Talk-Night表紙_02-33

#02青木淳×藪前知子③アートは都市を挑発する

書籍 『アナザーユートピア』(NTT出版)を起点として、これからの街づくりのヒントを探るトークイベント「Talk Night オープンスペースから街の未来を考える」。2019年11月21日に開催した第二回目では、「街はなぜアートを必要とするのか」をテーマとし、建築家の青木淳氏と東京都現代美術館学芸員の藪前知子氏をお招きしてお話を伺いました。(全3回)
▶①アートは「公共」を問い直す
▶②「地域アート」は何をもたらしたのか?

計画と非計画のあいだで

――藪前さんは、美術館の活動とは別に、「東京計画2019」 という展覧会のキュレーターをされています。オリンピック前夜の東京をテーマにした、とてもホットな企画ですが、これについてご紹介していただけますか?

藪前:武蔵野美術大学が20年以上続けている「αM」というプロジェクトがあります。今は馬喰町にスペースがあって、毎年ゲストキュレーターを呼び、1年間連続で展覧会を開くという形式が特徴です。

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今年のキュレーターを依頼され、美術館ではない場所で何をやろうかと考えて、オリンピック前夜の東京で今何を見せるべきかを念頭に展覧会を構成しました。オリンピックを前に再開発が進み、都市はますます画一化・均質化し、個性が薄れつつあります。そうした中、やはりアートの使命は、みんなと同じ経験や単一のシステム、アイデンティティといったものから脱却し、別の可能性を示すことだと考えました。タイトルは、丹下健三「東京計画1960」 を捩って、「東京計画2019」としました。

展示を貫くテーマとして、先ず、「都市が今なお人の幸せを支えるシステムとして有効なのか」という問いがあります。ジェイン・ジェイコブス が『アメリカ大都市の生と死』で、生活者の視点から、異なる経験が立ち現れる場所としての都市像を提示したのは、「東京計画1960」の発表と同年でしたが、現代の都市も依然として、高度経済成長時代のスクラップアンドビルドという強固なシステムに基づいています。

それから、もうひとつのテーマとして、「オリンピックというお祭りの後に、どうサバイブしていくのか」という問いがあります。「計画」という思考の枠組み自体を変えて、その指針を考えることはできないだろうか、という問いでもあります。この2つの問題意識を年間テーマに、5組のアーティストと展示を行いました。

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青木:「計画」という言葉が何回か出てきましたが、「建築計画」という言葉もあります。僕は自分の事務所で仕事を始めてからずっと、「建築計画は、いらない」という立場でやってきました。ですが、今年から教えることになった東京藝術大学で、唯一受け持っている授業が、建築計画です。そこで、「建築計画はいかにして不可能か」ということを毎回講義しています(笑)。

藪前:2017年に、大林組の財団が既存の「都市計画」ではなく、アーティストに新しい都市のヴィジョンを提案してもらう助成プログラムを始めて、会田誠さんの「Ground No Plan」 という展覧会が行われました。その中心となるコンセプトが、「セカンド・フロアリズム」というものだったのですが、人間が自力でつくれる建物は2階建てが精一杯、それ以上のものは人間の領域を超えてしまう、と。それは「計画」に対する、会田さんなりの一つの反応だったと思います。

青木:会田さんの展示は面白かったですね。ジェイン・ジェイコブスが言っているのも同じことで、人間的な生活ができるのはそっちじゃないのだと、都市計画が持つ暴力性へのアンチテーゼでした。これが、都市計画家や建築家にはなかなかできない。会田さんのような発想を持ちえても、それを大学の卒業設計で出したら、卒業できないかもしれない。「妄想」だけではダメで、誰がどういう理由でその計画にお金を出しつくるのか、またそれはどういう収支で運営していくんだ、という背景に支えられていないといけないという、暗黙の取り決めがあるからです。会田さんの提案は、誰がどういうお金でどんな方法でつくるのかということには答えていません。だから、「計画」批判にはなっているけれど、「計画」にはなっていない。

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しかしその一方で、都市は結局、予め納得できる根拠などなく、蛮勇を振るわないとできないというところがあって、オスマンのパリ大改造もローマの景観も、たくさんの人を強制的に立ち退かせてつくったように、都市とはそもそも暴走する欲望からできていたりするのかもしれません。

丹下さんの「東京計画1960」は、都市のそういう伝統に添った計画らしい計画でした。でも潰えました。それを支えるものとして想定されていたのは国家でしたが、日本はもう投企するヴィジョンを必要としなくなっていたのですね。以降、そういう力も意思も、この国にはありません。蛮勇を振るえるかもしれないのは大資本でしょうか。

日本の都市は、西欧と異なり、自然発生的というか、都市計画がないのが普通です。村がそのまま大きくなったという感じ。東京の都市構造を決めているのは、誰かの意志ではなく、自然の地形やたまたまの出来事の結果。明快な意図もなければ、方向付けも、統御もありません。それはそれで面白いのですが。

「ヴィジョン」としての都市計画

青木:藪前さんは、最近の都市開発、たとえば、渋谷をどう見ていますか?

