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原宿編③ “無意識の記憶”が導く街の行方

風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
原宿といえば、若者向けのファッションやスウィーツのショップが立ち並ぶ、日本のポップカルチャーの中心地。こうしたイメージはいかにして生まれ、街の空間にどんな影響を及ぼしてきたのでしょうか。
街の表層を超えて“土地の記憶”を読み解く視点で知られる中沢新一さんに、“原宿アースダイバー”の街歩きを振り返りながらインタビュー。アーバン・プロジェクト・ディレクターの石川由佳子さんを聞き手に迎え、日本の精神文化に根差した街づくりのあり方を探っていきます。(インタビュー後編)
▶   前編 ② 縄文時代の記憶を探る“アースダイバー”の試み
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※新型コロナウイルスの感染拡大による制作作業の中断のため、本記事は2019年12月中旬と2020年6月初旬の2回に分けて撮影した写真を組み合わせて構成しています。

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インタビュー:中沢新一氏 / 聞き手:石川由佳子氏(後編)

石川さん 原宿という街の成り立ちのベースには明治神宮の森があり、それが100年後を見据えた人工林だったこと、これは非常に先駆的なケースだと思います。しかし、同じようにいま100年後を考えて都市計画ができるかというと、なかなか難しいものがある。というのも、時代の流れがどんどん加速する中で、目の前の人のニーズに素早く応える必要性がより高まりつつあるからです。大きな時間軸のデザインと、ショートスパンでドラスティックに変化していく社会に対応するデザイン、両者をうまく融合させるために、どんな方法が考えられますか。

中沢さん 明治神宮を計画した当時の日本は、いわば“大きな政府”が主導する国家でした。だからこそ、100年先を見据えたグランドデザインを描くことができたのでしょう。でもこの100年の間に、政府のあり方はより小さなものとなり、その代わりに企業がそれぞれの利益を追求して街に関わるようになりました。よくパリの街などを引き合いに出して、バラバラのデザインの建物が並ぶ東京の街は美しくないと言う人がいますが、でも僕の考えでは、それこそが東京という都市の面白いところだと思います。というのも、東アジアの都市はヨーロッパの都市とは違う論理でできあがっているから。例えばシンガポールだって、さまざまな企業が独自の思惑のもとに建物を建てているけれど、全体としては一定の秩序が感じられるわけでしょう。

石川さん なるほど。では、そうしたヨーロッパと東アジアの都市の違いは、どんな理由によるのでしょう。やはり影響としては、自然環境の違いが大きいのでしょうか。

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中沢さん 風土も植生も大きく異なる以上、そこで育まれる文化や人間の感受性も、まったく違うものになっていきます。ちなみに放射状のパリの街は19世紀、ナポレオン3世の時代に大改造が施されたもの。整然とした石造りの街並みは景観という点では美しいけれど、アジア的な感性にしてみれば、猥雑なものが排除され過ぎていて飽きてしまう。でも最近はアフリカ系やアラブ系の移民が増えてきて、元の美しい都市計画に新たな多様性が加わりつつある。僕はその様子にこそ、街としての面白さを感じますね。

石川さん だとすると、渋谷や原宿の街も今後は観光客や移民の人たちが新しい空気を持ち込むことで、これまでとは違う魅力を育んでいく可能性がありますね。とはいえ、商業施設が乱立している渋谷や原宿の様子を見ていると、ある程度のルールをもって街の景観を守っていく必要性を痛感します。開発に携わる側としては、どんなことを考えていけばいいのでしょうか。

中沢さん 建物のデザインが設計者の個人的な幻想だけに走ったものにならないよう、住民や働く人たちがプレッシャーをかけていく姿勢が必要でしょう。また、日本の街において歴史的に重要な役割を果たしてきたのが、“都市の空洞”とも呼ぶべき空間です。中世には寺や神社のように、世俗の原理が入り込めない聖的な空間が至るところに存在し、社会におけるマイノリティな人々の居場所として機能していた。アースダイバーの視点から見れば、その空間は世俗的な社会の中に設けられた空洞であり、その内側には権力や商業の原理が及ばない場所が広がっていたわけです。さらに、こうした空間が無数に点在することで、多様性の受け皿にもなっていた。原宿でいえば、明治神宮の森はまさにその空洞として機能していますが、その周囲では商業という単一の原理が強力に浸透していくあまり、街をどんどん均質化させてしまっている。だからこそ、街には空虚な空間が必要なんです。デベロッパーに理解していただきたいのは、まさにこの点ですね。

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“原宿アースダイバー”の道中より、東郷神社の境内にて。

原宿と渋谷、異なる原理が息づく都市の記憶

石川さん 一方で原宿には、表と裏という言葉で表されるエリアの違いが存在しています。青山通りとの交差点へと続く表参道には高級ブランドのイメージがある一方で、いわゆる裏原宿のエリアにはストリートカルチャーの匂いが感じられる。この表側と裏側が近い位置にあることも、原宿という街の魅力なのかなと思います。
ただ、近頃は大手資本による開発が進んだ結果、こうしたエリアごとの差異がどんどん失われてしまっている。渋谷にしても、私より上の世代の人たちの話には「この角を曲がったら何があるんだろう?」という面白さやヒリヒリとした緊張感があふれているけれど、いまやそうした感覚は見出しづらくなっているように思います。

