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コロナというギフトを、のさりました

コロナ。テレビ見てないので実際のところわからないんですが、騒ぎすぎなんじゃない?とも思う。人から責められそうで書きにくいけど。ウイルスより人が怖いというデータも出てましたね。

経済ダウンによる命の被害も大変だ。というのが実感。貧困者が増えているという意味で。

もちろん欧米では大変で、日本は相対的にはまだ軽いというだけで、合併症もあるし、これからも新種が出てくるかもだし、高齢者にはリスキーで というのもわかるし、パンデミックだから対策を というのもわかるし、マスクはしよう とかももちろん同意。

ただ、特措法とかもふざけた便乗だけど、ワクチンとかトップダウンな大きな科学技術力でなんとかしのごうってのが嫌。ビフォーの継続だよね。ウィズの恐れを使った世界征服(笑)じゃないんですか? ワクチンは絶対受けません。なぜ自分のいのちを人に預けなければならないか理解できない。

だってコロナって文明病ですよね。集中増えて変種が生まれるの*人間が弱くなったからですよね。

だから対策は、これを機に文明をなんとかシフト・トランスフォーメーションすることですよね。

大きくなりすぎてそれに依存せざるをえず格差もあって生きてる実感が失われていく恐竜ピラミッドシステム文明から、身の丈や四里四方の共生とグローバルネットワークで自律分散共生して格差少なく生きてる実感ありまくりハッピーな生命元氣動的システム文明へ みたいな

今はフェイクニュースも多く、社会から信頼が落ちていて。それは不安ゆえに大きなものに委ねたくてグローバルなコントロールをさらに強めることになり、さらに医療依存(医療への過負荷でもある)が強まり、さらに人間はウイルスに弱くなる結果になる。巨大システム依存。科学教依存。恐れでコントロールしてる構造だから。死を恐れて生きることが最優先でいいのか?

ちなみに、ここに参加している人々は誰が悪いのでもなくてみんな善意。悪い人はいない。弱い人、素直になれない人が、自信を持てない人が、不安な人が、いる。問題は複雑化して大きくなりすぎて、システムそのものが勝手に成長していく癌みたいになっていること。じゃない?

問題はコロナでなくて、人間側の問題。人間の力を高めるために、何ができるか、コロナになっても大丈夫な心身コミュニティをどう作るか。生きることに歓べる選択、意味を持てる生き方ってなんだ。

自分の内なる力を思い出し、自律分散型の暮らしに転換し、フランケンシュタイン的なバイオ工学はやめて、オーガニックに免疫力を高め、恐怖メンタルな社会から安全安心受容メンタル社会に変わり、という風な、各個のエンパワメント支援がまずあって、それに基づいた各自の自己管理行動(自助・共助)支援があり、公助として検査費用補填があり、ベーシックインカムや休業補償があって、その上での「お願い」ですよね。

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(命や地球に寄生して成長する癌的文明の状態→命に力を分散お返ししてのびのびした状態)

自粛じゃなくて、自力礼賛ですよね。
っていいきっていいような、安全で安心な場が必要。
ほんとは聖なるからだを神さまからお借りしてるんですよ。でもって本当は私たちは神さま(の一つのバージョン)なんだよね。

お願いにはガバナンスも必要だ。一人ひとりが神さまの自覚をもってさ。状況のモニタリングも必要だ。DXはそのためにあるはずだ、ビッグデータとかAIとかロボットは、それにコントロールされる/する のでなく、それと一緒にどう私たちの幸せをつくっていくかだ。全体をモニタリングできるとか、状況が感覚的にわかるとか。それは、多元的かつオープンでないといかん。情報が操作されないように。秘密化されないように。専門家でなく、自分で決められるように。信頼ある政治の無いところへの技術導入は今や危険すぎる。バイオテックとかAIとかDXは当たり前でありつつ、それを道具化するのでなく、それと一緒に作っていく感じ。それには今の間接民主主義は限界なのでは。直接民主主義にもっとDXを使ってもいい。透明で信頼おけるものがいるね。

客観という幻想に依存するより、もっと主観でいい。いろんな主観のインプロシンフォニー。

正に今、文明がストップし、CO2も減って、都市集中の意味がなくなり、地域への分散にリアリティが出て、そうなればエネルギーも分散できる。暮らしが分散できる。昔の小学校単位くらいの地域コミュニティで地域相互扶助的な医療や文化創造もできる。持ちすぎず、たよりあってわかちあって、それぞれが半農半漁マルチXなクリエイティブで発酵的でアートな百姓として生きるは愉しいよ。

福業としていろいろギグエコノミーして、プラットフォームを牛耳られるのでなく、プラットフォームの共同投資家として、手のひらアプリな分散産業をグローカルに参画するみたいな。

経済発展から経済発酵で、若く背が伸びる時代は終わり、アダルトな豊かな熟成な成熟な文明へ

コロナは気づきのチャンスであり、ギフトであり、贈りものであり、授かりもの 「のさり」(自分の今ある全ての境遇は、天からの授かりものである。という考え方。小山薫堂さん 記)です。先住民の方々の多くも同意見と聞きます。

チャンス!

(ついいろんな側面から書きなぐりな感じで反省)


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