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フリーライターはビジネス書を読まない(48)

そこは古い文化住宅だった

JR八尾駅の改札を出て、線路を右に見ながら歩いて6番目の辻を左に入って、細い道を道なりに行くと見えてくる酒屋とプロパン屋のあいだの路地を入って……。
スマホがナビゲーションしてくれる、便利なサービスはまだない。道順を電話で聞きながら、途中で迷う自信しかなかった。

本当にたどり着けるだろうか。
「こっちのほうが近そうじゃない?」という邪念は、道に迷う原因の上位を占めている。知らんけど。

とにかく聞いたとおりに歩いてみる。と、電話で聞いたとおりの2棟並んだ文化住宅が見えてきた。奇跡的にたどりついた。

それにしても、古さが目立つモルタル塗りの外観。たしか道路に近いほうの棟だと聞いた。
「手書きの表札が出てますから」
探すまでもなく見つけた。インターホンの類はない。ドアを強めにノックする。

「どなたですか?」
ドアの向こうから女性の声がした。
「こんにちは、ライターの平藤です」
ドアが開いた。赤いタンクトップに膝丈のハーフパンツ姿の細身の女性が現れた。
「あ、どうぞ」

ドアを入るとすぐ階段になっていた。腰まで伸びた長い髪を揺らして、ドタドタ上がっていく後ろ姿から、どこか生活に疲れているようなオーラを感じる。
「あらためまして、ライターの平藤です」
階段を上がりきったところで、名刺を渡す。
「北原裕美です。今日はわざわざ、ありがとうございます」
渡された名刺に肩書はなかった。「どうぞ、座ってください」と、卓袱台の奥を勧められる。

北原裕美は台所に立って、お茶の用意をしている。待っている間、あらためて部屋を見渡してみた。
6畳と4畳半の二間で、壁際に大量の本が重ねられていた。本棚はないようだ。よく見ると、本棚どころかクローゼットもない。収納家具が皆無だった。30インチぐらいだろうか、大画面テレビのモニターには夥しい埃が貼りついている。
たぶん、日ごろはあんまり掃除が行き届いていないのかもしれない。私が訪ねてくるから、見えるところだけ慌ててきれいにした印象だ。
不意に背後から「にゃー」と声が聞こえたので振り返ると、三毛猫が私の顔を見上げている。鼻先に手を出したら、スリスリしてきた。私のことは、あんまり警戒していないようだ。

「お待たせしました」
お盆に湯飲みを2つのせて、北原が戻ってきた。

「自伝をお出しになりたいということでしたが、自分でお書きになった原稿はあるんですか」
「それは、ありません。お話を聞いていただいて、原稿にしていただくことはできます?」
「もちろん、できます。では、私がインタビューして書くということで?」
「お願いします」
「私はライターなので、原稿を書くまでが仕事です。出版社は、あたりをつけてありますか」
「それが、どこにどうやって頼んだらいいのか分からなくて…。ご紹介していただくことってできます?」
「何社か心当たりがありますから、ご紹介はできます」

さっきから気になっていることを訊いてみることにした。
「失礼ですが、お仕事は何をされてますか?」
「以前は下着メーカーに勤めてたんですけど、今はフリーで宝石の営業とか健康食品の販売をやっています」
北原はよどみなく答えた。

「お金の話になるんですが、自費出版は制作費はすべて自己負担です。大阪の相場だと、ざっと見積もって200~300万円ほどです。ご予算は想定の範囲ですか」
「来週あたり入金がありますから、大丈夫です。一括払いですか?」
「出版社との契約しだいですが、一般的には半額を前払いして、本ができたら残りの半額を支払うことになると思います」
「だったら、安心しました。お支払いできます」

こうして話している間、北原の携帯電話にはひっきりなしに着信があり、ときには流ちょうな英語で話しているときもあった。

「英語ができるんですか?」
「仕事で必要なので、必死で勉強したんですよ」
と北原は笑った。そして一瞬間があって「汚い部屋で驚いたでしょう?」といった。
「はい」ともいえず返答に困っていると、
「仕事でほとんど外へ出てますし、寝るために帰って来るだけなので、こういうところで十分なんですよ。高い家賃払っても、ゆっくり過ごせないんじゃもったいないと思いましてね」
なるほど、そういう考え方の人もいるのか。
だが、そんなに忙しくて、本を書くためのインタビューに時間を割けるのか?

「本を1冊書くには、だいたい10時間ていどのインタビューが必要です。それを3回くらいに分けてやるんですけど、お時間取れますか。お忙しそうですけど?」
「1回目は来週でどうですか。そのときに2回目の予定を決めさせてください。なるべく日が空かないようにします」
こうして、成り行きで第1回目のインタビューが決まった。その日までに、紹介する出版社を選んで話を通しておかないといけない。

(つづく)

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