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原宿編② 縄文時代の記憶を探る“アースダイバー”の試み

風土の異なる3つの都市を訪れ、フィールドリサーチを通して街づくりの未来を探るプロジェクト。
原宿といえば、若者向けのファッションやスウィーツのショップが立ち並ぶ、日本のポップカルチャーの中心地。こうしたイメージはいかにして生まれ、街の空間にどんな影響を及ぼしてきたのでしょうか。
街の表層を超えて“土地の記憶”を読み解く視点で知られる中沢新一さんを迎え、原宿の深層をめぐる“アースダイバー”の街歩きへ。縄文時代の地形と現代の街並みを重ねていくうちに、異なる時空が共存する不思議な街の姿が見えてきます。
▶   前編 ① 東京が誇る“流行の街”の知られざる実像
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※新型コロナウイルスの感染拡大による制作作業の中断のため、本記事は2019年12月中旬と2020年6月初旬の2回に分けて撮影した写真を組み合わせて構成しています。

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神社に残された、数千年前の土地の記憶

東京を代表する「若者の街」「流行の最前線」として、不動の地位を築いてきた原宿の街。時代とともにさまざまな流行が生まれ、多種多様なショップが表通りから路地裏の住宅街にまで広がるこの街の様相を、より深く読み解くにはどのようなアプローチが有効でしょうか。
そのヒントになったのが、思想家・人類学者の中沢新一さんが東京という都市の深層を探る探求と思索を綴った本『アースダイバー』(講談社/2005年)。NHKの番組『ブラタモリ』や、街歩き本をはじめとする地形ブーム(地形散歩ブーム)の火付け役といわれ、19年には増補改訂版が刊行されるなど、根強い人気を誇っています。

このアースダイバーの視点から原宿の街を歴史的・体感的に捉え直し、街づくりのヒントにつなげるべく、中沢さんを迎えて臨んだ今回のフィールドワーク。中沢さんとの待ち合わせ場所は、原宿と渋谷のちょうど中間、キャットストリートを外れた住宅街の中に静かに佇む「穏田(おんでん)神社」でした。
何故、神社がスタート地点になったのか。じつは縄文時代(約1万6千年前〜約3千年前)、東京都心は奥深くまで水が入り込み、山の手をはじめとする丘陵地の間には入り江が切れ込んで、フィヨルド状の複雑な地形をなしていました。その半島や岬にあたる場所に当時の人々は神を祀る場所を設け、そうした場所が水面の低下した現在もなお、神社という形で残されている──つまり神社は、数千年前の土地の記憶をいまに受け継ぐ場所でもあったのです。
かつての地名「穏田」を残した神社を起点に、縄文時代から現在へ、地形と歴史をたどるフィールドワークが始まりました。

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中沢新一(なかざわ・しんいち)
1950年、山梨県生まれ。思想家・人類学者、明治大学 野生の科学研究所所長。チベットで仏教を学び、帰国後に人類の思考全域を視野に入れた研究分野(精神の考古学)を構想・開拓する。主著と受賞歴に『チベットのモーツァルト』(せりか書房・講談社学術文庫/サントリー学芸賞)、『森のバロック』(せりか書房・講談社学術文庫/読売文学賞)、『アースダイバー』(講談社/桑原武夫学芸賞)、カイエ・ソバージュV『対象性人類学』(講談社/小林秀雄賞)、第26回南方熊楠賞(人文の部)、近著に『レンマ学』(講談社)がある。

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“原宿アースダイバー”の出発地点、渋谷区神宮前の穏田神社。

中沢新一さんと巡る、“原宿アースダイバー” 体験記

「穏田神社は、渋谷〜原宿一帯で最も古い神社です。本殿の瓦には日本各地の神社に見られる三つ巴の神紋があしらわれていますが、これは渦巻きの意匠であり、海から陸地へと進出してきた海洋民の象徴ですね。また、一帯の穏田村には、徳川家康が江戸の防衛のために忍びの者で知られる伊賀衆を住まわせたという伝承が残っています」
そう話しながら中沢さんは、キャットストリート方面へと伸びる裏道と境内との境目にある、十数段ほどの階段に目を止めました。「この段差はおそらく水際の境界線でしょう。このあたりは湿り気のある低地であり、その場所に流れている渋谷川を暗渠化した遊歩道が、いまでいうキャットストリートです」

一行は神社を出て、キャットストリートへ。川筋を遡るように北進し、原宿方面へと向かいます。「ゆるやかなカーブを描く道筋に、かつての川の流れが感じられますね。古くからの道が交わる地点には、かつて渋谷川に架けられていた橋の親柱が残されています。それにしても、昔の川の流れがいまや若者たちを引き寄せる場所になっているのが面白い。その最たるものが渋谷駅前です。あの一帯は宮益坂と道玄坂に挟まれたすり鉢状の湿地帯だったのですが、いまやそのジメジメした場所が、あれだけ多くの人を呼び寄せているわけですから」

