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パリ こぼれ話

今話題のパリにまつわる話をしてみましょう。

エッフェル塔

見慣れたものも、いつもと違う視点に立つと、全く別なものに見えてしまう、ということを実感したのが、下の写真です。

富士山五合目に立つと、なだらかで美しい稜線が見ることができないように、よくわからないものに見えます。これを見上げると、登りたいという衝動に駆られる人もいるかもしれません。

今エッフェル塔は、五輪に向けて、金色に近い、黄色がかった茶色に塗り替え作業中だそうです。足場を組んでの作業のようですが、以前はこの写真のように、命綱で塗り替えていたそうです。

従来の茶色は「エッフェル塔ブラウン」と呼ばれる、パリの街の風景に溶け込むような色になっていますが、塔の設計者ギュスターヴ・エッフェルが好んでいた色で、1907年から50年間ほど使われていた「Jaune-brun(黃茶色)」に塗り替えられるつつあるとのことです。

エッフェルの黄金色の胸像が、4本の柱の北柱の元にあります

太陽の光が塔に反射して、どんな輝くエッフェル塔が五輪開催中に見られるか、テレビ映像で確認してみたいと思います。


地上280mの勲章状

エッフェル塔の最上階(280m)の展望台には、下のような勲章状があります。日本人でもちょっと見ただけでは、これが何を意味するのか分かりにくい日本語です。

最上階の展望台には、設計者エッフェルの書斎が再現されていて、彼とエジソンが対談している様子が、再現されています。その書斎の壁に、上の勲章状が掛かっています。

これは、大正6(1917)年に大正天皇が、ギュスターヴ・エッフェルに勲三等を授与する、という勲章状です。中央には大正天皇の直筆を見ることができます。

なぜ大正天皇がエッフェルに勲章を授与したのか、よく分かりませんが、翌年以降、大正天皇は体調を崩していったようです。

1917年といえば、ヨーロッパは第1次世界大戦中であり、ロシアでは革命が勃発しています。エッフェル塔が完成したのは1889年です。完成から28年も経っています。ますまず謎が深まります。


ウエストポーチに貴重品は入れないで!

次はクイズ形式です。見る角度で別物に見えてしまう、2つ目の例です。

この建物の頭の部分だけ見て、あれだ、とわかる人はそれほど多くはないでしょう。

次のヒントです。別の角度から見下ろすと、こんな感じです。

これでお分かりの人もいるでしょう。

通称、パリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)です。大手のデパート、ギャラリー・ラファイエットの屋上から、オペラ座の頭の部分を間近に眺めることもできます。

パリのオペラ座というと、ある友人から何回も同じ話を聞かされたことがあります。

彼はフランス語を話せる人なのですが、初めてのパリ旅行に出かけました。その時にオペラ座前で事件は起こったのです。

彼はビデオカメラを持って、オペラ座や周辺を撮影していたのです。ファインダーを覗きながらの撮影でした。撮影中、なんとなくお腹のあたりがスースーするので、撮影をやめて自分の腰回りを見てみました。

すると、大切なものが入ったウエストポーチのファスナーが、少し空いていました。急いで中身を確認すると、パスポートと現金数万円分がなくなっていたそうです。

それからが大変です。警察に盗難届を出し、日本大使館に行って、パスポートの再発行の申請をする羽目になったのです。警察も大使館も毎日のように盗難被害者がやってくるので、非常に冷たい対応だったそうです。

身元確認のために、彼の日本の実家に、大使館から電話がかかる羽目になり、離れて暮らす母親を夜中に起こしてしまうことにもなったそうです。

とにかく、パリのオペラ座では、十分に気をつけましょう。



最後に、ノートルダム大聖堂のファサードにあった、デビルの写真を紹介ます。日本の能面の般若に、どことなく似ていませんか。

洋の東西を問わず、人には共通する怖い顔があるのですね。

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