海外挑戦の本質

こんにちわ。
着々と帰国へのカウントダウンが近づいていて動揺しています。23歳です。

 さて、今回は、少しづつ見えてきた海外挑戦の本質について。題を見るとすごくかっこよく見えるけど、そんな大したことは書けません。ありきたりな内容だと思う。今回”留学”ではなく、”海外挑戦”という表現をしているのはなぜか。それは、色々な形式があるから。海外大学や大学院進学、交換留学、ワーホリ、などなど。

 そう。今回書きたいのは、留学にもいろんな形があるということ。
たぶんみんな海外留学した人が帰国してきたら口をそろえてこう言うと思う。

「英語喋れるようになった?」

俺も日本にいるときいった人ほぼみんなにそう言ってたと思う。でも最近考えるのは果たしてそれがすべてなのか疑問に思うということ。

 

自分の場合  


 6ヶ月経過した現在、残念ながら僕の英語力は破壊的に成長していません。ボランティア先の生徒と話していても、分からなくなることが多々ある。じゃあ英語が成長できないままボランティアを終えたとき、この期間は無駄なのか。現時点ではそう思わない。オーストラリアの教育現場を実際に見て、自分の将来に活かしたいと思って渡豪した。実際に現場に入って感じるもの、違い、学ぶことはたくさんある。先生の働き方や学校の方針、日本の学生との違い等。

 これらは日本にいては感じることも学ぶこともできないこと。変な話、いまはネット環境の進化で英語学習の幅もかなり広がっているから本気度によっては日本に居ても海外留学並みの成長はできると思う。実際に成功者もいるし。でも、海外の教育システムを学ぶのは日本にいるだけでは難しい。もちろん書籍で知ることもできるけどそれだけでは情報量が明らかに足りない。何よりも、実際に先生や生徒と触れ合う中で感じないと学べないことが沢山ある。最近は嘗められてる為、校内で生徒たちとすれ違うと「Hey,Eita!」と言ってハイタッチしてくる。そんなかわいらしい連中見てると来てよかったなと思う。

 あと、シンプルに旅行したい。笑
まじかこいつって思うかもしれないけど、社会人になったら、海外旅行に行くことが難しくなることだってある。ボランティア先の先生にも絶対旅行してから帰りなと言われる。この先そんな気軽に旅行なんて行けないよと。
 てことで、英語力は伸び悩んでいるけど、経験値は上がってるんじゃないかと信じてる。そしてこれが俺の”海外挑戦の形”だと。

現地の他人の場合

 語学学校やミートアップなどで数人の日本人と知り合うことになったが、よく聞くのが、半年未満で帰国するというケース。海外の雰囲気に憧れてたけど実際に住むと耐えられなくなる人が多い。これまじで多いw
 あとは、現地の情報集めの為にTwitterで何人か日本人フォローしてたけど、かなりフォロワー数の多かった人が2人とも半年で帰った。オーストラリアがどーのこーの、海外はすばらしい的なこと散々ツイートしてたけど生活が合わないから帰ってた。w

 じゃあ、その人たちが惨めで情けないかというと全く思わない。例えば、沢山情報収集した上で大企業に入社して、ブラックすぎて辞めました。って友達がいたとして、情けないと思うか。思わない。いくら情報を集めたとしても飛び込まないとリアルはわからないから。そういう人たちをだせえと思う人は人生で挫折をあんまり経験してないんだろうと思う。
 つまりは、道半ばで諦めたとしても、飛び込んだからこそ次につながることもあると思う。その人らの人生でその経験がどう生きるかは知らんけど。それもその人の海外挑戦の形であり、その人の人生。

 

海外大学院進学した友達の場合

 こいつはまじ2週間に1回くらいは夜に電話してくる。まじでメンヘラ。でもそいつはほんとに大変そう。そもそも慣れない英語で、自分の専門について学ぶってすごいことだと思う。そいつは毎晩課題に追われてる。そいつも英語力不足で授業理解度や課題の進捗度に悩んでいるが、意外にも自分の内面的なところに悩んでた。あんまり個人的な話を書くとかわいそうだから書けないけど、そんな悩み方するんだなと驚いた。
 英語、専門、自分の内面、いろんな悩みを抱えながら毎日戦ってるそいつは未だに尊敬する。いつになってもそいつの努力には敵わないと思う。そしてそれが彼の形。


 そんなこんなで色んな形があると思う。そしてもちろん英語力が伸びることも重要なことだと思うし、最近は今まで以上に頑張ってる。この内容を言い訳にするつもりもない。
 
 留学がキラキラしてると思ったら大間違いです。来年渡豪予定のそこの○○君。半分以上は泥沼みたいな生活。でもそれを耐えているからこそ見えるキラキラもある。それが楽しいかな。