1.私たちはなぜ、「障がい」と書くのか(4)「障がい」はどこに向かうのか


 前述の宝塚市では、「障碍」には振り仮名を振ることになっています。一般市民には読みにくいという判断が働いているからでしょう。ですからこの先、自治体など公的機関が「障碍」を使うようになっても、とりあえずしばらくは「障がい」が広く使い続けられると思います。

 この「ショウガイ」問題は、文字表記の問題として扱われています。しかし言葉は読み、書くだけではありません。話し、聞くものでもあるのです。
 たとえば文字を見ることができない視覚に「障がい」のある人にとって、「障害」「障がい」「障碍」「しょうがい」はいずれも同じ音で区別できません。

 日本には、日本語の非ネイティブの人も暮らしています。中には会話はできるけれど読むのは苦手、漢字は読めない人もいます。その人たちにとって「害」と「碍」の区別はあまり意味を持ちません。

 またかつて「精神薄弱」という名称が適切でないとして「知的障害」と改められました。これを「知的障がい」に変更すると、もっと適切な表現になるのでしょうか。どれだけ適切になるのでしょうか。

 「害」は小学校4年生、「障」は6年生で習う教育漢字です。
 4年生は「害」を習っても「しょうがい」と書き、6年生は「障がい」と書くのが正しいと学校の教室では教えているのでしょうか。
6年生に、「害」は習ったから「障害」と書きましょう、という指導はないのでしょうか。「ショウガイシャ」を漢字で書くという問題で「障がい者」と書いたら、誤答になるのでしょうか、それとも正答なのでしょうか。

 「障がい」は、「障碍」が普及したら消えるのでしょうか。しかし「障碍」がすぐに広まる気配はなく、ますます「障がい」が優勢になっているような気がします。

 日本語の平仮名は便利な文字です。
 漢字で書けないときや相手が読めないだろうと考えたとき、平仮名で書くことができます。また、日本語を文字で表すとき、漢字の元々の意味を離れ、音だけ借りて使われているものもあります。平仮名もそうやって作られた文字です。ですから平仮名を使うことで、漢字の意味から解き放たれるという効果もあります。したがって、「がい」は「害」でもあり「碍」でもあり、またそのどちらでもない、ということもできます。

 皆が読めて書ける「害」という漢字があるにもかかわらず、「がい」と平仮名で書かれた、何とも不思議な「障がい」という表記。この先どこに向かっていくのでしょうか。観察を続けたいと思います。


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