薬について
子供に甘い言葉で囁き、苦い薬を甘くし、痛い注射を騙し騙し打つ。
記憶にない子供の頃、自分は注射されようものなら、大泣きし逃げ回ってたらしい。
殺される〜の勢いだったのだろう。
子供はそれが普通。
騒がない子供は「いい子だね〜」と言われるおかしな話。
薬は病気を治さない、
薬は体を丈夫にしない、
薬は症状を和らげるのみ、
(蓄積されれば危険、上手く排出出来れば良いが)
自分の免疫力が大事と思うようになったのは大人になってから。
精神的な効力の方が大きいと気づいたからでもある。
子供の頃に遡る体験からの学びも含め、自分は精神が弱かったからそう感じる。
社会人になるまで医者に行った事がない私は、母が薬草で作ったものを飲まされたが苦くて嫌だった。
本当にそれが効くかどうかは定かではなかったが、
母の愛情の言葉は子供ながらに、何よりも魔法の効果があったと思う。
また熱を出した私の痛がるお腹を、母は寝ずにさすってくれた事を思い出す。
その手からは愛情のパワーが発していた。
その安心感はより治癒効力を増していた。
「これを飲めばすぐ良くなるよ」と、薬にもならないもので、プラセボ効果で治癒する事もあるくらいだから、精神的作用の力は大きい。
また薬、という言葉より、薬草と耳にする方がなんとなく良い気がする。
薬は元々は薬草だが、化学的に手を加えられ化学薬品、
実際何が入ってるかなんて素人には分からない。
でも、そっちの方が効果があるように感じる人もいる。
自分が分からないものは、嫌な感じを覚える。
山から取られた薬草ならば、自分の中では、自然界そのものを頂きます的な感謝の気持ちが現れるような気がするのだ。
これは個人的好みや価値観による。
昔は無農薬作物や鶏も飼ってたので、お金は無かったが、純で豊かな食だった。
生き物や目には見えないが微生物が沢山いた。
私の子供時代より、今の時代の方が薬漬けの食に加え、
病気になり易く、病院もすぐ行ける環境が整い、薬局もやたら多く、薬がすぐ手に入るようになった。
なんだかものすごく奇妙な世界。
毎月の保険に加え、将来の不安感を煽られ、民間保険に入ったり、
昔より人間は死ぬまでシンプルには生きられなくなった。
お年寄りはすぐ病院に行きたがる。
薬漬けにされじわじわと弱体化させ挙げ句の果て寝たきりや車椅子。
植物人間のようになっても、家族に生かされ死ぬまで寝たきりにさせられる人もいる。
それも家族との契約かもしれない。
死ぬまで元気に生き、自然死、老衰は許されないような世の中なのか、
それも当人の自由意思。
介護施設はどんどん増え、働く人達は安い給料で必死で働く。
医学研究の進歩は期待できる??
次第に滑稽に思うようになってきた。
進歩などしていないではないか。
それどころか、病気は永遠になくならず、新しい病気が増えてくいっぽう。
西洋医学の発展は凄まじいが、東洋医学は脇に追いやられてる。
人格的に素晴らしいお医者さんもいるが、自然治癒力を謳うお医者さんほど、闇世界に弾圧され魔女狩りにあったりするのが世の常。
自然治癒で人が自ら病気を治せるようになったら、闇医学は儲からず、ビジネスが成り立たない。
ワ○チ○を打ちたい人は闇医学を信望してる。
いやいやの人もいるだろうけれど。
そもそもコ○○など恐れるほどのものではないと私は思う。
何処か悪くなれば、医学に依存すれば治してくれると思っている。
○作用になれば家族の心配の種になり不自由を強いられるのに。
打ちたい人は周りの為と勘違いもしてるもいるが、言わされてるに過ぎず、自ら支配されたいし奴隷のままで居たい。
また病気になる人はなりたくてなったんじゃないという人がいるが、なりたくてなったのだ。
なりたくなかったら、自分で自分の異変を調べるだろう。
誰かに甘え、誰かに介護されたくて、お金でなんとかなるとも思い込む。
モルモット実験台として差し出してるとしか思えない。
しかし、それも選択の自由だが、
人間の身体は医学の実験台の道具ではなく、自分のものではないのか。
他人に自分の身体を聞くのでなく、自分の身体に自分でどうかと聞いてあげなくではいけない。
自分の身体を他人に支配させず、自分が支配し生きていきたいもの。
病気をし医療に頼り切る構図をつくったのはエリートと呼ばれる支配層かもしれないが、私達はもともと自由。
洗脳されるような遺伝子を組み込まれてきたのは確かかもしれない。
ネガティブな闇の勢力が強くて今迄は抵抗できなかったかもしれない。
でも、これ程までにいろんなことが暴露し続けている今、
気づく事、目を覚ますチャンスを与えられている。
この闇をぶち壊し、自らを解放し自立していくのは自分しかいない。
人には知恵や知性、能力が備わってる。
そして決してひとりではない。