見出し画像

“欲望“がデザインする、あたらしい漁業と食文化のかたち ── 仲買人・長谷川大樹

いまから約半世紀前に、生態学者ギャレット・ハーディンが提唱した理論「コモンズの悲劇」。端的に言えば、それは経済合理性を追求しすぎた先に待ち受けるコモンズ(共有資源)の枯渇、あるいは致命的なダメージへの警鐘でした。そのコモンズのあたらしい世界線を、“欲望”を起点に切り開こうと活動するのが、仲買人・長谷川大樹さん。仲買人の枠を越え、欲望という批評的まなざしで、“まだ見ぬニーズ”を見立てる、その仕事と思考とは ──。(デジタルZINE「ちいさなまちのつくりかた」)

Text by Mai Tsunoo
Editing by Takram & NTT UD
Photography by Yosuke Suzuki

長谷川大樹|Hiroki Hasegawa
1976年、東京都東村山市出身。子どものころから自然と親しむ。大学時代には1年間休学して、素潜り漁の達人として知られた口永良部島(くちのえらぶじま)の渡邉一美氏に師事。海中で魚の急所を狙って一発で仕留め、その場で神経締めをする「海中神経締め」を体得。卒業後、広告会社勤務を経て、魚の仲買い人に。神奈川県横須賀市の長井漁港を拠点として、現在約300軒の飲食店に卸す。中国料理「茶禅華」、フレンチ「シンシア」、イタリアン「FARO」、日本料理「てのしま」など、ジャンルはさまざま。山菜やキノコなど山の恵みにも精通する。

魚の仲買人という職業は江戸時代に始まったといわれ、魚の鮮度を見分ける目利きとしての役割を担っています。大まかな仕事は、魚市場に持ち込まれた魚介類に値段をつけ、競りや入札を経て漁師たちから買い取り、飲食店や小売店に卸すこと。漁業という第一次産業と、飲食店・小売店という第三次産業を取り次ぎ、落札額にマージンを乗せて取引することで利益を得るのが一般的です。

神奈川県横須賀市にある長井漁港で、週の大半を過ごす仲買人の長谷川大樹さんの活動は、いわゆる仲買人の枠だけにはとどまりません。たとえば、これまで捨てられていた魚 ── いわゆる未利用魚(市場で価格がつきにくい魚)── に価値を見出し、高級飲食店で使われる仕組みをつくったり、値づけの常識を変えたりすることで、海に出る漁師や他の仲買人たちの意識の変化を促しています。

それらの活動に通底するのは、“欲望”という仲買人としての社会への批評的まなざし。その欲望によって、彼が出入りする長井漁港では、まったくあたらしい市場(マーケット)が生まれています。

失われたコモンズ意識を求めて

漁港での長谷川さんは常に忙しない。挨拶もそこそこに、目の前の生け簀に入ったイカを“神経締め”していきます。神経締めとは、ワイヤー状の器具を使って魚の脊髄を破壊し、新鮮な状態を保持する活け締めの一種です。もともとは畜産で用いられていた技術が、ここ数年で水産業でも市民権を得はじめているといいます。

長谷川さんの代名詞ともいえる技術でもあります。漁師たちも舌を巻くレベルの腕前で、生きたまま水揚げされた魚を見つけるとその場で次々と締めていきます。取引前の魚を締めていくこと自体、仲買人の仕事としては一般的ではありません。そもそも、締めた魚をすべて彼が買い取るわけではないからです。しかし、長谷川さん曰く、氷を入れた海水に投げ入れて凍死させる(氷締め)よりも、神経締めのほうがおいしさが保てるので、誰が買うことになるかわからない魚であっても締めておくそうです。もちろん、漁師やほかの仲買人たちの合意のうえ。

イカに神経締めを施すと、すっと白色になる。色素胞という色を司る細胞周辺の筋繊維が弛緩することで起こる変化とのこと。
どれだけ活きのいい魚でも、持ち方を工夫すれば、おとなしく支えられると長谷川さん。

