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僕がクリスチャンになった理由

こんにちは。うえしんです。
今書こうと思ったこの日は僕の通っている青山学院大学のクリスマスツリー点灯式があった日です。11月25日ですね。僕はこの日朝から起きて授業を受けるはずだったんですが、気分が乗らず、眠気もあり、気づいたら1限が始まる時間になり、眠くなり、次は2限、3限、4限と時間が過ぎていき、全部授業に行くことができなかったです、、。後期が始まってから割と真面目に授業には行ってたので卒業に関わるかといったらそこまでではないとは思います。まあ授業1回くらい休むのはいいじゃないですか、、笑
11/25の1ヶ月後はクリスマスですよね。結局僕は家のベッドから動けず、(今もベッドで書いています。)SNSで友達が点灯式の写真を共有しているのを見ながら、「行きたかったな、、」と後悔していると、青山学院大学公式アカウントに配信リンクが載っていたので見ることにしました。大学在学中は対面で見たのはおそらく大学1年の時だけな気がします。その時は前の記事で書いた、その時交際してた彼女と見てましたね。それから大学2年、3年はコロナの影響でそもそも開催されたか分からなかったですね。そして、今年2022年はやっとコロナ前の対面点灯式が全面的にできるということで僕も楽しみにしていたのですが、体調が優れず、この時は神様を少し恨みましたね笑
まあでも対面で見るよりカメラを通して見た方が綺麗に写ってそれもそれでいいなと思えるオンラインクリスマスツリー点灯式配信でした。

前置きが長くなりましたが、今回はそんな点灯式に感化されて、自分がクリスチャン(キリスト教徒)になるまでを少し共有しようと思います。自分がクリスチャンになった経緯を話すこと、開示することは、クリスチャンの間では「証(あかし)」と言います。「証明」という意味でもありますし、そのことを「シルシ」として生きていく、人に接していくということなのかもしれません。
僕のInstagramのアカウントでも簡素ではありますが、経緯を語った内容は残っていますのでそちらの方も参考にしてください。

僕はクリスチャンファミリーの家庭で産まれました。この言葉を聞いたことがある方もいるかもしれませんが、家族にクリスチャンがいる家庭、全員がクリスチャンの家庭を指します。僕の家庭は父親だけがクリスチャンで、今現在は福島の実家の近くに教会を立て、牧師をしています。その他の家族、祖母、母、兄はノンクリスチャンで、今のところ親戚も含めると、父、叔母、叔父そして僕の4人だけがクリスチャンです。父方の家族が多いですかね。
そして、僕がクリスチャンとして生きようと思い、洗礼を受けたのは2021年の3月ですかね。本当は自分の20歳の誕生日、成人の日を境に受洗(洗礼を受けること)をしたいなと思い、牧師である父親に誕生日前に告白したのですが、コロナの状態もあり、なかなかすぐにはできませんでした。
他のクリスチャンだとこの日の誰々牧師の話を聞いて変わった、とかあの経験があったから変わった、という「転機」となる点が存在するらしいのですが(スピリチュアル的に?)、僕はそういった体験は思い出せず、キリスト教を深く考えた結果、そうなったというイメージなので、今回は「神様に出会った経験!」や「神秘的体験に触れた!」などのエピソードは残念ながら申し上げられません。ご了承ください。

僕にとって「キリスト教」というのは父親がいたからとても身近に感じました。物心ついた時から教会に自分がいて、友達や少し年上のお兄さんお姉さん、大人たちが「聖書」と呼ばれる書物を読んだり、何か歌ったり、手を合わせて目を閉じて「アーメン」って最後に言ったり、、この人たちは何やってるんだろ、と思ってました。僕はただ日曜日にお父さんに「教会」と呼ばれる所に連れていかれ、お父さんが午前中「礼拝」に参加してる間はつまらないから、地下の別室で遊んで待ってたり、他の家族が相手してくれたり、何かお菓子食べたりと過ごす場所として教会を認識していました。
歌も歌いたくなかったので歌いませんでしたし、手拍子も煽られましたけど、棒立ちで聞いていました。(今でも、そもそも歌うことが苦手で、少し気まずい時はあります、笑)
聖書も、国語の音読と同じだと思ってました。なにかの発話練習かと。
そして、午前中の「礼拝」が終わると、みんなで集まってご飯を食べたりしてました。その時間が楽しくて、そのために行ってたのもあります。クリスチャンになると、というかキリスト教文化として、年に何回かイエス・キリストを祝うイベントがあるんですよね。日本でいうお祭り的な。例えば、イースターの時はゆで卵を作る時もありましたし、もちろん馴染み深いクリスマスには豪華な料理を持ち寄ってみんなで食べることがあったので、「この日はタダでいっぱい食べれるぞ!」とワクワクしてました。
当時の僕にとっては、みんなが賛美歌を歌うのを聞いて、聖書を読めば無料で食える週一の、月一の、年一のイベントとしか思ってなかったです。

