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生きる(過食症と糖質中毒)

丑婆60歳にして、過食症と糖質中毒を克服しました。歳を重ね、体型も顔面美のこだわりもない、シワもたるみも60歳になると老化現象として平等に現れるのである。ダイエットをしたいとか、体型を維持したいという強い思いは全くなかった。
歳を重ね摂食障害というほどの、体力も気力も内臓も衰えて、若い頃のように、腹パンパンになるほど食べることなどできない。が、摂食障害の後遺症のようなもの糖質中毒は続行中であった。
ご飯好きの甘いものやパン類、麺類、粉物が大好物であった。

過食症完全克服のきっかけは、病気の前兆であった。

去年の6月から10月まで、左脇腹の激痛に悩まされていた。
町医者でその間にCT検査血液、消化器(大腸、胃)カメラ検査をしたが異常なし、今でも気にならないが痛みは継続中。

私は、糖質中毒(お菓子パン、食パンなど、粉物、炭水化物)である。糖分過多と食べ過ぎによる、左脇腹の痛みは、消化器系の異常ではないかと推測していた。
痛いと思われる場所は、膵臓、胃、大腸の下降結腸の周辺部である。
消化器で一番怖いのは膵臓である。発見も難しく、膵臓の病状は根治できないことが多い。

去年8月より激痛は仕事に影響し食生活の改善をこころみた。

*消化に良いもの食べてること
*少食にすること。
*仕事の休憩に菓子パンを食べない。
*帰宅後のご飯の量をへらす、食事後のパン類、菓子類を食べない。

*職場での給食は食べずにバナナ一本ととチーズを3包み、プロテインを飲む。
このような食生活をはじめた。

食事の改善を実行した1か月ぐらいは、頭痛、ふらつき、動悸、疲労感が続いた。
挫折しそうになったが、今回は痛みがある以上は、挫折するわけにはいかないとふんばった。
1か月を過ぎると、家族、職場の人達に「痩せたね」と言われた。
5キロは減量していた。
洋服はワンサイズダウンになった。

3か月も過ぎると、食事の改善は丑婆にとっては、食生活の一部となった。

気がつけば、左脇腹の痛みも、小さくなり、痛くない日もある。

毎日、欠かさず食べていた。甘ーい菓子パンや食後にジャムたっぷりの厚切り食パンを食べることをしなくなった。
冷蔵庫に食パンが入ってないと不安であったが、今はなくても平気である。

食事をする時に、甘すぎると気持ち悪くなり、食べ過ぎると左脇腹の痛みが、増強するような感じになる。

最終的に健康診断の結果では、内臓関係は問題はなかった。

以前は、甘けりゃなんでも大好きであった。
気持ち悪いと言われる甘さでも、
全く平気であった。
辛口の人がどんなに辛いもが平気であるよう、甘けりゃなんでもいける口であった。

缶コーヒー中毒からは、5年前に
克服した。甘ーい缶コーヒーを2缶ぐらいを、毎日仕事中に呑んでいたが、味が気持ち悪くなって、飲めなくなったが、菓子パン、粉物、食パン甘いお菓子は、止めることはできなかった。

左脇腹の痛みがきっかけで、糖質中毒からの脱出もできた。


不思議なもので、過食症や糖質中毒であることを克服出来たのは、左脇腹の激痛のおかげであった。
(その左脇腹の痛みは根本解決はしていないが)

上記の食事の改善など、若かりし摂食障害時代に毎度チャレンジしたが、挫折の連続であった。今回はなぜ挫折しなかったか?

それは、この痛みをなんとかしないと、死期が早まると感じたからだ。
60歳という、初老の域に入ってきた以上は、死のゴールに向かっていることを感じ始める。

俗に言われる。依存症の克服はどん底に落ちないと、回復しないと言われている。

丑婆は、違う形であるが、今回の左脇腹の激痛が、自分の生命の危機を感じた。
今から思うと、摂食障害の克服の最期のチャンスと感じトライしたようにも感じる。

丑婆の摂食障害の歴史は、次回に
書くとする。

私の過去、生育歴、生き方、性格からくる病である。
色即是空 空即是色🙏  

下記のような体験からの心の傷が原因になっている。👇

#摂食障害 #過食症 #糖質中毒
#依存症

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