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ザリガニの哲学

 今でこそ一人を好む私だが、昔は生き物をよく飼っていた。と言っても犬猫では無く、ヤゴやカイコなど観察の余りがほとんどだ。毎度20匹ほど持って帰っては、誰も成長しないまま死んでいった。

 唯一長く生き延びたのは、小学校二年の時に持ち帰ったザリガニである。最初にやってきたザリガニを見つけた母は「どうせすぐ世話をしなくなる」だの「散々前科があるのにまた生き物を飼うのか」だの猛烈な抗議を浴びせてきた。心外だ、私だってやれば出来る人間なのだ、馬鹿にしないで欲しいと息巻いて懸命に世話を始めたが、1週間も経たない内にザリガニへの興味は消え失せた。

 しかし、母親に自分がいかに生き物を育てられる人間かを熱弁してしまった手前、今更ギブアップする訳にもいくまい。困り果てた私は「あえてザリガニを放置するタイプの観察」を始めることにした。これはあえてザリガニの世話と掃除をしないことで、水槽の中に生態系を生み出して自然本来の生き方を取り戻してもらう、という試みである。ザリガニなんて自然を生き抜く前提で生まれた物なので、人の手は加えない方がいいに決まっているはずだ。

 驚くべきことに、この作戦は成功した。わざわざ背中の苔を磨いたり、毎日水を変えていた几帳面な同級生たちのザリガニは、早々と死んでいった。しかし、私のナチュラルボーン・ザリガニは背中に苔を背負いながら二年後もたくましく生き続けたのである。ついには学年最長寿記録まで達成し、保護者の方々にしばしの話題を提供した。

 そんなザリガニだが、5年生の夏に呆気なく死んだ。1週間の旅行から帰ってきた所、水が干上がってひっくり返っていたのである。2年半かけて作り上げた生態系など、太陽の前ではあまりにも無力だった。

 後から知ったことだが、ザリガニは母が定期的に世話をしてくれていたのだ。彼らを救ったのは私の作戦では無く、母親の適度な愛情だった。私は母の言う通り2度と生き物は飼わないようにしようと反省しながら、アイスの当たり棒でザリガニの墓を建てた。


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