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次兄のこと(15の頃…番外編)

今週分のノルマは午前中に達成できた…。
ということで、亡くなった次兄のことを少し書いてみる。
このリンク先に書いてあるように、私は15歳で高校を退学して働き始めた。

新聞の3行広告で見つけたアルバイト先に、来週から働きに行くと伝えた。
しかし、まだ親の許可は出ていない…。
せっかく入学した都立の工業高校を半年でヤメルなんて、親からすれば納得できないことだろう。
しかし私は、入学前の説明会に参加した時からこの高校が嫌いだったのだ。
その説明会から帰ってすぐに、レタリング通信教育の学園に入学手続きをした覚えがある。

親の家に住んで親の金で生活しているから、彼らの許可を得ずに学校をやめてはいけないと一途に思っていた。
親に退学を認めてもらおうと、学校へは行かずにハンガーストライキを水曜日から始めた。
木曜金曜と飲み水以外は摂取せずにいたら、土曜日の朝はげしい腹痛に襲われ、しかたなく食事を再開した。
親も、働きに行くのをしぶしぶ了承してくれた(このあたりのことはよく憶えていない)。

土曜日曜ときちんと食事を摂り体調を整え、月曜から錦糸町にあったカレンダーの名入れ印刷工場に働きに行きはじめた。
(なかなか次兄の話にならないな)

冒頭のリンク先に書かれているように、無断で学校に行かなくなった私に代わり、仕事を休んで私が通っていた学校へ行って退学の後始末をしてくれたのは、先日の告別式でお別れをした次兄だ…。
正式に退学の手続きをし、担任の教員と面談して学校内での私の様子を聞いたり、校内の個人ロッカー内の作業服や私物を回収し処分してくれた。
私がそれを知ったのは、随分あとになってからだったけど…。

父はあるときから飲酒量が増え痛風を病んで頼りにならなかったし、早くに結婚した長兄もあまり下の兄妹の面倒など見てくれなかったので、次兄がずっと長兄や父親代わりの役目をしてくれていたのだ。
5人兄妹の中で酒が飲める次兄と私は気が合い、長いあいだ本当にいろいろ世話になった…。
感謝しています、本当にありがとうございました…。
(むかし、このブログに15歳の頃のことを何度か書いたことがあるので、それの続きということにした)

羽田空港へ着陸する飛行機が見える

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