スーパーマリオワールド -最初の体験-

スーパーマリオワールドは言わずと知れたスーパーファミコンの名作アクションゲーム。発売年を見てみると1990年とある。
本体発売と同時に売り出された、いわゆるローンチタイトルの一つ。

スーパーマリオシリーズの系譜で眺めると第四作目にあたるそうで、パッケージにも実際堂々と「4」と書いてある。
けどみんなあまり4の部分は意識してなさそう。


自分がこのゲームと出会ったのは幼稚園の頃だった。
近所に一つ上の少しやんちゃな友達がいて、そこの家で遊ばせてもらったのが初めてだったように思う。

その後あまりにも友達の家に行って遊ぶもんだから、見かねた両親によって我が家にも導入された…、という流れで自分は記憶している。
実際多少違いそうやけど。

我が家へのゲーム機の導入は嬉しかった。
はっきりとした感情ではないけど、ゲームへのワクワクや憧れの気持ちといっしょに、色々と簡単に思い出せる。
スーファミやソフトのパッケージデザイン、今や懐かし紙式の説明書、ソフトを箱内で安定させるための透明プラスチックの容器などなど。


いざ改めてプレイしてみると、幼稚園児の腕前では難しい。
今作初登場のマントマリオの操作が特に印象的で、全く飛べやしない。せいぜい勢いよく地面に頭突きするのが関の山で、継続して飛ぶということにだいぶ憧れがあった。
今の飛行技術を年甲斐もなく当時の自分に自慢したいくらいである。

敵キャラたちにもいろいろ泣かされた。
陸路ではアメフト選手のように突進してくるブル、水中では一度目をつけられるとずっと追いかけてくるグースカ、空には絶妙な配置のパタパタ、お化け屋敷にいたってはこちらから倒す手段のないテレサたち。
今となってはみんな可愛いデザインで愛せるけど、当時は命を握られた憎っくきヤツらだった。

ステージにしたって、足場が少なかったり強制スクロールだったり、動くノコギリをひたすら回転ジャンプしながら進んだりと、やり慣れた今でこそ当たり前のように処理できるけど、初見の4、5歳児にはSASUKEばりのステージが目白押しだった。乗ったら下がるキノコみたいな足場とか一体なんやったんやろ。


ひいこら言いながら長ーい道のりをなんとか突き進んで、最後のクッパを倒した時は割と鮮明に覚えている。
クッパもなかなかいやらしく、こちらから攻撃するタイミングをあまり作ってくれない。それまでのコクッパたちとは違って戦闘時間も長くならざるをえず、トライアンドエラーの回数が確実にそこで増えた。お城のステージをいちいち攻略し直さなきゃダメなのも辛かった…。

たまにピーチから投げられる差し入れキノコを命綱に、文字通り手に汗握りながらついに倒した時には、確か泣いたような。
たかだか数年の人生で初めてみるスタッフロールを満足げに眺めてたあの時は、自分の人生の中でも印象深いシーンかも。今まで出てきた敵キャラたちが総出演するエンディングも素敵やったし。


一通り攻略し終えていい具合に天狗になってた自分に、どこからか新しい情報が届く。とびきり難しい隠しコースがあると。
今の自分にこそ挑戦する権利がある!と息巻いて行ってみると、本編難易度とかけ離れた激ムズコースのオンパレード。ここで抱いた人生で最初の絶望感。

全部でたった8コースのスペシャルコースは、密度が濃過ぎてもっとあったかと錯覚してしまいそうになる。むず過ぎて何コースかはマントマリオの飛翔でまるまるスルーしてクリアしたのはいい思い出。…そういえばこの頃にはもう飛べるようになってたのか。自慢できん。

最後のコースがまた時間制限も短く、焦りながら駆け抜けた記憶がある。
最後の最後にコインで書かれた英語のメッセージ(YOU ARE SUPER PLAYER !!) があったのだけれど、プレイしている最中はまともに見れるはずもなく。
後々攻略本に載ってたそのコイン文字をまるまる書き写して、英語が得意だった母に意味を聞いたところ、単語間のスペースの無さ(たぶんYOUARESUPERPLAYER !!と書いてた) に突っ込みを入れられたのは一際鮮明に覚えている。そこを見て欲しかった訳じゃないんだ…。


人生で最初に遊んだゲーム。出逢いはもう数十年も前のことだけど、書けば書くほど色々と思い浮かんでくるもんである。
素敵なキャラと音楽、適度な難易度は今プレイしても全くもって楽しい。
幸い、今はNintendo Switch Onlineに加入していればすぐに遊べるいい時代。こんな未来が待ってるだなんて、幼稚園児の自分に言っても信じてもらえなさそうだ。

今後も思い出したように、思い出に浸るようにたまに遊ぶ気がする。

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