時は流れ、小学校高学年、中学生、高校生になるにつれて、勉強が忙しくなり、極端に行かなくなりました。別にタダで食えるからと言って行こうと思えるのは小学校低学年までで、成長してくると、自分のメリットや周囲の目を気にするようになるのです。
小学校で仲良くなったお友達と教会に行くこともありましたが、だんだんと世間のイメージにある「キリスト教」、「宗教」というキーワードにあまり良い意味がないことを勘づいてくるのです。それから自分が教会に通っていることも隠すようになりましたし、そもそもキリスト教を信じているのは父親だけで、自分は関係のない人間だと証明するように周囲の人と接していました。教会に行ったとしても、頑なに「手を合わせ」ようとしませんでした。「アーメン」も言うか言わないかは個人の自由。頑なに言いませんでした。
もうこれからはキリスト教とは関わらずに生きていくし、父親ともいつか離れて生活する時はくるし、最悪死別する時も父親だけがキリスト教文化に則った葬儀をすればいいと思ってました。
しかし、高校に進学する時、中学までは祖母の実家で過ごしていて、福島県だったので、大学進学を考えると東京の学校に行くべきだという方針になりました。そして、兄も同じように大学進学、東京での就職を考えていたので、関東で高校を探しました。教育に関することは親のお金が多く関わり、決定権や主導権もあちらにあるので、条件として、「キリスト教主義の高校」、いじめなどがないように、「私立高校」ということを言われました。ここまで来るとだいぶ選択肢が限られますし、結局兄と同じ高校に進学することになりました。
小学校と中学校は僕以外の全校生徒で誰1人キリスト教を信じている人はいませんでした。
そのため、高校からは高校自体がキリスト教を勧めていたので、親がクリスチャンだということは以前よりは言いやすかったです。しかしながら全校生徒がクリスチャンという訳でもなく、毎日朝会で「今日の聖句」として日直が聖書を声に出して読み、みんなで目をつぶり、手を合わせて、「アーメン」と言う。この流れを毎日していました。もちろんクリスチャンじゃない生徒が大半です。「聖書」という授業があったり、月一で学年集会があり、その後には「礼拝」の要約と感想文を書く必要があったりと、キリスト教をある程度知っている自分でも面倒に思いました。
しかし、「教会」と違い、隣にいる人がキリスト教を知らないことが多く、自分もその人たちと共に1から学んでいく気持ちができたのは良かったと思います。毎回礼拝が終わる度に「礼拝だるいよなぁ〜」とか、「眠かったわぁ〜」と言いあいながらも毎日、毎週、毎月みんな参加していました。宗教というと、思想が関わり、「自分は絶対にキリスト教を学びたくない!」という生徒がいてもおかしくないと思ったのですが(むしろ僕がそういう生徒になりかねなかったのに)、そういった人がいなかったのもすごいと思いました。まあ、参加しないと卒業できませんからね笑

そして、高校3年になり、受験へ。
受験のために丸坊主にした話はまた別の機会に話すとして、色々とあり、青山学院大学経済学部に合格しました。
受験を通して知見が広まったからでしょうか、受験期も変わらず礼拝や聖書を読む機会はあり、その度に前より深い洞察ができたような気がします。
その結果、僕は受験を通してこんなことを思いました。
「もし、神様がいるのなら、僕が青山学院大学に受かったのも必然、神様の計画通りの事なのかな。」
「もし、受験10分前、あの時あのページを見ていなかったら」
卒業式の日。
「もし、今この隣にいる人と仲良くなっていなかったら。もし、この今感じている喜びなのか悲しみなのか、切なさなのか分からない感情を味わえるほど高校生活が楽しくなかったら。
最高の友達に出会えなかったら。」
「もし、、、」

