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おじいちゃんの余命宣告

この気持ちも含めて、おじいちゃんとの大切な思い出だと思えたので、言葉にして残しておきます。

ずっと肺癌だったおじいちゃん、発見されてからも進行がかなり遅かったことや、他の持病もあったので、手術や治療はせずに数年間過ごしてきました。

2021年におばあちゃんを亡くしてからは、認知症も一気に進み、2人が作った大切な家で、いつもただ静かに座っていました。

ヘッダーの写真は2022年の6月、私たち孫にとっても子供の頃の思い出がたくさんたくさん詰まったこの家で、ウェディングアートを撮らせてもらった時のものです。

こうしておじいちゃんと写真を撮れて、ドレス姿を見てもらえて、夫を紹介出来て、嬉しかったです。

私にはそんなこと言わないのに、ほぼ初対面の夫に「しっかりな!」と強く声をかけていて、私を任せたよって言ってくれてるのかなと、涙が出そうでした。

90歳もこえ、いつ何があっても後悔のないように、この数年は大体3ヶ月おきくらいで茨城に帰省して、会いに行っていました。

そして年末。

癌の転移などもあり、急激に体調が悪化してしまいました。

そして、余命の宣告がありました。

私にとって、近しい人の余命の宣告は初めてのことで、酷く動揺し、たくさん泣きました。

おじいちゃんは、何があっても離れようとしなかったその家に、いよいよ帰れなくなってしまいました。

おじいちゃんの容態が一旦落ち着いたタイミングですぐに会いに行けるように、私こそ体調を崩さないように慎重に過ごしながらチャンスを待ちました。

そして先週、施設から病院を受診する時の付き添いということで、直接おじいちゃんに会うことが出来ました。

つい数ヶ月前まで1人で立って歩いて、ある程度の行動は出来ていたのに、今は車椅子がなくては移動出来ず、常に酸素のチューブを着けて、少し話すだけでも苦しそうでした。

何も話さなくてもいいから、とにかく隣にいて、おじいちゃんと同じ空間を、時間を過ごしました。

おばあちゃんが亡くなった時はもちろん寂しかったけど、今わかるのは、それからもおじいちゃんがおばあちゃんを強く感じ、想っていてくれたから、

おじいちゃんの家に会いに行くと、2人に会えている気持ちだったんだと思います。

だから今、改めて、2人を亡くそうとしているんだという感覚が強いです。

ここから奇跡的に回復をして、元気になってくれるのかもしれない。わからない。

でもとにかく今は、おじいちゃんが耐えている苦しみや痛みから、楽にさせてあげたい。

家族たちも同じ気持ちで、今日から緩和ケアの病院に入院することになりました。

薬で楽になるということは、意識も次第に無くなっていくということだと、昨日お母さんから聞きました。

余命宣告を聞いた時と同じように、迫り来るものを改めて感じ、現実を突きつけられました。

意識のあるうちに、もう一回会いたい。

タイミングを見て、数日中にまた茨城に行こうと思います。

大切な人が死に向かう過程を見つめるのは初めてで、何も感じないようにしていたようでしたが、昨晩初めてその寂しさや悲しさを言葉にすることが出来ると、堰を切ったように涙がどんどん出て来ました。

そして、やっぱりこの気持ちも含めて、おじいちゃんとの思い出であり、おじいちゃんの生きた証だと思い、こうして残しておくことにしました。

お母さんたちが頑張っています。

支えてあげるなんて、大きなことは言えないけれど、出来る限り心を寄せていたいと思います。

読んでくださった方、ありがとうございます。

それでも私は今日も自分の生活をするし、おじいちゃんが応援してきてくれた活動を、精一杯やります。

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