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「学校なんて行かなくていい」「学歴なんて関係ない」といった価値観と子育ての関係について

人によって言うことが違う、答えのない問い

皆さんは学歴って大事だと思いますか?

ちなみに僕は学歴不問の会社に入りましたし、周りには学歴がなくても優秀な人がたくさんいたから、それほど関係ないんじゃないかなと思っています。

でも妻は、「学歴がないと就職にすごく苦労する、だからとても大事なことだ」と考えているようです。

まあ確かに学歴があったほうが選択肢が増えるという見方もあります。
学歴を重視するコミュニティもあるでしょう。
でも学歴不問の仕事だってたくさんあるわけだし、学歴至上主義はそろそろ時代遅れになってきてるんじゃないの?と僕は考えています。


では、不登校の問題はどうでしょう。
「学校なんて行かなくていい」という意見をたまに耳にしますが、皆さんはどう思いますか?

学生時代に不登校でもその後の人生で成功してる人たち、けっこうメディアで見るようになりました。
テレビでいじめ問題を取り上げているときに、コメンテーターが「学校なんて行かなくていい」と話しているのも聞いたことがあるし、世の中的にそのように言う人が増えてきてるようにも思います。

でも僕はそういう話を聞くと、なんだかモヤっとします。

それって本当か?と。
じゃあ行かない代わりに何をすればいいんだ?


いじめなど行きたくても行けない理由があったり、時に行かないほうがいい場合も確かにあると思います。

ただ僕は、学校生活を通して得られる学びや経験は少なからず大事だと思っているので、仮に子どもが学校に行かないとなったらその代わりとなる環境をまず用意してあげなきゃと思う。
リアルな話、お金もかかります。でもそのとき経済的な余裕が無かったら?
それに、子どもにとって良い環境がそんなすぐに見つかるものだろうか・・・。

っていうかその前に、
学校に行けない理由に対して適切な対策や治療をするほうが先ですよね。
しばらく休んでもまた戻りやすくなるように何かしら学校とのつながりを作っておくとか、学校側でやれることもいろいろあるんじゃないの?

なのに、「学校なんて行かなくていい」って、
性急すぎるというか、ちょっと無責任な発言じゃないですかね?


・・・と、このように
「学歴は関係ない」と言うくせに、「学校は行ったほうがいい」と思っているのが僕という人間です。

そういう価値観はどのようにして生まれるのか

人は自分が見たいように物事を見てしまいがち。
同じものを見ていても、誰がどういう角度で見るかによってまったく違うものに見えてしまいます。

数学のように明確な答えがあるものはどういう解き方をしても同じ答えにたどり着くだろうけど、世の中、正解が1つに絞れない問題ばかりですからね。

子育て・教育なんて、まさにその典型じゃないでしょうか。


誰かが「学校なんて行かせなくていいんだよ」と言ったとしても、学校に行かなかった場合のことを想像するとやっぱり僕は不安になるので、わが子に「行かなくていい」とは軽々しく言えません。

それはたぶん僕自身が、小中高と不登校になることなく通い続けたからじゃないでしょうか。
その後、大学も(あんまり行ってなかったけど)一応卒業したし、今も仕事がやれていて、そんな自分の人生をある程度受け入れているからかもしれない。

「学校なんて行かなくていい」と思ってる人は、もしかしたら、自分自身が不登校を経験したり何らかの理由で学校が嫌いだったりしたけど、結果的に今の自分に満足して生きてる人なんじゃないかなあ。
もしくは、身の回りにそういう人が多いのかもしれません。
(偏見だったらすみません)

逆に、不登校を経験したのちの人生で進学や就職に苦労したり、今も苦しんでいるという人は、「学校には行っといたほうがいいぞ」と言うような気がします。

今の自分を肯定的に見ているか否定的に見ているかによっても考え方は変わりそうだけど、
どちらにしてもこれらの価値観は経験則からくるものだし自分の人生を通して学んだことだから、どれも間違いじゃない。

