命のろうそく
先日【おじいちゃんの余命宣告】という記事を書きました。
その後も毎日お母さんが、今日のおじいちゃんはこんな感じだったみたいだよ、と様子を連絡してくれる。
コロナ禍の病院には緩和ケア病棟と言えど面会にルールがあり、1日1組2名限定、2親等まで、15分のみ。
それでも会えるだけ良いそうで、もっとルールが厳しく全く会えない所もあるらしい。
親戚たち同士で譲り合って、その限られた枠で毎日誰かしらがおじいちゃんに会いに行っている。
数日前の入院当初は苦しそうながらも言葉をかわせていたようだけど、今は意識のあることの方が少なく、それでも「◯◯が来たよ!」と声をかけると目をうっすら開けてくれたり、頷いてくれたりするそう。
そんなおじいちゃんの状態は、毎日どんどん変わっていく。
昨日、私が丸一日の大仕事を終え、帰宅してご飯を食べて一息ついたところで、「いよいよ反応もなくなり、その他の状態から見てもその時は近いだろう」と伝えられた。
こんな時でさえ、私の体調や心に気遣って、お母さんや夫はそれを伝えるタイミングを探ってくれていたらしい。
ありがたいやらなんやらで、全身がくすぐったかった。
ということで元々の予定を繰り上げ、一分一秒でも早くおじいちゃんの元へ駆けつけられるよう、始発で茨城へと向かう道中にこれを書いています。
上記の記事にも書いたように、言葉に出来ないもやもやを、それでもなんとか言葉にしようとしてみると、次第に素直な気持ちがスルスルと出て来て、同時に涙が溢れる。
何度も声を上げて泣いた。
こういう時に浮かぶのは、子供の頃の思い出まるごとだ。
おじいちゃんを亡くすことは、私の子供時代を無くすことかのような、不思議な気持ちになる。
たとえ人を亡くしても、その人との思い出は決して消えることはないのに、どうしてそんな気持ちになるんだろう。
おじいちゃん、おばあちゃんというのは、両親が離婚し、生まれ育った実家や家族というものが残っていない私にとって、どんな時でも変わらずそこにあった《ふるさと》なのかもしれない。
今この瞬間も、まるでろうそくの炎が少しずつ小さくなっていくように変化しているおじいちゃん。
愛を注いでもらった親戚みんなで、それぞれの想いを持って、それぞれの向き合い方をしている。
私は…
おじいちゃんが私に与えてくれている感情をしっかり感じて、見つめて、こうして言葉にすることで、大切な何かを残そうとしているんだと思う。
これが私なりの、おじいちゃんとの今。
もし読んでいて苦しくなってしまうような方は、ごめんなさい。
読まずに、ご自身の心を守ってくださいね。
色々悩みもしましたが、私は書き続けます。
おばあちゃんもたくさん書き物してたし、それこそがこのnoteのきっかけなのだから。
会えなくなるのが悲しい、というのとも違う。
今の状況を打破して奇跡的な回復を遂げてほしい、とも正直思わない。
おじいちゃんにとって最善の形で、ここからの一分一秒が進んで行きますように。
出来るだけ苦しくありませんように。
そして周りのみんなが、自分なりの心の保ち方を見つけていられますように。
人は最期まで宝物を贈ってくれるんだと実感しています。
余すことなく、受け取ります。
どうかその強さを。
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