何者かになりたい人が"見た" 映画『PERFECT DAYS』
はじめに
映画『PERFECT DAYS』 もはや言わずと知られた映画だろう。
巨匠ヴィム・ヴェンダース監督が、東京を舞台に1つの長編映画を撮った。
作品は高い評価と注目を集め、カンヌ国際映画祭では、主演の役所広司が最優秀男優賞を獲得。1月末に発表された第96回アカデミー賞では、国際長編映画賞へのノミネートが発表されたことも記憶にも新しい。
ストーリーや裏話については、すでに他のnoteクリエイターの方の記事やYoutubeに動画が数多くあるため、僕の記念すべき初投稿では、なるべく割愛する。
何者かになりたいと強く願う学生の私が、どのような視点でこの映画を見たか、どのシーンが印象的だったか、どんな感想を抱いたのかを主観的に綴りたい。この素晴らしい映画を忘れないための覚書でもある。
映画の全体的な話
まずは声を大にして言いたい。
タカシ風に言うなら10段階で10の映画!最高の映画だった、、
最大の特徴はシナリオといったシナリオがないこと。
鑑賞者は作品の中へ深く引き込まれ、映像美や構図、音楽といった映画の中の「芸術的」な要素に目が向くようになる。今までの私は、ストーリーに注視しすぎることで、映画の細部を見落としがちだったのかもしれない。『PERFECT DAYS』はそのことに気付かせてくれた。
また、難解な映画に見えて、登場人物のセリフや時折挟まるキャプション、もしくはスポンサー等から、映画に込められたメッセージや意図はとても分かりやすい。
無口な平山が、映画の核となるようなことは、その都度しっかりと教えてくれる。
作中のセリフの一つだけれど、言われなくても伝わっていたはず。
良く言うと丁寧と感じた。
そして「THE TOKYO TOILET」の建築群はどれも魅力的で作家性があり美しい。2021年8月竣工の七号通り公園トイレ(佐藤カズー)までの、11つの美しいトイレが登場した。元々、TTTのPRのため制作されたと言う経緯もあって、とにかく”美しく”映される。そのことがやや賛否両論を生んでいるようだが、、
特に安藤忠雄の設計した神宮通公園トイレの映像は素晴らしかった。
天井の仕上げ材に反射して映る周囲の景色、内廊下から縦格子の壁を見て、入り込んでくる外を歩く人の影。曲面壁を活かした美しいシークエンスを見ることができた。
印象に残ったセリフやシーン
冒頭 寡黙な男の日常を垣間見る
淡々と映し出される男の日常。
老婆が落ち葉を竹箒で掃く音で目を覚まし、無駄のない洗練された動作で身支度を整える。玄関横に備え付けられた小さな棚の上に一列に並んだガラケー、小さなフィルムカメラ、車のキー、小銭を所定のポケットに入れ、家の前にある自動販売機で甘い缶コーヒーを買い、青い軽自動車に乗り込む。
この朝のルーティンに代表されるように、平山は自ら好んで同じような1日を繰り返す。決まった銭湯に行き、決まった店や場所で食事をとり、ひとつひとつの習慣を正確に繰り返す。休日でさえ、決まった休日を繰り返す。
度々強調されるルーティンから、思わず平山の過去と未来を想像してしまう。
この一連の動作を体に染みつけるのに、一体どのくらいの期間を要したのだろうか?数年だろうか?十数年だろうか?