自分の思うように生きればいい。
それがその人の人生観のひとつなんだと思います。


でも、自分の人生と子どもの人生は違うものです。

自分の人生観がそのまま「教育観」「子育て観」になって、それを子どもに押しつけるのはなんか違う気がする。

それが子育ての難しいところなのかもしれません。

価値観も子育ても人それぞれ

子育て方針が夫婦でまったくかみ合わなかったり、
子どもが自分の思い通りにならず、「かわいくない」と思ってしまったり、

子育てには、自分の価値観と合わずに葛藤する場面が多くあります。

ですが、この問題は1人で考えててもたぶん解決しない気がします。
どうしても自分の価値観に引っ張られてしまうから。


だからまずはいろんな人の考えを聞いてみるのがいいと思うんです。

たまたま見たテレビでコメンテーターが言ってたことを鵜呑みにするのではなく、
ネット検索で一番最初に読んだ記事をそのまま信じるだけでなく、
もっと多くの考えに触れること。

すると自分では気づけなかったところに、すごくしっくりくる答えが見つかるかもしれません。
そのようにして自分の価値観もアップデートされていくんだと思います。


そのためにも、「ひとつの問いに対し、多様な答えが一度に聞けるようにしたい!」
と思ってつくったのが『ソクたま会議室』です。

急にうちのメディアの話を差し込んですみませんが、よかったら読んでみてください。

『ソクたま会議室』とは、教育の専門家や著名人など多くの有識者に対し共通する1つの問いを投げかけることで、その問題を多角的に考えようというコンテンツ。以下がこれまでに実施した主な3つのテーマです。

学校ってなんだろう
いい先生ってどんな先生?
ウィズコロナ時代の教育・子育てを考えよう

読んでみてもらうとわかりますが、教育の専門家に同じ問いを投げかけてるのに全然答えが違ったりするんです。
なのに不思議とどの答えにも納得感があるのが面白いところ。
(その中でも自分の心にストンと落ちる好みの答えがきっと見つかると思います)


本当にいろんな人がいて、いろんな答えがあるんだなあと思います。

人それぞれ生き方や考え方が違うのと同じで、子育てにもいろんな道があるということですね。

親が子育てについて学ぶ意味ってなんだろう

僕は曲がりなりにも教育メディアを運営しているので、一般的な親よりも子育て・教育に関する情報が多く入ってきているはずですが、
思い返してみると、自分の娘に対して何も特別なことはしてあげられていません。

もっとできることがあったはず。
今思えば、経験させてやりたかったと思うことがいくつもあります。

でも、娘はもうこの春で中学3年生。
いつのまにやら自分で考えて行動できる女性に成長してました。
親として何もしてあげられてないのに、僕が中学生の頃よりもずっと大人で、大したもんだなあと感心します。

親がしっかり教育しなくても、子どもは勝手に成長するものなんですかね。
何もしてあげられなかったことを正当化するようだけど(笑)
あまり親の価値観を押し付けず、「子どもの成長を邪魔しない」というのも大切だと思います。

だから本当は、深く思い悩んでも仕方ないのかもしれません。
どうせ子どもと親は違うんだから。

「子どものことを一番に考えなきゃ」「私が導いてあげなきゃ」と親が使命感に燃えたところで、親は子どもの人生を生きられるわけじゃないし、
正直そんな暑苦しい親だと、子どものほうもちょっと重たく感じそう。

それよりも、前述のとおり
「生き方も子育ても人それぞれで、いろんな答えがある」と思って肩の力を抜くぐらいのほうが、子育ても楽しくなる気がします。


僕たち親が子育てについて学ぶ意味は、
そのようにいろんな道があることを知るってことなのかもしれません。

自分の価値観にとらわれて子どもの足を引っ張らないように、
自分の知らない生き方を子どもが選んだときでも快く応援してあげられるように、
価値観や知識をアップデートしておくことも大切な親の務めなのではないでしょうか。

歳をとると頭が固くなると言われますから。
僕自身もソクたまの運営を通して学びながら、価値観を柔らかく保ちたいものです。


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