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時給労働や就業時間いっぱいまで働く事の非効率さについて

地元のイベントの手伝いで久々に単発バイトをしました。天気の影響もあるものの、チームの創意工夫もあり、今日の作業はかなり早く終わりました。想定された時間の半分ほどの実働ですが、一日分の日当を頂いてきました。(写真は我が家とイチョウ)

もしや日当が減るかなとも思いましたし、そうなっても納得のできるくらい早く楽に終わったんですが、減給にはなりませんでした。

朝から晩まで働く気満々だったので、肩透かし感はあるし、それでいてど田舎なのにしっかりとした報酬を頂けて申し訳ない気もしつつも、これがあるべき姿かなと思いもします。

つまり、発注側としては、想定された作業は終わったのだから(実際は明日に作業を繰り越してる部分もありつつで、僕は明日も働くんですが)、早く終わろうがなんだろうが、用意していた予算分を支払うのはやぶさかではないわけです。

受注側がどんなに早く終わらせたって、発注側は想定していた価値の労働を獲得したんですから。

そう考えると、時給制というのは給与の計算
は機械的に出来て楽かもしれませんが、あまり平等ではないのではないでしょうか?

1時間の間に2千円の価値を生み出しても、
はたまた4千円の価値を生み出しても、

どっちにしても時給1000円というのは平等ではありません。

もし僕の今日の仕事がこのような時給的発想を当てはめられたら、報酬は半値になっていたでしょう。

しかしそれでは業務に創意工夫を加えて効率を高めることで、より速く質の高い仕事をしようというモチベーションが湧くでしょうか?

社会主義崩壊の要因のような話ですが、やはり頑張ってもリターンがないような環境で頑張れという方が失礼です。

これは残業してダラダラ仕事する方が何となく偉いような風潮と似てます。もはや就業時間まで会社にいることを求められること自体がおかしくて、昼過ぎには一日の仕事を終えて帰る方を推奨されるべきと思います。

で、ちゃんと一日分の仕事には一日分の報酬があって、2日に1回出勤して2日分の仕事をしたら、ちゃんと2日分の報酬がある。

まあ、企業によっては当たり前でしょうし、幹部クラスはこのような働き方も多いのでしょうが、平社員もアルバイトも、もっと努力の甲斐のある労働環境があるべきと思いますね。

念のために補足をしておくと、成果が出ない場合は減給にすべきとは考えてません。一定のベースはあってしかるべきでしょう。

(新暦11月3日 旧暦10月7日)




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