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何者

歴史に刻まれるであろう時を生きて、変化が起こりそれぞれの個性が現れ始める。先駆者達は道を造って魅せ、尊敬と憧れが生まれ、それはなんだか懐かしくそしてあの時の熱を振り返ってみたくなった。Bonny Chicを始めた頃を振り返ってみようと思う。少し私を整えて、世界と共に変化を楽しもう。あの頃が私のもう一つスタートラインだった様に思う。

人に夢中で恋するということは、相手にかかっているのではなく、わたしにかかっているのかもしれない。10年間1人の男に夢中だった。その恋を終わらせて私は1人で歩き始めた。ひとり暮らしのスタートだった街、祐天寺、西麻布から、この先とても縁のある街になった代々木上原に引っ越した。この後Spainへ越すまでに私は5度の引越しを繰り返している。最後に住んだ部屋もまた代々木上原近辺の代々木八幡という街だった。一つ目の部屋は広いベランダの付いた長細い楽しい部屋で、近くに八幡神社があって、その神社を通って仕事へ向かうのが好きだった。私の住む家の近くには決まって神社が側にあって、都心でも凛とした空気の中、呼吸することが出来ていた。なんとくしていた事は振り返ると大事だったりする。あの街が好きだった。1人になってから、フェミニンよりマスキュリンを好み、出来もしないスケボー買ったり、男の子っぽい自転車を買って都内なら昼も夜も時には夜中も走らせた。親からも離れ、また彼氏からも離れ何でもかんでも自分で決めるられる事はなんだかっとても自由で、する事全て熱が込められ、何気なく誰かがしてくれてた事を思うと優しい気持ちが現れた。気がついてみると人の個性が濃く見えてくる。人間とは面白い。知は愛なり。そう思った。それから近所には、隠れ家の様な店が沢山あり1人で通う馴染みの店もできた。初めて接する彼以外の男達は欲望に溢れた狼みたいだった。容姿や肩書き、何物であるかがテーマに上がり沢山悩み沢山世間を知った。兎に角人間の面白さを知ることになる。こんなにも魅力的な人がいるのかと魅力的になりたいと憧れ始めたモデル業。着物を着て大使を務め、レースクイーンをやって、人に容姿をジャッチされるお仕事に憧れていたはずが楽しめず無駄に悩んでいた頃、転機となる男と出会う事になる。

始まりは友人が持って来た変わったバイト。そこで得た縁が縁を繋ぎ私を今日まで運んできている。仕事内容は”踊る”。ただダンスホールで踊ると言うのが仕事だった。その店は映画の舞台になりそうな個性的な色をした店で、美しい双子みたいな手足の長いクロークを務める女の子いて、猫バスの中みたいにフワフワのピンクの個室に、エレガントな雰囲気のバーカウンター、店内の赤いランプが訪れる人を妖艶に魅せた。踊るのが好きだったわたしは、いつもの様にその青山にあったその店で踊っていた。あの日オーナーに演出家という職業の男性を紹介された。何かのshowの打ち上げで出来たというその男の印象は、おじさんと言うより大人の男の人で少し毒舌で女に媚びない語らうのが楽しい相手だった。個性的でその男との語らいは私に創造の楽しみをくれた様に思う。想像するだけのことじゃなくて、その先の行動をイメージさせる旅の話みたいだった。最初は口説かれていたもののその内それだけじゃない創造を夢みたいな形で魅せてくる彼のする事、彼を取り巻く面白い人間、移動式のサーカスみたいなワクワク感があって創造を形にするプロと話せるラッキーな時間は“語らう”事を純粋に楽しめた。仕事の話、哲学、政治、小説、映画、彼の頭の中の話は、ワクワクして引き込まれた。音楽の話も好きだった、音楽は、よく男の人から影響を受けてた。今はBossと呼んでるその男からも沢山影響を受けたと思う。showの為に作る音は、クラッシックからロック、ノイズも朗読も色んなシーンとセットで感動した記憶として覚えている。

今はまだ叶わない待ち合わせて食事に行くこと。とっても好きだった。そんな色んな人との語らう時間が私を作ってきた。美味しい食事とお酒を楽しみながら、わたしとの時間を楽しんでくれる面白い大人がいる事に何者でもない私の人生が映画みたいに何者にもなれる気がして自立した1人の女性を生きてるように思えた。振り返ると未熟で滑稽な私が思い出される。彼から得た多くのことは特別楽しいことを生み出せる豊さと、ハプニングを楽しむことの学びの時になり、兎に角退屈ではなかった。彼の周りにいる彼を師匠と呼ぶ人達の中、私は弟子でもなく皆と心近しく寄り添って生きれた。どういう敬意でそうなれたのかは覚えていないがモデル業もバイトも辞め、演出家の元で働き始めることになっていった。“語らう”ことは私の人生を面白みのあるものにしていったと思う。癖のある面白い人間だらけの渦の中で青春とも言える時間を過ごした事は今を生きる力になっていて、彼にとても感謝している。あの日偶然の必然で始まった仲は、こんな遠く離れた異国にいる今も続いている。そして何者でもなかった私は、今も何者でも無い。けれど彼の元で見つけたJewelry designerとしての時間は今年で9年目を迎えています。その始まりは、2006年ドイツ開催のW杯で盛り上がるパリへの出張がきっかけでした。

Bonny Chic_U



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