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「暮らし」と「生活」って違うの?

今日このツイートを見かけ、『暮らし』と好んで使う私も折角なので思った事書き留めておこうかと。仕事は、暮らしの商品をスタイリング、撮影もしています。

あまり深くは考えずに、単に今っぽい言葉・響きがいいから使っていたので、こういう考え方もあるんだね〜と言うのが第一印象。(生活と暮らし、スパッツとレギンスの違い位の認識で使ってました)でも付随したツイートを見てみると、結構皆それぞれの言葉に対して違った印象を持っていて。

確かに、雑誌の特集とかでは暮らしの頭に「丁寧な」とか付いてるよね。でも「丁寧な生活」も全然ありなんじゃないかな。どっちの言葉がいいとかは全然なくて、言葉って移り変わるものだから、今の世の中に合致しているのが「暮らし」なだけなのでは、と思ったりする。あと、写真とかもそうなんだけど、見慣れたものより、目新しいものの方が格好良く感じたりする。

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と書くと話が終わってしまうので、自分が「暮らし」と使う場面はどこか、振り返る。自分なりの丁寧な所作(季節の花を飾った、朝ごはんを夫婦一緒に食べられた、早起き出来た、植物に水をやった、ゆっくりお茶を淹れて飲んだなど)、流れゆく生活の中で、これしている自分は好き、って思える行動に、あえて「暮らし」って使っているのかもなぁ。暮らしを丸っと、生活が包み込んで・抱きしめている感じ。決して排他的では無く、共存関係。

このトップに使えそうな写真を探しているときに、実家の写真が目に止まった。物がある散乱し、生活感溢れる実家。生活感→雑多な感じ、(言わないけど)暮らし感→ちょっと良さそう(笑)と書くと、やっぱり2つの言葉が与える印象・内包する意味は違うんだろうね。


うむ、先の日記で宣言した通り、あまり深堀出来なかった。苦笑 と言うか、ちょっと違うかもしれないけど、そこまで堅苦しく違いを感じなくてもいいじゃん?と言うのが結論です。各SNSごとに集まる人の傾向ってある気がして、ツイッターはこういう違いを論じるのが好きな人が多いイメージ。(私も含め)SNSをあまりやらない人に、どう感じているか聞いてみたいな。

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ツイートの元となった鳥井さんのブログに、言葉が広まったであろう背景なども書かれているので、合わせて読んでみると◎これ書かれたの2017年、「暮らし」ワードが溢れた今に書かれたものだと思ったから、ちょっとビックリした。もちろん私より断然深く考察されてます。このように、色々な人の考え方の発端となるような記事を、いつか書いてみたい。

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