「この前、2.8キロのシロアマダイが入ったんです。いわゆる高級魚ですが、生きていたんで締めたんですよ。そうしたら、周りの仲買人たちが『キズモノになった!』って言うんです。半ば冗談、半ば本気。『もう売れないよ、オレは入札しないぞ』って言うから、『いいよ、ぼくが2万5000円以上入れるから』って宣言しました。結局、2万6800円入れたのに、冗談を言っていた人が2万7000円で落としてしまいました。でも、いいんですよ、ぼくが買えなくても」と快活に笑います。

長谷川さんは、魚の価値を最大限引き出すこと、そして個人の利益だけを追求するのではなく、漁港全体で利益を生み出すことを実践し続けています。その哲学の根底には、「コモンズ(共有資源)」への意識があります。

「コモンズ」とは、ひとつの場や自然資源を複数のメンバーで管理するしくみをいいます。海外を含む多くの料理店とのつながりをもつ長谷川さんは、仲買人としての活動を通して、共同体的な価値観の波紋を、小さく、しかし確実に広げています。

コモンズとリテラシーの相関関係

長谷川さんはこの日、何度も急に走ってどこかへ行ってしまうことがありました。たいていは、船が港に着いたときです。長谷川さんが“かわいがっている”漁師の一人、ハルキさんが大量のキンメダイとともに戻ってきました。

「普段から『ちっちゃいキンメは釣ってこないでね。でっかいキンメは必ず買うから』と言ってるんです。大きいほうがおいしいし、値段も上がるので。漁師さんの釣るコストを考えると、一匹を高くしたほうがいいじゃないですか。たとえ同じ売り上げだったとしても、稼働する時間が短くなれば自分の時間が増える。あとは未来の漁場のためかな。昔は神奈川にも大きなキンメがいたんですけどね。いま、こういう地域ではあんまり小さな魚を取らないほうがいいと、ぼくは思うんですよ」

そうした考えは、底引き網や巻き網で獲れた魚は一切買わないというスタンスにも表れています。文字通り一網打尽にする漁法だと、獲れた魚が傷ついてしまうことが多く、求めるクオリティが手に入らないことが理由です。また、サイズ関係なく取り尽くす傾向にあり、持続的な漁業のためにも避けたほうがよいと彼は考えます。

このような考え方は少しずつ、自身の会社や長井漁港の若い漁師たちに広まっています。環境や市場に対するリテラシーが変わることで、漁師たちや他の仲買人、ひいては漁港全体の意識や行動にも徐々に浸透してきているそうです。

漁港で会った白鷹丸(はくようまる)の漁師 仲地慶祐さんも、長谷川さんと漁業への考え方が近い一人。獲れた魚を傷つけないために、使い捨てではない漁網を切ってまで身の状態を守ることもあるほど、魚にかける思いが強い漁師です。仲地さんの例に限らず、長谷川さんが漁港に出入りするようになる前といまでは、漁師たちの意識が全然違うと話してくれました。

白鷹丸の漁師、仲地慶祐さん

「前は、死んでいても生きていても変わらないみたいな扱いをする漁師さんも多かったし、魚に傷がついても市場では同じ値段だったので、網から外すのも適当でした。でも、長谷川さんはいい魚だと思ったら、きちんと高値をつけてくれる。その値段が、あまりに違うんですよ。だから、私たちも長谷川さんが札を入れそうな魚ならば、いい状態で持ってこようという意識に変わっています」と仲地さん。

仲買人のイメージはというと、安く仕入れて高く売るというのが一般的でしょう。しかし、長谷川さんは「なるべく高く買い取ること」をポリシーとしています。その一方で、長谷川さんは仲地さんをはじめとした漁師たちに「別にぼくのところに、全部持ってこなくていい。自分で卸先を選べるように」と話します。「漁師がいちばんよい選択をすること」「市場全体が少しずつよくなるよう考え続けること」、そして「利益を決して独占しないこと」を長谷川さんは大切にしています。これもまた、コモンズの意識です。仲地さんも最近は自ら飲食店に卸しに行くようになったと話しています。

