不登校で病人だった私と“遊ぶ”ことについて
私は中学生の頃、起立性調節障害の影響で午後しか学校にいけない日々を送っていました。
しかし、そんな具合が悪い時期にも何度か友達に誘われて遊びに出掛けた思い出があります。
家でのゲームから遊園地まで。とても楽しく幸せで、青春に参加できたようで嬉しくて仕方がありませんでした。
幸せな気持ちのままハイテンションで元気に帰宅するのですがたいてい体は疲れ果てていて、遊んだことが原因で次の日学校に行けなくなることも多かったです。
親や先生、同級生の中には
「学校行けないなら遊ばないべきじゃない?」と言う人もいました。
それが正当な思考だと思います。
でも、それってとんでもなく残酷なことです。
当時の私にとって、
いつ治るか分からない病気が治るまで、学校に行けるようになるまで『遊ぶな』というのは無限地獄でした。
子供の時はとても短い。例えば中学生でいられるのはたったの3年間です。
その子の今は【病気で不登校の時期】であると同時に【青春の時期】でもあるんです。
治るまで遊ばず待ってたら
青春が終わっちゃう!
私は遊んでいいと思います、というか遊ぶべきだと思います。
病気の子にも不登校の子にも、人生を楽しむ機会はあるべきです。それはその先、一人のベッドや学校で“生きるため”の希望にきっとなる。
いつかそこを乗り越えた未来で、
「苦しいばかりではなかった」と言える根拠となる思い出になる。
学校に1日、いや1週間行けなかったとして。
その後の人生を全て支える思い出になると思えば安いものだろう!と、私は思うのです。
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