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編集者がひとりで出版社をつくって1年。いま思うこと

あけましておめでとうございます。あさま社の坂口です。
2022年の2月に7年勤めた出版社を退社し、出版社を立ち上げました。
2023年1月は登記から1周年。
いろいろとあったのですが書き記す時間もなく、あっという間に一年がすごてしまいました。
なぜ出版社をつくったのか、何がしたいのか、少しずつ言葉になってきた感覚があるので、年初ということもあり、残しておきたいと思います。


最初は思いつきだった

出版社をつくる。
思いつきのようなアイデアに取り憑かれたのは、軽井沢に移住してから一年ほど経った頃のこと。その経緯はここにまとめました。東京に住んでいては想像したこともなかったアイデアでしたが、一度きりの人生で「出版社」をつくる経験に恵まれたことはとてもラッキーだ、そんな気持ちが正直なところです(受け身な表現に違和感があるかもしれませんが、僕としては「向こうからやってきたものを受け止めた」そんな表現がぴったりなのです)。

ただもちろん実際には諸業務は簡単ではありません。

いくつかハードルになったことがありました。
3つ挙げるとするならば、それは
「1:流通」「2:著者との関係」「3:お金」。
一つずつ思い起こしてみます。

【ハードル】1:流通

退社する半年ほど前から、新規出版社における流通の問題をリサーチをしていました。編集者一人で会社を立ち上げて、ボトルネックになる一つは、「流通販売」ではないかと考えていたからです。年間予算を計画する上で、書店流通と展開が前職の出版社時代と同じようにできるのであれば、企画の組み方も同様に引き継げるだろうと思ったのです。
であれば、まずめざすべきは、大手取次の口座開設。日販さんとトーハンさんです。

知り合いをたどって、担当者の方と何度か話す機会をもらいました。想定しうる限りの上振れなラインナップと年間計画(3ヵ年分)も用意しました。しかし、開設はむずかしいとの結果に。理由を事細かにここで書くことはしません。私が受け取った真意としては、「継続性」に疑問符がついたということ。専任営業もいない(外部スタッフで想定していました)、初めての経営、資金がもつかもわからない。取引先にとってはリスクのほうがよほど大きい。全力で準備を整え、熱意を持って提案はしたものの、そのこと自体は理解できます。「実績」への疑念はスタート前はどうしても覆せない懸案であることも。

しかし、頭では理解しても、気持ちはついてきません。この頃は早くも露頭に迷う感覚もありました。
とはいえ、取次の担当者の方がかけてくれた、
「まずはじめてみることです。取次口座開設はリスクにもなるから、小さな取引でも本を出してみてください」
そんな声には、腑に落ちるところもありました。それを真に受け、「やってみること」を優先順位の上位に挙げて、目標を切り替えました。
それが、退社から三ヶ月、22年の6月頃だったと思います。

【ハードル】2:著者との関係


出版社のブランド力。そんな意識が著者の側にどの程度あるかはわかりません。もちろん各人の価値観次第で、大手からでないと出したくないという方もいれば、編集者との相性を重視する人、あえて小さな無名なところと組もうという人、本が出せれば版元にはこだわらない人、さまざまであろうと思います。
ただ、自分が「著者」の側であると想像すれば、そりゃあ創立1年目の名前も聞いたことのない地方出版社よりも、東京の名前の知られた版元の方がいいに決まっている、そう思っていたので、東京時代よりも企画の依頼はスムーズに進まないだろうということはある程度、覚悟していました。

そんななか、まずお声をかけたのは、これまでお仕事をご一緒することのできた著者の方々です。
そんな中、降りてきた企画のひとつが「自律する子の育て方」をご一緒した、工藤勇一校長に「民主主義」をテーマに語ってもらう、というものでした。

最初のお返事は「できることがあれば協力します」。

そこには、印税条件、流通、営業体制などを問う内容は一切ありませんでした。そこから、風越学園の発起人のお一人でもある苫野一徳さんにお声かけをして、共著のカタチで企画は進むことになりました。お二人にとってのいわばガチなテーマ。それだけに想いの乗った対談となります。予定調和では進まず、実際、企画自体が「流れそうになった」こともあります。タイトルで紛糾し、1週間ほど眠れない時期もありました。

そんな時期であっても、小さな泥舟に乗り込んでくださったご恩だけは忘れない。いい本をつくる、届けよう。
その根本には出版社の第一弾というなんの保証もない仕事に人生の時間を注いでくださった気持ちに応えたいという想いがありました。