藪前:渋谷の開発において、アートやクリエイターの集まる場所をつくろうとする試みがあって、少しアドバイスに入ったことがあります。今、渋谷の都市計画に携わる人たちの間には、建物だけではなく、コンテンツや街の活かし方をセットで「計画」しなくては、という流れがあるように思います。

青木:計画は不可能と言っておきながらですが(笑)、もし開発をするならば、やっぱり「計画」が必要で、それは真面目にやらないといけないと思います。もちろん「計画」すると、道の面白みがなくなるというジェイコブスのような話が出てくるわけですが、街をどうつくるかを考えるときに、インフラの問題は欠かせません。それを抜きにこんな大きな立体都市をつくってしまうのは、危険だと感じます。

3.11のときに、高層ビルの上層階の人たちが何時間も退出できない問題がありました。しかも今の渋谷で同じことが起きたら、降りてきても階下は駅ですから、安全上本当に大丈夫なのか心配です。その駅は渋谷のもっとも低地つまり谷にありますから、よけいに怖い。本来は垂直の展開ではなく、マークシティのように水平に面としてつないでいくのが筋でしょうね。

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藪前:「都市計画」と従来言われてきた概念をどのようにアップデートしていくことが可能でしょうか。

青木:都市計画とは、言ってみれば枠組みをつくることです。この街をこういう方向にもっていこうというヴィジョンも一種のインフラであり、都市計画だと思います。丹下さんの「東京計画1960」は、東京湾から2本の道が一直線に伸びていて、そこに街をつくるという構想でした。それは「海側に開発すべき」というヴィジョンだと捉えることができます。東京の街の中は、地権者が多くてきちんと制御することはできないから、権利関係のない海上を埋め立てて開発していこう、という。

そう考えた面白いプロジェクトが、当時2つありました。ひとつは丹下さんのこの計画で、もうひとつ好対照になるのが、アーティストの岡本太郎の「いこい島」です。過密化した東京に代わる第2の都市を海上につくる構想です。いいかどうかは別として、どちらのプロジェクトも海に向かって開発すべきだという方向づけでもありました。

藪前:丹下さんのように、国土計画のレベルで思考できた時代への憧れはやっぱりあります。「東京計画2019」の第2回の風間サチコさんの展示のときに議論になったのは、日本の都市計画のいろんなところで、戦前の計画がお化けのように復活しているということです。たとえば、丹下さんのデビューは「大東亜建設記念営造計画」案ですが、戦争と敗戦を介した形のリベンジとして、広島平和記念公園の「原爆死没者慰霊碑」があると。

青木:海上の道のような直線の軸線は、おっしゃるように広島でやっています。原爆ドームから始まり、慰霊碑のアーチ、平和記念資料館へと続く軸線は、丹下さんがつくり出したものです。決して、原爆ドームがあったからそうなったわけではなくて、原爆ドームを使って軸線をつくり、それが街の構造になっていった。そういう計画が展開できたのは、焼け野原だった1945年から60年くらいまでの間です。「東京計画1960」以降は、そういう計画のあり方自体が幻想になりました。

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「パッチワーク」としての街のあり方

青木:「東京計画2019」の作品は、回ごとに全部違うものでしたが、違う考え方が連なることで、パッチワークとしてできていく街を連想させているように思いました。

すると、次に考えるべきテーマは、パッチワークのような街がどのようにできていくと面白いのか、ということではないでしょうか。実際、東京はパッチワークでできています。でも、銀座と新橋は違う街なのに、どこが境界なのかよくわからない。グラデーションのように、いつの間にか街が変わっていきます。海外では、道路を隔てると住むエスニックが違うというように、境界がはっきりしていますから、そのような変化の仕方は日本特有のものだと思います。

「公共」の話に戻ると、境界線という場所は、緩衝地帯として、パッチワークをつなぐものにしないと「公共」の意味が出てきません。でも、東京はそもそもグラデーションで変化しているから、パッチワーク間の境界線、つまりバッファーゾーンが意味をなさない。それが「公共」の難しいところだと思います。

藪前:その意味では、シェアグリーンのあるこの場所は青山と六本木をつなぐ境界にあって、まさにパブリックスペースですね。隣のファミレスは、六本木で遊んだ人たちが夜中に集まる場所だったりして。文化と文化の中間地域として、今後可能性のある場所だと思います。

アートは、既存のコミュニティを解体して、新しいコミュニティをつくる、ひとつの技術、あるいは手段だと思います。全く違う場所にいる人たちが、アートという経験を通してつながることができる。個人の欲望や主義といった、都市計画からはみ出るものをどう拾っていくのか、今日のお話を通じて、いろいろな刺激を受けました。その可能性を、今後も考えていきたいと思います。

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日時場所
2019年11月21日(木)@シェアグリーン南青山
主催
 NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室
撮影
高橋宗正
グラフィックレコーディング
 藤田ハルノ+津布久遊 (テクストの庭)