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外の旅から、内なる旅のくくりへ〜地殻変動と浄化

日々おたのしみ様です。先週長野の旅から帰ってきてだいたい眠たい日々を過ごしていました。Misuzuです。

昨日は久しくカラダ感覚でシャキッと感のあった日!長野へは一泊2日でしたけどもね。すべての采配に安定感や感謝を観じるご縁つながりでした。

此処へのご縁 そして此処からのご縁のムスビそして浄化


さて今日はお彼岸明け。お彼岸の入りの一週間前のこと(いきなり遡りますもはや時空関係なくと言っても事実上たった7日ほど前)、夜お布団にはいり眠りに入る瞬間あたりのこと、地震がありました。

緩やかでしたがしばらく揺れる。そして近くにある階段の方で誰かが上がって来るような気配と音に…母と認識し、わたしは母を大きな声で呼んでいる。しかし反応する様子もない。すぐにその“呼んでいた”という場面は、ただの頭の中の出来事幻想だったという認識へ変わった。それもその呼んだ声のリアルさや体感を鮮明に残しつつ。

夢とは違っていて・・・

地震を感じた、これは実際の地震ではありませんでした。速報もなければ、その後の記録もありません。もちろん、家の前を大きなトラックが走った振動などでもなくです。
わたしだけが体感する揺れ、ジシン

そこには、ひとつのキーワード

パラレル

この数年? 1、2年くらい前から誰でも一度は耳にしたことがあるでしょう。「パラレル ワールド」並行して存在する時空

ある世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界または時空   


詳しくは何かで調べてみて下さいね。きっとご自身にフィットする参考図書(ネット記事等)に出会えるはずだから。実際に物理学の世界でも理論的な可能性が語られているそうですから、面白いですよ。


ということは、もう一つとは言えなく幾つか並行して存在し得る世界の一つのなかでの事象をその時 体感したという事かも知れなくて

または、その分岐し並行してた世界が交叉してしまった瞬間の歪みかも知れなくて

或いは、揺れるという体感自体はサインであり、事象そのものの可笑しなことがパラレルの一種と捉えてみること。そのサインである、地震の体感を感じるわたし(若しくはわたし達)の、地殻である土台が揺さぶられている、土台から一新される 一新していく力のはたらきを示しているのかも知れなくて

そんなことを、ある方とのお話から今一度ここで描き印し整理してみるのでした。だいぶ、そこから ‘ かも知れない ’が広がっている笑


もう一つ

少し前に、こんな風に記してある記事に目が留まっていたのです。

「次元が上昇した」ことを顕わす事象の一つであると

3年くらい前にも今回と同じ規模のわたしだけが体感する“ 地震 ”をリアルに感じていたことがありました。かなりハッキリとした大きめの揺れ体感で長かった。その時期は、個人的にも転換期ど真ん中のころでした。

人生のなかで幾度とあるでしょう転機

ど真ん中という例えは、適切かはわかりません。ただ、そういう流れのなかでもまた大きなうねりと共に来るものを受けとる予兆のような。自分の本質へと還るいざない サイン

そうすぐ後に、自身で感じられました。つまりはそう解釈に落とせたその後というところでしょうか。


このお話を、、ほんと生きてるって面白い

の一言でまとめてしまうには、なんだかわたし的には勿体ないようなつまらないようなところなんですね。今日は、いまのお話しですので、また氣が向かったら別記事で印してみます。(Facebookで当時記事にしたに関わらず笑)


話しは戻って、この秋分を迎えるまで数週間

地震の体感のこともですが、色んな浄化のはたらきにも動かされた氣がします。

長野の蓼科の地を訪れることができたこと、そこでのご縁やお宿のすぐそばの渓谷で、一夜明けた朝に瀧へと歩き、そこはすごく不思議な地力というような場の氣がすばらしいこと、原生林やその中の豊かな水源に身を置けたこと、触れ合えたこと……。もう生きてるってことがそういう事ですかね。と行き着く

委ねるまでもなく ゆだねていて 精霊たちが祝福をささやくのです

ただただ よろこびに溢れる

泉には絶え間なく清水が湧き出てくるそのままに

『自然は、植物たちは、人間の役に立ちたいんだよ』って

昔、ある人から聞いた。わたしは涙がこぼれそうだった

幼少期から一番といえる身近な存在としていた生命


わたし達は愛の星 地球に降り立ちたその事実をいつからか忘れていないか

多くのひとたちは。

そんな時代もながれては、多くの人が次々にその事実にあらためて意識が回帰していっている

そんな素晴らしい” 今 “なのかも知れない


そしてまた、この土地の氣に触れ合えて帰ったのちのこと、あるほんと些細な…。きっかけで、奥底に未だあった感情にズドンと触れ大きく揺さぶられ引きずり込まれるよう、しばしの時間をその感情に付き合うも下手な慰めをかけて(多分優越感とか劣等感とかのバランスか)案外すぐ回復し軽くなっていた。

この闇を真に包み込むサポートをいただくだろう。それにしても、感情ってひとによって貼りつく度合いがあるのかな。ほんとこの日は自分でも切り替えに久々時間がかかりました。もう立ち直りの早さは会得したんだと思っていましたからね。ビックリでした。

そしてね、この一連とその後の一連で 今一度思う

「わたしを、わたし自身を、隠そうとするや軽んじるような扱いからは左様なら」
度合いや親密性、それぞれの受けとり次第ってことはありますよね…


弱い部分がわかるからこそ

わたしは相手をも浄化しているからこそ尚更


わたしはアナタ

あなたはわたし

わたしがわたしを

そう 照らし合い 混じ入りあい
浄化し 手のひらから離れては
また結びあう


月のメグリと秋分のころのわたしのなか壮大な宇宙のお話しでした。


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