらって夜中に外で大声で騒いだり、ダメだと分かっていても不倫に溺れたり、ダメな自分に耐えられず暴飲暴食をしたり……。

程度の差があるだけで、同じような思考回路で無意識に行動してしまうことが誰しもに無意識に起こりうるのです。

つまり、どんな大事件でも、実は他人事ではないということです。

レッテルを貼って社会から追いやるという愚かな行為は、自分に返ってくるかもしれないという事を知っておかなければいけません。


だから、臭い物に蓋をして無かったことにするような問題から目を逸らすような考え方ではなく、失敗や間違いを受け入れられる寛容性を持たなければならないのです。


失敗して落ち込んでも、寂しくて卑屈になっても、ダメな自分も全部同じ自分です。

まだまだ日本人にはなじみの薄いカウンセリングですが、良い所も悪い所も丸ごとカウンセラーに受容してもらうという経験をしていくうちに、クライエントは自分で自分を丸ごと『良し』とできるようになり、その内に自然と他者のことも受け入れられるようになっていきます。


どのような時代でも、社会不安はどこかで必ず起こります。

何が起きようと情報に振り回されることなく、自分の頭で考え自立して生きていけるよう日本人1人ひとりが成長していかなければいけない時代です。

そんな時に人々の役に立てるのが、カウンセラーです。

人々の生活に必要な存在となれるよう、実力のあるカウンセラーにもっともっと活躍して欲しいと願っています。


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