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フリーライターはビジネス書を読まない(50)

出版社と契約

3回に分けて録るつもりだったインタビューが1回で終わった。なんと6時間半、北原裕美は自分の半生を一気に語り続けた。

録音した音声を文字に起こす。自分で使うためのテープ起こしだから、一字一句ていねいに起こすことはしない。内容が分かればいい。

出版社にも連絡した。駆け出しの頃からお世話になっている編集者に声をかけて、この案件を引き受けてくれないか打診したところ、前向きな返事がもらえた。明日、出版契約書を交わすために、北原を連れて出版社を訪ねることになっている。

JR環状線、森ノ宮駅。改札の向こうは、道路を挟んで大阪城公園だ。当時はまだインバウンドは比較的少なく、この駅から大阪城を目指したり観光バスで訪れる団体は、老人会とか修学旅行の中高生など日本人客が多かった。

出版社は、駅から見える雑居ビルの8階にある。13時にアポをとっていた。
私が少し早めに駅に着いて券売機の脇で待っていると、北原が鮮やかなグリーンのスーツ姿で改札から出てきた。
そこまではいいけれど、近くまで来たら猫の匂いがする。
それとなく指摘すると、
「ちょっと待ってください」といって、構内にある売店で消臭スプレーを買ってきて、
頭の先から足の先までシューとふりかけた。
「これで匂いませんか?」
匂いが消えたわけじゃないが、ひとまず気になるレベルではない。
「行きましょうか」
北原を促して道路を渡り、雑居ビルへ入る。

受付で用件を告げたら、4人用のミーティングルームに通された。
織田はすぐに現れた。小脇に携えているクリアファイルの表紙には「自費出版説明資料〔個人用〕」とある。
「はじめまして、編集の織田です」
「北原です」
この人にはずいぶんお世話になっている。私が大阪でライターをやれているのは、この人と出会うことができたからといっても過言ではない。歳は私と同じで、この出版社で取締役兼編集長という肩書をもっていた。創業メンバーのひとりだと聞いている。

「織田さん、だいたいのことは電話でお話しした通りです。今日は契約内容の説明と、北原さんの最終的な意思確認ということで」
「分かりました。では北原さん、自費出版の契約内容について説明していきますね」
織田は穏やかな口調で説明を始めた。北原も真剣に聞いている。

契約の体裁としては、北原が出版社に対して自費出版を依頼し、出版社がライターの私に原稿の執筆を依頼するという形にするのが一般的だ。だが、今回は私が出版社を紹介する格好になっているし、先にインタビューが終わっていることから、北原から持ち込まれた原稿を出版社で書籍化するという契約になった。だから契約の当事者は北原と出版社で、私は出版社に対して契約上の責任が生じない。
そのかわり、原稿料は北原個人へ請求することのなる。万が一、本は出たけど北原が原稿料を踏み倒して行方をくらましたら、私は自分の責任で北原を追いかけて原稿料を取り返さないといけなくなる。
だが、メリットもある。出版社を入れることによって、めんどくさい事務的なやり取りを出版社が引き受けてくれる。私は原稿を書いて、出版社に渡すだけでよかった。

「契約内容は以上のとおりです。何か疑問に思われることはありませんか」
説明を終えて、織田は北原の前に契約書を広げながら尋ねる。
「はい、とくにありません」
北原が答える。
「では、この『甲』の欄にご住所とお名前を書いて、ハンコをお願いします」
スーツの胸ポケットから万年筆を取り出し、キャップを外して北原に渡した。北原はペン習字のお手本かと思うような、見事な達筆で署名した。これには織田も感動したようだ。
聞くと、転校の多かった小学生時代から社会人になるまで、ずっとペン習字をやっていたという。
ペン習字の先生もできるんじゃないかと思ったが、北原のレベルに書ける人はザラにいるらしい。

「原稿はいつごろになりそうですか」
織田が私に訊く。テープ起こしは済んでいるから、内容の時系列を整理して、ストーリー性のある文を組み立てていくから――
「3週間ほどください」と返事した。そして、その3週間のあいだに、北原は出版社に制作費の半額前払い分を支払っておくことになった。

(つづく)

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