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[READ] 西加奈子の「サラバ!」がエンタメの最高傑作小説だった

最近audibleで小説を聞きまくっている。だいたい月8冊くらいのペースで消化しており、今週末に西加奈子の直木賞受賞作、「サラバ!」を上中下巻の3冊を一気読み(聴き)した。結果、最高だった。audibleはいつも、家事やランニングをしながらながら聞きするのだが、引き込まれすぎて、ラスト30分くらいソファの上でただただairpodsに耳を傾けるという状態になった。

以下ネタバレ満載の感想文です。

西加奈子の小説が初めてだったことや、audibleでいつも上位に来ていたこともあって、正直、軟派な小説かなとか思っていた。批判を承知でいうと、池井戸潤みたいな、ご都合主義的な、ドラマ化しやすい、大衆受けしやすい感じの小説を想像していた。「サラバ!」の「!」が浅い雰囲気を醸し出していると思う。ただ、圧倒的な重厚な小説だった。

ジェットコースターストーリー

最初の印象は、「深夜特急に似ているな」と思った。イランから始まり、エジプト、日本、と移り住んでいく様子をリアルに描いている。出生から始まり、幼少期の生々しいエピソードを重ねながら、時系列におっさんになるまで進行する。途中途中で同性愛だとか、新興宗教だとか、ストリートアートだとか、寝取られだとか、そういったサブストーリーが続く。これでもかとエンタメが詰め込まれており、ジェットコースターのように次々となにかが起こる。そして、細かいエピソードが最終的に回収され、骨子の通ったメッセージと共にラストに続く。

読んでいると、途中で細かい違和感を覚える箇所が何箇所かある。あまりにもリアルな生々しい描写が続くのに、稚拙なご都合主義的なエピソードや、ファンタジーな描写が唐突に挟まったりするのだ。友人との奇跡的な再会を何度もしたり、怪物が現れたり、「御神木」というあだ名が違うシーンで使われたりだとかだ。ただ、それが最終的に虚実を織り交ぜた小説であるという暴露で消化される。狙ってやったのかはわからないが、「すげえな」と思った。

伏線というか、構成の緻密さにも驚く。最後の姉との別れのシーンにつなげるために「御神木」というあだ名を何度も配置したり、「え、あの手紙って結局なんだったん?」みたいなまま先に進んだり、基本的に人生のような構成になっているので、謎は謎のまま進み、そして次々と起こる珍妙エピソードがその違和感を消してしまったりする。ただ、大きいトピックについてはあとから必ず回収されるし、それがストーリーの基軸になっている。細かい謎というか、「このエピソードいる?」みたいなのがあったりするが、それがまた生々しさを生んでいる。

ドキュメンタリーとエンタメのバランスが最高

ストーリーとドキュメンタリーはトレードオフの関係になっていると思う。意味のある大きいイベントのみを拾っていけば、どんな人生でもストーリーとして語られるし、意味のない細かいエピソードを描写すると、ドキュメンタリーっぽく、エッセイっぽくなる。抽象化すればするほど物語に近づき、具象化すればするほど、日記に近づく。これが絶妙な塩梅で混ぜてあり 、ヤダのおばちゃんの背中の入れ墨みたいな、語っても語らなくても良いエピソードが散りばめられている。ちなみにこれは理由が語られる。おそらく作者の西加奈子自身の経験が大いに反映された作品なんだと思う。

骨子となるメッセージは、「信じるものは自分で決めろ」というものだ。母も父も姉も、ヤダのおばちゃんも、スグも、主人公の周りにいる人々はそれぞれに自分が信じるものを自分で見つける。そして主人公もそうだ。この小説はメタ構造になっているため、最終的にそれを読者に突きつけてくる。強制的に考えさせる構成になっている。それが面白くもある。

当然、自分も考えた。自分が信じるものとはなんなのか。他人にとやかく言われてもぶれない、自分を救うものはなにか。自分が根底に持っている行動指針は「人間として自由になるための意思決定をする」というものだが、おそらくこういうことではないだろう。もっと核となる、象徴のようなものだと思う。

愛について

思いついたものは、「愛」だった。最高の小説を読んだあとなのにも関わらず、月並みな表現になるのが心苦しいが、おそらくこれだ。自分は愛を理解した瞬間を覚えている。トルコのイスタンブールにあるブルーモスクの中で、イスラム教徒の人々が祈りを捧げている姿をみたときだ。彼らが同じ方角を向き、同じポーズで祈りを捧げているのをみて、なにか自分が安易に触れてはいけないようなものを見ているような気がした。あまりにピュアで、彼らは何者にも代えがたい大事なものを持っており、それは自分には理解できないところにあり、そして、それは彼らにとって当然そこにあるもので、それに祈りを捧げている姿に、なぜか涙を流した。自分ではなぜこんなにも心を揺さぶられたのかわからなかったが、これが「尊い」という言葉の表すものなのかと、気づいた。そして、唐突に「愛」という言葉を理解した。

「愛」とは自分の全てにおいて優先されるものに対する感情で、それは無条件に信じられるものであり、そして尊い。僕はその時に一緒だった彼女に、その貧乏旅行の最中にプロポーズをする。スーツケースに入れていた現金をすべて盗られて、残り3日で何も買えなくなって、喧嘩をしたあとだった。前日に買っていたトルコの缶ビールを片手に安宿でプロポーズしたのを覚えている。それは確実にブルーモスクでの感情が影響していた。

「サラバ!」には「愛する」だとか「愛し合っている」という表現が多用される。それは家族愛にも、男同士の友情にも使われる。日本の日常で使われている、恋愛だとかの文脈とは違う使われ方をしている。しかし、この表現が確実に正しいと、自分は感じていた。

長くなったが、久々に最高の小説を読んだ。次は西加奈子の「さくら」を読む予定だ。

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