少し前の段で僕自身、こう書きました。

「そりゃあ創立1年目の名前も聞いたことのない地方出版社よりも、東京の名前の知られた版元の方がいいに決まっている。」

でも一方で、本当にそうだろうか?と思う自分もいます。小さな出版社は、大版元と比べると予算は脆弱ですが、みずからお金を投入し、生活もかけて1冊の本をつくろうとしています。世の編集者の多くが、本を心から大事にし、丁寧に本づくりをしていることを僕は知っています。それでもなお、小さな出版社は賭しているものの切実さの分だけ、1ミリ分だけ、力が込められるのではないか、それが販売や制作の細部に宿るのではないか。そう信じたいと最近では思っています。

あさま社には厳密な年間計画はありません。先期と今期で、売上のためだけに出版月を決めることだけはしたくないと決めています。だけど、人生の中でつくれる冊数は決まっています。人生の残り時間でつくりたい本だけをつくりたい。その制限は組織にいる時よりもよほど強くなった感覚を持っています。

【ハードル】3:お金の問題

暑苦しくなってしまいました。。
ポジショントークとして聞き流してください。

さて、起業の障壁となるお金の話です。
自身の生活費も含めて、これは独立の懸念ポイントになる最も大きな課題ではないでしょうか。
1で書いたように、当初、口座開設を希望していたあさま社では、創業当初に地元の信用金庫と日本政策金融公庫から大きめな金額の融資を受けました。長野県では起業支援として「金利優遇」もあるのでそれもしっかりと調べました。補助金制度もあったのですが、その枠の中に「出版事業」を着地させるイメージが湧かず、むしろ本づくりの足かせになっては本末転倒と、こだわらずに進めました。
それ以外に、手元の資金も、東京のマンションを売って手元にあった売却益などを資本金としました。

出版社経営のネックとして言われるのは、資金繰りの悪さです。取次に本を委託して回収できる金額の多くは発売から7ヶ月後の入金。その間にも何冊も本をつくったり、重版しても印刷費が出て行ったりと出金が先行します。

あさま社は10月に第一弾の本を出しました。
「子どもたちに民主主義を教えよう」というタイトルです。
果たしてこれからうまく回っていくのか。資金繰り表で計算もしてみるのですが、うーん、確度の高いことがなかなか見えない。正直、やりながら学んでいくしかないだろうというのはあります。計算が得意ではないのです。

ただ、独立前に想定したこととして、まずはAmazonでの売上をベースに、計画を立てていこうとは考えていました。理由は入金の早さです。Amazonよりも書店で本が売れる方がうれしい、というのは正直なきもちです。ただ、ある程度Amazonで本を買う人がいて、その上で実売をつかみやすく、入金が早いとなるとその動きは把握しておく方がいい。

自分が組織に属していた直近2年ほどのAmazonの初速(発売1〜3ヶ月の実売)は計画のベースになりました。とくにネットでの売上は比較的、営業力よりも著者と編集者の自助努力で数字に直結するものでもあります。(急いで補足しておくと、だからといってAmazonで売れる著者・テーマを優先的にやろうということではありません。あくまでそこはバランス。そのバランスを編集者自らが取れるということが出版社をつくった大きなメリットのひとつとしたいと考えています)。

とはいえ、お金の心配は無くならないどころか、日に日に大きくなっているというのが正直なところです。本を出さないとお金は入ってこない、でも売れない本であれば赤字になる。時間をかけたいけど、かけるばかりでは、体力が削られる。印刷費が高騰する中で、いかに回していけるのか、これは2年目の課題です。だけど、ここをバランスできれば、やりたいことに近づけるのではないか。チャレンジのしがいがあるところです。つよがりも含めて、ここではそう断言しておきたいと思います。

なぜそこまでしてやるの?

お金の心配に苛まれ、版元にいれば考えなくても済むような流通・営業のことまでやる。娘を私立の幼稚園に入れている身としてもリスクは小さくないはずです。

なんでそこまでして、やってるの?
そんな声も聞こえてきそう。
たしかに毎月決まった日に給料が振り込まれる生活は、お金の心配が少なくて気持ちがラクでした。企画会議で落とされても、生活が破綻するわけでもないし。
じゃあ、なぜやりはじめたのか?

おそらく自分の性格として、違和感を放っておくことができないから、というのが大きいと思っています。

たとえば、組織にいるときには、「3月まで」に決まった冊数の本を出すことがノルマになっていました。出版社に勤めていたら「あるある」だと思います。でも、思ってしまうのです。3月に出すのと4月に出すのでは、本の価値って変わるんだっけ、と。
それ以外にも、組織目標として「売上○○億円」「ランキング○位」ということが掲げられます。数字を掲げること自体は悪いことではないし、むしろ組織と人がそこへ向けて自走するエンジンになります。

実際、僕自身も年初の日記には「ベストセラーをつくる」「10万部達成!」「○年までに30万部の本をつくる!」・・・そのために今年は何に挑戦する、という目標の落とし込みに本気で取り組んでいました。
「点数ノルマなんて」とこうして書いている自分も入社2年目では年間12点の本をきっちり月1冊出していたのです。疑いもせずに。

