理解されずとも愛す余白くらいある。
人はいつも好き勝手なことを言う。すこしSNSの更新をしないだけで「最近停滞してるね」とか言ってくる。そんな時、実際にはDV被害から逃げてきた女性にゲストハウスの設備をしばらく使ってもらっていたりする。いきなり赤ちゃん猫を2匹保護して、お世話に忙殺されてSNSどころではなかったりする。この世界ではなんでもかんでもオープンにできる出来事ばかりが起きているわけではない。あまりリアルタイムでお知らせしないほうが良いことや、命を守るために大っぴらにすることが望ましくないことも起こる。貴重な出来事の渦中にある時、僕はなるべく体験することに集中していたい。「人に見せる」ということに何かしら意図があるなら喜んでするが、できることなら第三者の眼差しのことなんて何も考えないで生きていたい。他人の目なんかほったらかして、眼の前の出来事に全身を浸らせていたい。そもそも「人に見せる」なんて本当は必要ないのだ。なんでもかんでも人に見せたがる今の世の中の方が異常だ。そこにいない人間にいくら見せても仕方ない。親指一つで「いいね!」が押されるだけだ。そんなことには何の価値もない。
VIVIDではいつも予定外の出来事が起こる。というかそもそも大した予定なんてないので、ほとんどの出来事が「予定外のハプニング」として起こっていく。突然思わぬ誰かから連絡がきたり、大変な状況の人にしばらく使ってもらったり、捨て猫がいきなり住み始めたりする。別にそういう場所にしようと思ったつもりはないのだけれど、結果的にその手の役割を担っている。「奇跡は余白に舞い込む」という言葉がある。僕はこの言葉が好きだ。意識的にも無意識的にも、僕の人生にはいつも余白がある。余白がなければ起こらない奇跡ばかり起こる。これが一番面白い。もしもVIVIDに何か限定的な活用目的があったり、大繁盛してスケジュールが数ヶ月先までいっぱいだったりしたら、決して今のような場所にはなっていないだろう。予定まみれで毎日忙しい生活というのが僕はあまり好きではない。自分で予定を立てる時はなるべく忙しく詰め込まないようにしている。そうしていればさそがし暇になるかと思いきや、その日その日でやりたいこと、突然の訪問者、奇跡的に舞い込む仕事、予定外のハプニングなどが巻き起こり、結果的にはやること満載の充実した人生を送っている。突発的に起こる物事に間違いはない。人生と旅は似ている。「予定にないことをする時が一番楽しい」。
不器用なので人からよく誤解を受ける。誤解によって誰かと出会い、誤解によって何かを起こし、誤解によってバイバイする。そういうことを何度も何度も繰り返してきた。誤解によってこんにちは。誤解によってさようなら。「ああそうか。そう思っちゃったか」。「え、ずっと何だと思ってたの笑」。理解してもらう必要はないし、理解できるとも思っていない。人は誰しも誤解しながら出会う。だからこそ少しずつでもわかろうとするのが愛だ。愛と一番遠いのはわかったつもりになることだ。愛がないならさようなら。僕は文章を書く時、いつも心臓をえぐり出す気持ちで書いている。黙っているとわかりづらいだろうから、少しでも理解してもらえるように魂込めて書いている。おこがましいかもしれないが、できれば僕と直接話す前に全員ちゃんと僕の文章を読んでおいてくれと思う。それが一番話が早い。実際先に文章を読んでくださった方と話をすると「ああ、やっと普通に人と会話ができる!」という感じがする。
いわゆる「感覚派」の人たちと関わる機会が多い。僕自身もそうなのだが、いつも気をつけていることがある。それは「自分の感覚と世界の真実とを混同してはならない」ということだ。自分の感覚だけを頼りに他人を測ることができると思うのは愚かだ。歪んだ眼鏡で世界を見れば世界は歪む。自分の主観の方が歪んでいるかもしれない可能性を、ほんの少しで良いから念頭に置いておけるかどうか。自分自身の見識が未成熟なせいで相手の姿を正確に捉えられていない可能性や、自分側の無知や好き嫌いや価値観によって相手の姿が歪んで視えている可能性を、ほんの少しで良いから念頭に置いて人と関われるかどうか。それが知性ではないだろうか。それが思いやりではないだろうか。僕は野球に興味はないが、野球に情熱を注いできた人の学びや思い出までをも否定するつもりはない。「僕は野球をしないけれど、それは単に僕の好みなので、他の人は好きにすればいい」。ところが視野の狭い人は「俺は野球をしない。お前も野球をするな」的なことを本当に言う。視野が狭いと自分の感覚と世界の真実とを混同してしまう。自分の価値観や好き嫌いで他人の人生をも評価できると思ってしまう。攻撃の的になるのはいつも視野の広い人側だ。視野の狭い人には、視野の広い人に見えている世界を想像することすらできないからだ。
だから誤解するしかない。誤解することでしか理解できない。よしよし。それがあなたの限界だ。愛というのは少しずつでもわかろうとすることだ。愛と一番遠いのはわかったつもりになることだ。愛がないならさようなら。僕はあなたに理解されずとも愛す余白くらいある。愛してるぜBaby。あなたが僕を誤解して、勝手に好きになろうが勝手に嫌いになろうが、僕にはあなたを愛す余白がある。
内なる声に聴いた「家」を、本当に見つけてしまうまでのお話
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