Talk-Night表紙_02-22

#02青木淳×藪前知子②「地域アート」は何をもたらしたのか?

書籍 『アナザーユートピア』(NTT出版)を起点として、これからの街づくりのヒントを探るトークイベント「Talk Night オープンスペースから街の未来を考える」。2019年11月21日に開催した第二回目では、「街はなぜアートを必要とするのか」をテーマとし、建築家の青木淳氏と東京都現代美術館学芸員の藪前知子氏をお招きしてお話を伺いました。(全3回)
▶①アートは「公共」を問い直す
▶③アートは都市を挑発する

「わかりやすさ」とその反動

青木:美術という枠組みなのか、あるいは税金を充てる仕組みによるのか。もし、お金の出所が絞られていたら、そうした表現の自由の問題はどうなるでしょうか。例えば、「岡山芸術交流」 という国際展は、岡山市も主催者の一部ですが、実際には石川文化振興財団という個人の財団がほとんど出資しています。そう考えると、美術館で展示できる内容とは当然違ってきます。まず、難しい作品を出せる(笑)。

藪前:すごくハイコンテクストですよね。「岡山芸術交流」は、世界のトップアーティストがキュレーターになっていることが特徴で、気候変動やAIといった世界の芸術祭でも頻出するテーマが扱われています。読み取るのが難しい作品が街中に散りばめられていて、小学生も鑑賞しているという。私自身、アートの専門家としては楽しみましたけれど……

青木:小学生も面白がっていましたよ。子どもが見ても、大人が見てもわかる。というか、大人なりにもわからないし、子どもなりにもわからない。

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藪前:2000年代以降、アートが街の中に展開していくようになります。そうすると、わかりやすさが求められ、アートの機能として街の人たちとのコミュニケーションがどんどん前面化してくる。つまり、敷居が低くなっていくんです。

青木:「パブリックアート」「街おこしアート」「地域アート」という言葉もありますね。

藪前:「地域アート」という言葉が出てきてから、これまでの美術的な批評基準では捉えられない作品を、地域に一定の効果をもたらすという点のみで美術作品として評価して良いのかが議論になっています。

青木:藤田直哉さんが使いはじめた「地域アート」という言葉は、街おこしを目的としたアート、あるいは街の活性化を根拠に公的な予算を使ったアートのことだと捉えられます。今、日本中に国際芸術祭がありますが、地域アート化していっているものが多いように思います。「公」というと、結局「みんな」にならざるをえませんが、僕は、そうではない場合があるのではないかということに関心があります。

先ほどの「岡山芸術交流」もそうだし、今年で言えば、また全く違うタイプに、「TRANS-KOBE」 があります。これは神戸市主催の芸術祭で、参加アーティストは、やなぎみわさんとグレゴリー・シュナイダーのたった2人しかいませんでした。岡山は、世界的に著名なアーティストのキュレーションですが、実際の作品のまとめ方としては、むしろキュレーターは置かないという考えに近いです。どちらも「みんな」を相手にしていないところが面白い。

そして、このような街の中で行われる展覧会では、鑑賞する人はチケットを買って、マップを見ながらいろんな場所をまわって体験します。明らかにその人たちだけが浮いて、全く違うグループとして見えてくる。だけれども、周りからの見え方として、閉じてはいないですよね。その意味では、クローズドにしても、可視化されていれば、都市の中でも大丈夫なのだなという気がしています。

藪前:その2つの芸術祭は、2010年代以降の流れに対する反動的な表れだと思います。「みんなの時代」という流れの中で、アートはすぐにわかるものと結びつくようになりました。その典型のひとつが「地域アート」、もうひとつは、チームラボのようなエンターテイメントに近い体験型のものです。こうした二極化の状況の中で、世界の芸術祭の水準でハイコンテクストな内容をめざした「あいちトリエンナーレ」が批判にあってしまった。その後に開かれたこの2つの芸術祭は、今の時代が終わりつつあることを象徴しているように思います。

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青木:僕もそう思います。ただ、そうした状況にたいする美術・建築側のリアクションが、ハイコンテクストな展示に振り切るという形でいいのかは、引っかかるところがあります。

藪前:おっしゃるように、アートはどんどんハイコンテクストになって、コードがわかっている人だけに流通するようになっていくのかもしれません。でも、それで良いのかは議論する必要があると思います。

公開空地とアート

――大規模な開発をする際には、オープンスペースあるいはパブリックスペースに、アートを入れるという動きが出てきます。地域アートの流れでいえば、昨今ではその目的として、人のつながりや地域の交流を生むこと、そこで働く人の創造力をかき立てることなど、いろいろな言い方をされます。お二人が今まで見てきた中で、新しい価値を生み出しているような事例はあるでしょうか。

藪前:公開空地をどう使うかは、すごく大きなテーマですね。数年前に、千代田区の公開空地を活用するコンペの審査に関わったことがあります。そのときはアートではなく演劇作品が受賞したのですが、「作品がそこにあるという必然性」を、その場にいる人たちに対してどう保ち続けるかという点で、アートの難しさを感じました。

過去の時間に紐づけられたパブリックアートは、体験として古びてしまうことが多いので、必ずしも来た人の感覚を刺激できるとは限りません。ですが、例えば「ファーレ立川」 は、丁寧に作品をメンテナンスしていて、鑑賞プログラムも整っています。人の流れを変えるようなことも試していて、今行っても面白いなと思います。

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青木:パブリックアートというと野外彫刻のようなものが想起されますが、そういう彫刻というものも、物体としてのオブジェというところから変化してきていると思います。良い事例をパッと思いつかないのですが、一時的であれ、そこに居合わせる人々の状況をつくれるか、というような方向に向けた「彫刻」もあったように思います。パフォーマンスを誘導するものとしての「彫刻」と言ったらいいか。

例えば、僕は札幌国際芸術祭の1回目の会場構成に関わったのですが、ひとつの会場が地下道でした。場所や 物をつくること自体が重要なのではなくて、つくった場所にいつもと違う「使う」ことが生まれたときに何か面白いことが起きる。

藪前: 六本木ヒルズに宮島達男さんの《Counter Void》という、壁全体がデジタルカウンターになっている作品があります。東日本大震災のときに、犠牲者の追悼と節電のために消灯されました。5年後に、この作品を点灯させて再展示するプロジェクト (Relight Project)が行われたのですが、そのようなイベントとして今の時間との接点をつくりだす試みは、ひとつの形かなと思います。

青木:アートには、我々が毎日の生活を送る中で、違う時間をつくり出す効果があります。モノを見てぼーっとできることとは違うなにかです。そこで起きていることそのものから、アートを感じられることは、街に大きな価値をもたらすはずです。

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→ 次回 青木淳×藪前知子
③アートは都市を挑発する


日時場所
2019年11月21日(木)@シェアグリーン南青山
主催
NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室
撮影
高橋宗正
グラフィックレコーディング
藤田ハルノ+津布久遊 (テクストの庭)