文章のさじ加減《水曜日のエッセイ by 逢志亭あーや》
水曜日の記事は文章クラブ『放課後ライティング倶楽部』メンバーさんが担当です。だいたい2ヶ月くらいで順番がまわってきます。
本はね、元々まぁそれなりに読みます。
とは言っても「読書家」と呼ぶにはイメージがやや遠く、ミステリーや青春小説などの大衆文学や実用書がほとんどですが。
雑誌や新聞に載るコラムを読んで、へぇーとか、おもしろいなとは思っても、積極的に「エッセイ」を読みにいくことはなかったんですよ。
だけどnoteでちらほら駄文を書くようになってからは、人の日常に触れるような文章をたくさん読むようになりました。
いやー、こんなにおもしろいとは。
きれいにパッケージングされた「物語」ばかり読んでいた身としては、不完全だったり中途半端だったりする文章がとても新鮮で(失礼)。
ここにきて初めて「エッセイって、こんなにおもしろいんだ」と思えるようになったんです。
数多く読むようになると、次に気になるのが良し悪しです。
ま、多少なりとも書いてる身ですからね。
「どんなのがいい文章なんだろうか」と気になるわけです。
そうして発見したことがひとつ。
エッセイの上手い人は、個人的なことを書きつつも、根っこは一般的なことを書いてるんですよね。
だから共感できるし「あー、分かる分かる」に繋がる。
そうでない人は(それでもめっちゃおもしろい人はいるんだけど)、始めから終わりまで「自分の目線で自分のこと」だけを書いてる。
ある意味、絶妙なラインでの出し惜しみが、上手いか否かを決定づける瀬戸際なんじゃないかなって。
料理でいう「ひとつまみ」「少々」みたいなね。
「そんな曖昧なことを言われても伝わらないから。もっと具体的に!」って言いたくなるような、センスが要求される箇所。
……うん?結局はセンスがモノを言うってこと?
いやいや、それだとあまりにも救いがない。
料理だって、最初はヘタでも慣れればそれなりのモノが作れるようになりますもんね。
まずはレシピ(基本)に忠実に作ってみる。
それから少しずつ好みの味付けを探っていく。
そうすることで、ようやく自分なりの「ひとつまみ」が理解できるようになるんですよね。
ヘタに冒険心だけ旺盛なメシマズにならないように気を付けないとなぁ、と自分に戒めてみるのでした。
[ライター:逢志亭あーや]
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