欲望起点のマーケットデザイン

長谷川さんの“欲望”を語るうえで欠かすことのできない魚があります。「ブダイ」です。聞き慣れない人も多いかもしれませんが、「未利用魚」と呼ばれる市場で価格のつきにくい魚の一種です。これらの未利用魚に値がつかない理由は見た目が悪い、鮮度が落ちやすいなどさまざまです。ただ、処理や調理の方法さえ考えられれば、おいしい魚も少なくありません。

ブダイも、まさにそうでした。長谷川さんが買うようになるまではキロ100円程度で、下手をすれば捨てられてしまう代物でした。ところが、現在ではキロ1000円以上の値段がつくようになったそうです。長谷川さん自らが処理法や調理法を研究し、おいしく仕上げられることがわかってからは、漁師がきれいに持ってきたら高く買う。その繰り返しの結果、「長井のブダイ」という一つのブランドへと成長しました。

長谷川さんは漁師に言います。「とにかくちゃんと自分の魚を食べろ。いちばんおいしそうなのは、ぼくに売らずに自分で食え! 二番目からは売ってくれ」と。市場価格や価値だけで判断するのではなく、きちんとおいしい魚の味を知り、その味覚を信じることが、ひいては環境保全につながる部分もあるからです。長谷川さん自身も、市場で売られるいちばんおいしい魚は自分用に買い、自分でお金を払って卸先の高級料理店へも食べに行きます。

おいしさのインプロビゼーション

日中の仕事を終え、長谷川さんに連れられて向かったのは逗子にある中華料理店「せろりや」。一見すると小さな町中華ですが、長谷川さんの卸先であり、名店のシェフからも一目置かれる店だといいます。料理長の芹澤卓司さんは、長谷川さんにとって収獲したさまざまな魚や山菜をどうおいしく調理するかの「実験」をするパートナーでもあるそうです。

長谷川さんの分析によれば、芹澤シェフは人や場面に合わせて塩味を調整するという。たとえば、料理人の集まりならば、ほぼ塩を入れず素材の味を生かす一方、同じ人が家族で来るときは普通の塩加減にするのだそう。

「長谷川さんは、食材に対するリスペクトが違いますね。思いを聞いているので、少しでも応えられたらと思っています。『この魚、どうするの!?』みたいなあたらしい課題ももってくるので、飽きることはありません」と、芹澤さんは長谷川さんとのつながりについて話してくれました。

どうしてここまで魚や食にまっすぐ向き合えるのでしょうか。その答えはシンプルで「くいしんぼうだから」と長谷川さんは言います。

「この仕事の楽しいところは、おいしいものが食べられること。あとは喜びの共有ができることですね。おいしい、美しいっていう価値観を、みんなで共有できる。それが、いちばんです。漁師から料理人まで、全部つながっているから」

「せろりや」料理長の芹澤卓司さん(左)と長谷川さん

自身の目線を信じ、いままで知られていなかった価値を生むように行動し、あたらしい市場をつくる長谷川さん。自分の価値観を共有するコミュニケーション手段として魚の価格を設定し、身の回りの漁師や仲買人、料理人たちと会話と実験を繰り返してきました。その結果、彼個人だけでなく漁港全体のリテラシーを上げ、サステナビリティ意識を広げることに成功しています。これからの漁業に欠かせないコモンズを実践する長谷川さんは、今日も朝から晩まで、漁港や野山をかけまわっています。


▼「ちいさなまちのつくりかた」バックナンバー一覧▼

主催&ディレクション
NTT都市開発株式会社
井上 学、吉川圭司(デザイン戦略室)
梶谷萌里(都市建築デザイン部)

企画&ディレクション&グラフィックデザイン
渡邉康太郎、村越 淳、江夏輝重、矢野太章(Takram)

コントリビューション
角尾 舞(ocojo