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捻れた娘、そして名誉男性についての覚書

今年の東大入学式の祝辞がこんな内容だったらしい。

てっきり上野先生が総長になったかと思い、そうだとしたらラディカルすぎてひっくり返りそうになるわ…と思って歴代総長をチェックし直したら全然違っていた。ふぅ。

なお、私の入学年度(2007年)の祝辞は福島先生で、

教養前期で姜尚中先生の講義を受けて単位をゲットし、安藤さん謹製の建物および情報学環にタッチして安藤さんのお話を聞いたりもしたので、上野先生の祝辞に登場する人物のうち、上野先生以外とはきれいに在学時に色々薄く関わりがあったのでした。

(厳密にいうと上野先生については、当時の私が「社会学にちょっと引いちゃってた」ので最初から近寄らなかった、のが正しい。当時も上野ゼミは有名で、結構ゴリゴリやってると聞きましたけど…だからこそ…)

そののち私は、社会人になって色々あってから、こんな事を書いておりました。

これについて何か書いてみようかと試みて挫折し、当初の草稿を寝かせておいていたところ、今日、上野先生の祝辞を読みました。

祝辞についての率直な感想

当時はお互いに引いていて交流がなかったクラスメートと、ひょんなことから10年後に会って話をしてみたら、「意外と同じこと考えてたじゃねぇの、なんで当時気が合わなかったのか、そっちの方が不思議!」という、10年ぶりの不思議な出会いをしたような心持ちになりました。
(高校時代の同級生と似たような邂逅をして、たまーにSNSでやり取りするくらいの関係になった時の気持ちを思い出しつつ)

このジェンダーの問題系については、私自身も当事者であり、加害者でも被害者でもあるので、可能な限り、自分に向けた本音を書いていこうと思っています。
この問いはすぐに解決なんてできないし、そもそも私自身も認識が混乱しまくっているのですが、現時点の考えを書き留めることは意味があるはずです。

どこか「捻れた」ある娘の話。

私が在学中から「東京大学の女子学生が少ないこと」はネタにされ続けていましたし、卒後10年近く経ってもなお改善の見込みがないようです。

いち学生だった者として率直に言うと「拗らせて長男を内面に抱えた人間」「父殺しを目論む娘」――つまり毒親育ちで、色々あって名誉男性化していて、父親をなにかの理由で超えたいと考えていて、なおかつ両親から物理的に逃走する必然が強い女性――でもない限り、今の社会情勢で地方出身で浪人してまで東大に行こうとはまず思わないです。

仮に両親から逃げたいと思っていても、そんな婉曲で面倒で、コストもかかる方法はきっと取らないでしょう。あの入試捌くのはそれなりに考え抜かないと正直無理だし。

事実、私は後期試験で北大に合格していました。そのため、浪人しないでそのまま北大生になる選択肢も権利もありました。
でも、それを選ぶと実家から4年は出られないんですよね。それなら1年延ばしても実家から脱出できる方が良かったんだろう、と今になって思います。

本当は、そんな拗らせきった人間じゃなくても自然に「もっと勉強したいし、東大めざそう!」と思えるのが一番いいし、そうあるのが男女同権なのでは、と思います。

高邁な理想の果ての矛盾と葛藤

とはいえ、社会に揉まれた末に、私もブラック企業サバイバーとなり、大概なマッチョかつ名誉男性となりました。

何を隠そう、昔働いていた会社の社長に「おい!ブサイク!!!!!!」と呼ばれてケツ蹴られても、ちょっとニヤニヤしただけで済ませて、内心で他の女性スタッフとの扱いの違い(他のボードメンバー――全員男性――に対してもこんな雑な扱いだった)に優越感を持ちつつ、2年半働き通した女が私です。

これがマッチョで、名誉男性じゃなかったら何なのでしょうか。

だから私自身は決して、#me tooで一方的に相手を糾弾する気にはなれませんでした。私も明白に共犯だから。

そして、今の現場では本当にいろんな人がいるので、相手と状況によっては内在化したマッチョを隠すように会話している自分がいます。

日常的な、他愛のない会話であっても、この自己矛盾に葛藤しています。男女同権を実践するには自分のマッチョイズムを無効化できないといけないのに、できていない現実を突きつけられるからです。

とはいえ、本音に近い発言をすると相手にとって無条件で暴力になってしまう、と言うのは私もどこかで無理をしているからなんだろうと思うのです。

私は今のポジションを得るために、よく考え、やり過ごし、苦しんだりもしながら戦って勝ち取ってきた。でもそれは非常な痛みを伴っていたということを自分で無視はしていないか?と。

ちなみに、『ズートピア』はこの「差別されている側の差別意識」構造を明確に描いていてすごい作品です。私が書いたことの実例が思い浮かばない人にはこれ観せたいくらい。普通に面白いから観よう。

この痛みは歴史の上にある。私は何を為すか?

なお、東大卒の女性というのは絶対数が少ない(1学年3,000人程度のうち2割…たかだか600人/年しか新たに誕生しません)上に、公表してもメリットが皆無(普通の会社だと自己紹介する前に勝手に他人に漏れている)なので、在学時の友人・知人以外とは自然にエンカウントできません。なんなの?隠れキリシタンなの私たち?

…と、そんな状況なので、流石に横の連携ももう少し欲しい、とさつき会(東大卒女性の同窓組織)に入会して話を聞いたところ、今の私自身も諸先輩方の痛みと努力の上にできているのだということを痛感したのでした。
彼女たちの戦いがなければ私は逃走ルートとして受験での上京を選んだかどうか、正直確信が持てません。北海道の中で生きることで満足したかもしれません。私の今のこの痛みも、彼女たちの感じた痛みあってこそだったのです。

でも、おそらくこの問題は、個人の問題として矮小化して葬ってはいけないのだと思います。この痛みをどう社会に開いていくのか、後世に対して何ができるかが私の今後の課題なのだと思います。

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