 タラレバの話、パラレルワールドの話をしているのではなく、僕は今生きている瞬間、生きてきた道、選択肢、選んできた選択肢、これから取る選択肢は神様が決めているのかな、と思うようになりました。全部の選択肢で、後悔しているということはないですし(人間の性質上過去を美化したり自分を正当化したりしているだけかもしれませんが)、そのどれもが選んでよかった、楽しかったと思えることばかりでした。
変人と言われる自分を受け入れてくれる友達に会えたこと、美味しい料理が食べられること、小学校でいじめを経験したことなど、良いことも悪いことも経験しましたが、あの経験がなければ自分はもっと良くなっていたと思ったことはありません。そして、「神様」という存在がいるなら、僕の人生を肯定してくれる存在として、証明ができると気づいたのです。まさしく、これが「あかし」です。「神の証明」をしている訳ではありません。
皆さんはこの世に存在しないものをどうやって証明しますか?
「ないものの証明は悪魔の証明」と言われるように、悪魔がこの世にいるかどうかは、「いる」と分かって初めて証明できます。「いない」と言うためにはその証拠がないといけません。
だからできないんです。
でも僕はこの世にいない、目に見えないものを「ある」と証明したいのです。
別にマジシャンでもなければ占い師でも、霊能力者でもないです。タネも仕掛けも何もないのです。むしろお化けは怖いのです。

見えない何かを見ようとして、「なんだ、何もないじゃないか。」と去っていく人もいます。
でも、僕は見えないけど「いる」、存在している、と信じたいのです。

そう気づいた時には、自分は「クリスチャン」という区分に属するということがわかったのです。半分諦めのようなものです。これをみんなは「悟り」だとか言うんですかね。自分の人生にはなくてはならないものであり、縛り付けてくるもの、死ぬまでずっと付きまとうものだと思ってます。
ずっと、嫌いになろうと、離れようとしてた存在はいつからか、好きになり、それなしじゃ生きられない、大切な存在になりました。どうしたら嫌いになれるか考えることは、どうやったら好きになれるかを考えることと紙一重なのかもしれません。恋愛ドラマによくありがちな展開みたいですね。

「証」の説明は以上です。なぜ僕がクリスチャンとして生きようと思ったのか、気づいたのか、きっかけを知ってくれたら幸いです。

そして僕がどういう風に世界を捉えているかを最後に少し話させてください。
僕は今4000字を超える文章を0:49に書いてます。冒頭にも述べましたが、僕は久しぶりに対面で開催される点灯式、しかも大学4年最後の年に行くことができませんでした。そして、単位もまだ足りていません、笑
しかし、「神様」はあえて僕をこんな状況にしたのではないでしょうか。
「普通」のクリスチャンファミリーに生まれるのではなく、父親だけがクリスチャンの家庭に。そして、誰1人としてキリスト教を知らない小学校へ。「普通」に地元で進学するのではなく、東京の私立でしかもキリスト教を学ぶ所に友達も誰もいない状態で進学すること。ミスコンに出ること。そして、そこで女装を公開すること。「普通」は大学4年は単位取れている状態だけど、まだ残っている状況。そして、「普通」に学校に行き、みんなと同じように対面点灯式を見るのではなく、オンライン点灯式を見たこと。
どれも一見マイナスなことに思えますよね。
単位も足りず、調子が悪くなり、1限から4限の授業を切る大学4年生。
しかし、僕は対面で見るよりも、美しい映像を見れましたし、再生速度も2倍で見れるので時間短縮にもなりましたし、アーカイブが残るので何度もシャッターチャンス、スクショチャンスがあり、何度も点灯式を楽しむことができました。しかも外に出ないからオシャレする必要も無い!笑
僕が計画していた対面点灯式がもし普通に行われていたとしたら、それ以上には楽しむことができてたと思います!

神様がいたとして、僕の体調が悪くなり、眠気に襲われて学校に行けなくさせたのは、神様のせいだし、神様のおかげで、楽しみにしていた点灯式を他の人の数倍楽しく過ごせました。

よく言えば物事をポジティブに捉える人だと言えますが、そんなことはなく、僕もネガティブになることはありますし、「神様、単位ください、、!」と願っているクズ野郎です。
他にも僕は生きる上で他の人と違うところ、他の人はできるのに自分はできないことがあり、とても苦労します。でもあえてそれも神様が計画してくれて、その方が人生楽しいよ!と言っているのかもしれません。

「神様」は僕に、他の人とは違った視点、世界を見せてくれる、導いてくれる、そんな存在でもあるんです。
だから僕はこれから、どんなことが起きても神様のせいにしますし、神様のおかげだと思って感謝します。もちろん、この先単位が取れず卒業できなくなり、内定取り消し、親と決別?退学?何があってもそれは神様の計画だと信じたいです。そう生きていきたいと思っています。

次数も5000字を突破し、時刻も1:10となりました。夜遅くまでやってる場合じゃないですね。ここまで読んでくれてありがとうございます!こんな長い独り言を聞いてくれて本当にありがとうございます!明日も予定あるんでしょ?笑 早く寝ないと、!
あ、もう日付は今日か。笑
今日も神様の計画に従って、これを読んでくれた人に良いことが起きますように、今日の糧が与えられますように!アーメン。
それではおやすみなさい!

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