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穏田神社から階段を下り、キャットストリートへ。

そのままキャットストリートを進んでいくと、次第ににぎわいが増していき、やがて表参道と交わります。その角には「参道橋」と書かれた橋の親柱が。表参道はこれまでの曲線状の道とは一転、まっすぐな直線を描いて伸びており、西側のJR原宿駅方面にかけて上り坂となっています。
「表参道という名のとおり、この道は明治神宮の参道として整備されたもの。パリのサンジェルマン大通りを手本にしてつくられ、明治神宮の創建記念パレードが盛大に行われた場所です。JR原宿駅方面へと続く上り勾配は、渋谷川の河岸段丘の高低差によるものでしょう。僕が若い頃は、現在の表参道ヒルズがある場所には昭和初期に建てられた青山同潤会アパートがあり、神宮前交差点の商業施設(東急プラザ表参道原宿)の場所にあった原宿セントラルアパートは、当時の業界人たちが集まる場所でした」
ちなみに原宿セントラルアパートといえば、70〜80年代、コピーライターの糸井重里や写真家の浅井慎平、スタイリストの高橋靖子、YMOのアルバムジャケットや中沢さんの著書『チベットのモーツァルト』のカバーデザインを手がけたグラフィックデザイナーの奥村靫正ら、最前線のクリエイターたちがこぞって事務所を構えた場所。おそらく、現在の喧噪とはまったく異なる雰囲気が漂っていたことでしょう。

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表参道を明治神宮に向かって上っていく。神宮前交差点にはかつて、日本を代表するクリエイターたちが拠点を構えた原宿セントラルアパートが建っていた。

「街の雰囲気は……それはもう、ガラリと変わりましたね」と中沢さんは、表参道からJR原宿駅前を経由して、竹下通り、さらにその裏側の「ブラームスの小径」へと進んでいきます。「この道も原宿駅や明治神宮のある台地から一段低くなっていて、かつては川が流れ、周辺は湿地だったことでしょう。竹下通りが栄え始めたのは80年代、細い通りの両側に古着屋や雑貨屋、飲食店が軒を連ねて、パリのガラス屋根付きアーケード空間である『パサージュ』のような路地の雰囲気が感じられました。それに限らず、当時の原宿は高級マンションに象徴されるヨーロッパ風の街並みが連なる、落ち着いた印象の街でしたね。その象徴が、1924(大正13)年に竣工したJR原宿駅の木造駅舎。建て替え工事が進んでいますが、街の歴史的な観点から考えても、残してほしい建物だと思います」

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1924(大正13)年に建てられたJR原宿駅の旧駅舎。

10代、20代の若者たちや外国人観光客でごった返す竹下通りを脇道へ折れ、裏手の路地へ。そこからわずかな段差を上がると、先ほどまでの喧噪が嘘のように静かな空間が広がります。日露戦争の日本海海戦でロシア艦隊を打ち破ったことで知られる、東郷平八郎元帥を祀った東郷神社。「東郷元帥を軍神として、彼が仕えた明治天皇ゆかりの明治神宮の近くに祀った場所ですね。いわば当時の国威発揚の場ですが、それがいまでは“勝利の神様”として受験生らの人気を集めている。そう考えると神社とは、スクラップ&ビルドが進む大都市の中で最も開発から守られた場所だともいえます。明治神宮の森にしても、元は陸軍の演習場だった草地に計画的な植林を行い、それが100年にわたって大事に守られてきたわけですから」

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1940(昭和15)年に創建された東郷神社の境内にて。

インタビュー:中沢新一氏 / 聞き手:石川由佳子氏(前編)

縄文地形の記憶をいまに伝える穏田神社、明治天皇を祀る明治神宮の人工林など、日本の精神文化から構成された永続的な空間と、ヨーロッパ風の街並みから若者たちのショッピングタウンへと変貌を遂げ、目まぐるしく流動し続ける商業的な都市空間。中沢さんとともに街を巡る中で見えてきたのは、対照的な二つの要素によって構成された原宿の街の姿でした。では、この不可思議な構造はいかにして成立し、街の文化にどのような影響を与えてきたのでしょうか。
街歩きで得た気付きをより深く掘り下げるべく、原宿通りのカフェで中沢さんに話をうかがうことに。聞き手を務めるのは、渋谷を舞台に“ボトムアップ型の都市づくり”を実践する「Shibuya Hack Project」や、多様性あふれる社会をめざして2019〜20年にかけて開催されている「True Colors Festival ー超ダイバーシティ芸術祭ー」のレクチャー・ワークショップ企画などでディレクターを務める石川由佳子さん。人々が主体的に参加できる都市空間のあり方を考えてきた視点から、率直な疑問をぶつけていただきました。


