教科書では教えてくれない      本当の日本近代史

はじめに                              戦後日本はGHQによって歴史がすり替えれた。何故そんなことになったのか。アメリカ(連合国)は、日本を恐れていたからだ。日本を徹底的に逆らえないようにするために色々なことが行われてきた。その中に教育がある。
今現代の教育は、GHQによって変えられた教育である。日本の歴史もGHQにとって都合の悪いがものは、書き換えられた。日本に誇りを持てないようにするためだ。今の日本人は、完全に骨抜きにされている。このままでは日本という国が無くなってしまうんじゃないかという所まで来ていると思う。それを変えるために、一から歴史を学んでいかないといけないと思い、これから投稿していきます。よく日本近代史はペリー来航からと言っていますが、ペリー来航の前に何故ペリーが来る事になったのか?江戸時代の前からやっていこうと思います。

(1)白人の来航
1543年 種子島に鉄砲伝来
1549年 ザビエル、カトリック伝来
1580年 イングランド船来航
1587年 豊臣秀吉、伴天連追放令
1600年 ネーデルランド船来航

①この時代から本格的に白人が来るようになった。日本の中だけで暮らしていけなくなった。何故この時代に白人が来たか?           1549年ザビエル、カトリック伝来。
キリスト教とは大きく分けて、プロテスタントとカトリックがありカトリックはキリスト教を布教する。ザビエルは、イエズス会の幹部で布教するために日本にやってきた。当時の日本人はポルトガル、スペイン(カトリック)海洋派遣国家とイングランド、ネーデルランド(プロテスタント)新興国は別物なんだと認識していた。そして双方は激しく対立していた。
②30年戦争(1618~1648年)と日本
30年戦争
カトリック陣営    プロテスタント陣営
ローマ教皇   VS    スウェーデン
神聖ローマ帝国     デンマーク
スペイン        ネーデルランド
ポルトガルなど     イングランド
           (なぜか)フランス

同じキリスト教なのにバチバチとやりあっていた。
何故かフランスはカトリックなのに神聖ローマ帝国が嫌いだったので、カトリックを裏切ってプロテスタントについていた。あまりにも悲惨な戦争だった。残虐な資料がたくさんあるみたいです。
日本では
1600年 関ヶ原の戦い(家康、蘭人の三浦按針をブレーンに採用)
1603年 徳川家康、江戸幕府を開く
1612年 江戸幕府、天領での切支丹禁令
1613年 伊達政宗、支倉常長をスペインに派遣 幕府、全国に切支丹禁令
1614年 大坂冬の陣。切支丹浪人が大阪城に大挙籠城
1615年 大阪夏の陣
1637年 島原の乱。ネーデルランド船、艦砲射撃
1639年 ポルトガル船の来航の禁止。いわゆる「鎖国」

そんな時に日本にやって来た。カトリックの方は貿易と布教、プロテスタントは貿易、あわよくば植民地にして搾取しようと考えていた。
1600年関ヶ原の戦いで蘭人の三浦按針をブレーンに採用していた。1612年天領で切支丹禁令(カトリックの禁止)を出した。1613年には全国で禁止した。1614年大阪夏の陣で切支丹浪人が大阪城に大挙籠城した。徳川にとってこれは危険なので、豊臣は絶対に倒さなければいけなくなった。1637年島原の乱で天草四郎(カトリック)が農民反乱を起こした。当時の老中松平信綱がオランダ船に頼み原城を攻撃した。この時30年戦争の真っ只中だった。幕府はオランダ側についていたという事である。1639年ポルトガル船も来航を禁止した。これで鎖国がはじまった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?