中沢さん 確かに、渋谷も原宿も、近頃は街並みもお店も均質化が進んでいて、面白くなくなってきたかもしれません。ただ、僕としては渋谷の街にはどうしても湿地帯のイメージを感じてしまうので、そこにビルが建ち並ぶ様子が泥の中に咲いた蓮の花のように思えてしまう。90年代に渋谷109の辺りで遊んでいる若い人たちを見ていても、「この子たちは無意識に泥んこ遊びをしているんだなあ」と感じましたよ。いわば、子どものような精神の発露ですね。そう考えると、沼地へ引き寄せられていく若者と、そこへ商業施設を建てようとする人たちの意識がせめぎ合って、渋谷という都市の記憶を形作ってきたともいえるのではないでしょうか。

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石川さん なるほど…! でも近年のハロウィンのように、若者たちが仮装して一時的にハチ公前の交差点に集まって騒ぐなど、渋谷の街と若者たちとの関係性も変わりつつあるのかなと思います。

中沢さん もし渋谷の駅前が高台にあったら、状況はまったく違うものになっていたでしょう。というのも、ハロウィンの起源は古代ケルトの死者の祭りだから、人々の無意識に通じる場所にこそふさわしい。こういう話をすると「そんな馬鹿な」と言う人もいるけれど、街には無意識の記憶があって、たとえ現代人であっても意識しないうちに大きな影響を受けているものです。ただし、こうした現象は無意識の影響下にあるから面白いのであって、統制されたものになると一気に面白くなくなるものです。
そもそも渋谷は、80年代の渋谷パルコを中心に最先端の街として認知されていくのと並行して、ある種の刺激的な空気が漂う街としての顔も育んできました。それが、道玄坂の途中にある百軒店をはじめとする円山町。ここは縄文時代、まだ水の底にあった渋谷の谷を見下ろすように横穴式の墳墓が作られた土地。その無意識の記憶が、渋谷が持つ“夜の街”としての側面にも受け継がれているように思います。それと対照的なのが原宿の明治神宮。造営にあたって日本各地から約10万本もの献木が集まり、植林のために自発的な勤労奉仕が行われた結果、“自分たちでつくり上げた場所”という愛着が生まれ、完成記念の祝賀パレードは相当なにぎわいだったそうです。太古の墓地と明治天皇の神霊を祀る場所、ともに死に関連する場所でありながら、まったく異なる文脈を紡いでいるわけですね。

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渋谷・道玄坂に面した百軒店(ひゃっけんだな)の入り口と、緑に包まれた明治神宮の参道。

日本語の言語構造が導く、数値化できない街づくり

石川さん 開発者が考える計画的な街並みと、人々が楽しいと思える街の要素、その両者のバランスをどう図っていくのか。ここが難しいところですね。その上で、街としての魅力や面白さをどのように持続的に高めていけばいいのか……今度の東京五輪にしても、前回の盛り上がりの様子を聞くにつけて、大きな温度差を感じます。時代の変化もあるのでしょうが、どのようにすればいいと思いますか。

中沢さん 1964年のオリンピックはいわば、国家によるグランドデザインによって実施されたもの。みんなが同じ方向を向いている気がして、子どもだった僕はちょっと嫌でした。でも今回の東京五輪はその力が格段に弱まっていて、支配的なのはむしろ商業の原理ですよね。これは時代の流れだから、国家的な行事にしても都市計画にしても、大多数の人々の意識に訴えかけるようなわかりやすいものを作り上げるのは、もはや難しいのではないでしょうか。
ただ、時代とともに都市を形成する原理が変わっていく一方で、人間の感覚や精神構造は昔もいまもそう大きくは変わらないはずです。特に日本人の特性として、海外から節操なくいろいろとものを取り入れておきながら、どこかでそれを一過性のものだと考えている節がある。例えば、戦後に横文字が多用されるようになっても、それを日本語の骨格の中で適当に使いこなしてしまっている。これは、日本人の素晴らしい感覚だと思います。つまり、世界に対する感覚の構造が、日本語の骨格として表れているわけです。
その意味でうまくいっていると思うのが、現代の日本橋における新たな街づくりです。端的に言えば、いろいろなものが入り混じりながら同じ体系として続いていくという、日本語の構造がまず存在する。そして、この日本語の骨格によって作り上げられる日本人独自の感覚が街の中にも生かされていたならば、その街は持続的に栄えていくことでしょう。

石川さん なるほど。ただ、都市の開発というスケールで考えると、そのように数値化して評価できない感覚的なものは往々にして置き去りにされてしまいます。でも、たとえ数値では表せないなくとも「こちらのほうが居心地がいいな」「こっちのほうが面白いな」という感覚で選んだデザインのほうが、より多くの人々に受け入れられ、結果としてうまく機能していくのかもしれませんね。

中沢さん その点で日本語は、俳句のように非常に感覚的なことを表現する要素と、近年の科学技術の発展にも通じる論理的な要素の両方が備わっている言語だといえます。いわば、この二つの合成体が世界の見方として日本人の脳を形作っており、それが歴史や都市をつくる元になっている。人々がその街に面白さや居場所を見いだせるかどうかは、この両面のバランスにかかっていると言えるでしょう。だからこそ、街として立派なものをつくろうとする時には、それが日本人の骨格に沿ったものかどうかを考えなければならない。そこに、街を持続させていくヒントがあるのではないでしょうか。

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原宿通りのカフェにて。キャラクターなど好きな絵柄を注文できるラテアートが、外国人観光客に大人気とのこと。


→ 次回  原宿編④
 “ブームの街”が向かうべき消費文化の展望


リサーチメンバー (取材日:2019年12月13〜14日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨県、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京都の原宿です。

その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。

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