……でも、数字は数字です。
目標達成に躍起になっていた当時の自分は、
たとえば、10万部を達成して、それは一体何になるのか?
10万部売れた本は社会をどのように良くするのか?
その問いに応えられる信念をもっていなかったことでしょう。

売上数字と目標のくびきから逃れられたきっかけは2つあります。ひとつは子どもが生まれたこと。これは大きい。娘が生きていく20年後の世界をどんな世界にしていけるか。気候変動と国の借金で、未来を生きにくくしているのは、今の自分たちじゃないのか。何ができるか、もそうだけど、少なくとも、未来のために意味がないとわかっていることにエネルギーを注ぐことはやめよう。
2016年に子どもが生まれて、そんな気持ちは年々積み重なっていました。

2番目の理由は、軽井沢に移住したことです。
ここはなかなか言葉にしづらいところでもあるのですが、軽井沢では他人のモノサシ(売上や数字といった)ではなく、自分の価値観で動く人がたくさんいました。行動原理がシンプルで、やった方がいいこと、楽しいことをやる。それ以外はやらない。そこに優劣はない。思ったことを周りの目を気にしてやらないなんて、勿体無い。そんな価値観に少しずつ染まっていったことはあると思います。

同時に、東京の磁場を離れることで、あることがおきました。それは、同業の編集者のSNS投稿が気にならなくなったということです。
告白すると、それまで軽井沢に移住する前の頃は、
「そうはいっても売上を求めないとか逃げじゃないか」
「あの人はこんなに活躍しているし」
「おりていいの?」

と、心の声が聞こえていたのです。新書、ビジネス書、実用書…売れてナンボの本をつくる中で、「わかりやすい売れ部数」「実績」を追い求めないことは、どんな言葉を並べても、単に自分の好きにしたいだけ、自分をラクな方に置いているだけ、そんな声が自分の内側から聞こえてきていたのです。
当時は、他の人が活躍するSNSの投稿を見るたびに、ゾワっとした感情が湧いてくることを自覚していました。ピアプレッシャー、あるいは同調圧力。軽井沢のオフモードでやる気がなくなった言い訳ではないか。

その声は、きれいさっぱりなくなりました。

2020年3月に軽井沢に移住し、コロナ禍となり、同時に地に足をつけて生きる人たちとの出会い、学校づくりに奔走する人たちを脇目に見て、1年の循環する季節の中での暮らしが自分に巡っていくなかで、今度は逆に、目標を追い求める自分が滑稽に見えてきました。逆に、目標思考は自分の生きたいように生きることを先延ばしにする「言い訳」のように見えてきたのです。

よく「市場に応える」という言葉を聞きます。
たとえば、値上げをしないのはお客様のためで企業努力であると。
でもそれって、誰を幸せにしようとしているんだろう、とも思います。
帰省をした実家で入った回転寿司は、100円均一で、機械に入力し、機械が運んでくれる。それも凍って保存が利くようになったお寿司を。
人が提供するという価値はお金に換算されないのかな?
そう思ってしまいます。
「マーケティングや市場調査は、市場を見ているのであって、お客さんを見ていないんだ」
それが正しいこととして闊歩しているのを見ると、あちこちで気になるようになってしまいました。
少なくとも、本づくりの現場でそんな発想で本を作り続けていてもいいのだろうか。もっと「人が」「人に向けて」本をつくり、届けるべきではないか。

では、どうすればそれを取り戻せるんだろう。

関心の向くほうへゆっくりと

みらいに届く本。
この1年、そのミッションのことばかりを考えていました。
どうすればそんな本を作れるのだろうか?と。
1年、そのことを考えていて、今はこんな考えに達しました。
「あんまり気にせずにやろうか」

市場のために本をつくっているわけではなありません。
同時に、理念のためにつくっているわけでもなさそう。
やっぱり人間がおもしろいから、
その人間が今の時代に、蔑ろにされている気がするから、
その違和感を大切にさえしていれば、好奇心に委ねてしまっても
いいんじゃないかな、と。

幸いにも「あさま社であればこんな企画がいいんじゃないですか?」
と著者の方に逆に提案をいただくことも出てきました。
それはすべてをコントロール可能と過信する近代的な考えから脱するためのアプローチになるかもしれません。

・・話が随分飛んでしまいました・・。
駆け足になったのですが、「なぜ出版社を?」の軸でざざっと思い出せる記憶の断片は以上です。もっと枝葉の部分でたくさんのことを感じ、もらっている感覚があります。

あさま社がいいモデルケースになればいいと思っています。
自身の仕事に違和感を感じたときに、とれる選択肢は多い方がいいし、その一つにあさま社がなればいいと思っているからです。成功はめざしていませんが、成功がついてくることはわりと強く祈っています。

2023年、一歩一歩、歩みを進めていきます。
どうぞ宜しくお願いします^^


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