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石川由佳子(いしかわ・ゆかこ)
アーバン・プロジェクト・ディレクター
東京都出身。小・中学校時代をドイツで過ごした経験から、都市のあり方や人の営みが起こる“源”に関心を持ち、アートプロジェクトと都市づくりをテーマに研究を行う。その後、ベネッセコーポレーション、ロフトワークを経て独立。体験をつくることを中心に「場」のデザインプロジェクトを数多く手掛ける。渋谷の都市づくりをボトムアップ型で実践していく「Shibuya Hack Project」、足立区の産業支援プロジェクト「Good Survive Project」の立ち上げ、日本財団と共に「True Colors Festival」にて参加型のアートプログラムの企画・ディレクションなど、ジャンルの垣根を超えてさまざまな場作りを実践する。
公式サイト http://na-tokyo.com/

石川さん 今日のルートの中でも印象的だったのは、川の流れに沿ったキャットストリートの緩やかなカーブが若者たちの自然な交流を促し、ストリートカルチャーを育むのに適した空間を形作っていたことです。街というものは、実際に歩いて感じてみないとわからないものだとあらためて実感しました。

中沢さん アースダイバーの背景でもありますが、現代の文明は目に見えるものや情報として表されるものに、あまりにも偏り過ぎています。その見方でアプローチできるのは、自然という名の広がりのごく一部に過ぎません。この状況に対して、自然と科学の両面から世界を捉え直し、両者の融合を図っていくのが、“野生の科学”という考え方です。
例えば、都市の始まりは未開の土地に人間がやってきて建物を建てるところに遡りますが、街というものは必ずしも人間中心の合理的なモデルに沿ったものではなく、その土地の気候や地形などの影響のもとに、民族的な性質や歴史などが複雑に絡み合って形成されていきます。その点で東京は、世界の中でもとりわけ自然の影響が色濃く残されている都市だといえますね。

石川さん 私自身の取り組みでも、あえてスリッパを履いて渋谷の街を歩くなど、土地の温度感を身体で感じようと試みたことがありました。そのように普段は意識されていない人間の感覚が、街の形成に大きく作用しているということでしょうか。

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原宿通りのカフェで、自身が手がけてきた取り組みについて語る石川さん。

中沢さん まさにそうですね。その点で対照的なのが、渋谷と原宿の成り立ちです。湿った低地だった渋谷が発展する原動力となったのは、戦前に東京横浜電鉄(現・東急東横線)が開通し、そのターミナル駅として東横百貨店(現・東急百貨店東横店)が作られたこと。戦後には新玉川線(現・田園都市線)が開通し、沿線の住宅地から東急電鉄の電車に乗った奥様たちが高級食材や衣料品を求めて訪れる動線が生まれました。渋谷の中心部は、鉄道会社によって計画的につくられた街だということです。一方で原宿は、穏田村の集落以外は原野が広がる場所でしたが、明治天皇の崩御後に明治神宮が造営されて、大規模な植林が行われました。この明治神宮の森が人工林として造成されるにあたって(※1)、発想の根源となったのが古墳です。というのも、都市化が進んでいく中で、日本古来の植生のまま100年、200年先にも残り続ける場所は、古墳の森を置いてほかにはない。しかも面白いのは、造林計画にあたって日本全国から木々が持ち寄られ、森林生態学をはじめとする当時最先端の科学とヨーロッパの植林技術が導入されたこと。そして、その参道はシャンゼリゼ通りをイメージしてつくられ、明治神宮の完成後に盛大なパレードが催された。
要するに、日本古来の森に対する信仰と、植物の多様性を再現するハイカラな技法とが融合し、それが原宿という街の基礎になった。その後の若者たちの文化もまた、こうした対比的な構図の上に積み重ねられてきたものだといえるでしょう。
(※1)参考記事:NTT UD Dialogue Series #02歴史と文化 ロバート キャンベル × 竹村真一

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歴史的に対照的な背景を持つ二つの場所。渋谷駅前のスクランブル交差点と、明治神宮内苑の森。


→ 次回  原宿編③
 “無意識の記憶”が導く街の行方


リサーチメンバー (取材日:2019年12月13〜14日)
主催
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)
イラスト
ヤギワタル


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2019年度は、前年度から続く「Field Research(フィールドリサーチ)」の精度をさらに高めつつ、国内の事例にフォーカス。
訪問先は、昔ながらの観光地から次なる飛躍へと向かう広島県の尾道、地域課題を前に新たなムーブメントを育む山梨県、そして、成熟を遂げた商業エリアとして未来像が問われる東京都の原宿です。

その場所ごとの環境や文化、人々の気質、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。特性や立地条件の異なる3つの都市を訪れ、さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、「個性豊かな地域社会と街づくりの関係」のヒントを探っていきます。

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