彼は今も、いや、きっと永久にこのルーティンの中にいるだろうと。
境内にてフィルムカメラを取り出す
ファインダーを覗かない平山。見えているものを撮ろうとはしていない。
日常の些細な変化を楽しむ性分の彼が、カメラを頻繁に使うのは、光や陰影が生み出す、目には見えていない現象の変化さえも捉えようとしているように見える。
この後、姪のニコを撮影するシーンではファインダーを使って撮影する。しっかりと撮り逃さないように。
ホームレス(田中泯)登場シーン
すごく良い構図だった。鳥肌がたった。
画面左寄り、築山のようになっている木々の間に一筋の光が差し、そこに立つ1人の男性。光に手を伸ばしている様はとても神々しい。そんな感じだった気がする。
※間違ってたらごめんなさい
平山の休日
朝、仕事の日とは異なり、ゆっくりと起きて、神社に参拝し、コインランドリーで洗濯する。カメラ屋で新しいフィルムを買い、先週分の現像された写真を受け取り、今週分のフィルムを現像に出す。自宅へ戻り部屋を掃除して、頃合いを見て古本屋へ。100円の文庫本を1冊購入し、行きつけの居酒屋に向かう。
居酒屋のシーンで映画のテーマの1つとなるようなセリフが出てきた。
離婚をして、自分の店を持ち、もう立場や環境を"変えることができなくなった"ママ。お店を構えた以上、色々な人が訪れ、去っていく人ももちろん居るはず。開店当初から通い続けてくれる、ある種"変わらない"平山にシンパシーを感じているからこそ、そして変わらないで欲しいという願いも込めて、伝えた言葉であると感じた。
ニコとの共同生活
ある日突然、姪のニコが家出を決行し、平山の元に訪れる。
ニコは平山に対して、良い感情を抱いているようで、幼い頃に渡されたフィルムカメラを今もなお持っているし、鎌倉の家で「おじさんの話」をすることもあったという。ただ、いつも話を変えられたらしい。
ニコと平山は少し似ている。
昼食をとるために訪れた神社では、ニコの方が先にiPhoneを取り出して、木々の写真を撮ろうとしていた。平山と近い感性の持ち主なのだろう。鎌倉の家から逃げ出してきたという共通点もある。
ニコと暮らすうえで、平山は2階ではなく、1階へ寝床を移すことになった。
あるカットの背後で、たくさん積み上げられた段ボールが印象的に映る。これは好きな物でいっぱいの2階と対比されているように見える。もしかすると、好きでは無い物(実家から持って来ざるを得なかった物)が箱一杯に入っているのかも。どちらにせよ、今の平山にとっては重要なものでない。
役所広司×三浦友和
重なると影は濃くなるのか、それとも何も変わらないのか。
日本の名優2人が実際に影を重ねることで、その真偽を確かめる。
"影を重ねる"というのは、"他人と関わり合うこと"であり、"影が濃くなる"というのは"影響を受けること”の隠喩だと思う。
だとすると平山のセリフは、"他人と関わり合うことで、何も影響を受けないなんてあり得ない。"と言うふうに聞こえる。この言葉が、平山が発したセリフであることも興味深い。作中で、彼が他人にとにかく無関心だったのは、このことをしっかりと理解していて、他人に影響を受けて自分が"変わる"ことを怖がっていたからかもしれない。
それはそうと、水面に揺れるスカイツリーは綺麗だったし、どこか哀愁があった。
ラストのカット
裕福な実家や、本人の文化水準の高さから、今とは全く異なる暮らしをしていた事が窺い知れる。彼は自ら"変わる"事を決心して今の暮らしに行き着いた。
自身が大きく"変わった"経験から、人は変わるものだと理解していた平山。
また、"変わらないでいる"方法も理解していた。それが他人と関わり合いにならない事。ルーティンは決して変わらない事の誓いだ。
社会を拒絶し、好きなものに囲まれた自分だけの世界に閉じこもった。
ニュースも見ないし、友人と連絡も取らない。1階の奥深くに荷物は押し込んだまま。新しく"変わった"私にとって完璧な1日をおくり続ける。
それでも事件が起こった。タカシを通じてアヤと出会ったり、ニコが突然押しかけてきたことでケイコと再会した。週末に行きつけ居酒屋でさえ、大事件は起こる。平山は再び人に影響されて"変わってしまった"のか。いつもの日常は、今の彼にとって完璧な日では無くなってしまったのか。
ラストシーンは、そのことを悟った平山が、偽りの笑顔で、今にも溢れ出そうになる感情に必死に蓋をしようとしているように見えた。再び自分を孤独な世界に適応させるために。
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