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イジメの問題について考えていると憲法問題にたどり着いた!?

日本国憲法第九条が戦争放棄を宣言している事を理由に、自衛隊を違憲だと主張する人たちが一定数存在している。

憲法の条文に則って「国際平和を誠実に希求」すれば、その高邁な理念によってすべての武力紛争は解決すると本気で信じているのか「信じているフリ」をしているのか分からないが、そういう人たちが間違いなく存在しているのである。

戦争が起こるたびに、軍隊を不要とする平和主義者が巷にあふれる。

だが、不思議な事に警察を不要だと主張する人はただの一人もいない。

軍隊も警察も国家が独占する暴力である事に違いはないにもかかわらずである。

警察力の放棄が荒唐無稽であるという事は、社会平和を誠実に希求しても犯罪など絶対になくならない事を誰もが知っているからだ。

どんな社会であっても、人々が安心して日々を過ごすには、犯罪を抑止する強力な治安維持装置が必要なのだ。

実は生徒のイジメや自殺は公立の中学校で多く、私立中学ではほとんど起こらない。

なぜだろうか?

それは私立中学が秩序維持に必要な“暴力”を行使できるからである。

といっても筋肉もりもりの体罰教師を雇っているという意味ではない。

私立中学にあって公立中学にないもの・・それは退学処分権だ。

私立学校では生徒の安全を脅かすような事件が起こると、翌年からその学校を受験させようとする親はいなくなる。

生徒が集まらなければ私立学校は経営が成り立たず倒産してしまうから、校長から事務員まで秩序維持に関して一歩も引かない態勢ができあがっている。

私立学校のイジメ対処法はいたってシンプルである。

全力で犯人を捜し出し、即座に退学させてしまう。

これが抑止力となって、生徒も“武力行使”を誘発するような真似はしなくなる。

それに対して公立中学は、義務教育によって、問題生徒を排除するという選択肢を奪われてしまっている。

どんな生徒でも平等に抱え込んでいかざるを得ないなら、これはもう警察のない社会と同じである。

教師の献身的な努力にもかかわらず悲惨な事件が続くのには、構造的な原因があるからである。

この欠陥を補うために、かつての公立学校は民間の暴力装置を利用していた。

それは番長率いる不良組織である。

一般生徒にとって、番長の決めたルールを犯すことは最も怖い最大のタブーであった。

学ランの長さから喫煙場所(笑)まで、生徒自身の手で厳格に規範が決められていたのだ。

多くの場合、暴力の匂い持つ日体大出身の体育教師だけ(とは限らない)が番長と対等に交渉できた。

体罰教師と番長によって裏の秩序仕切られ学校の治安が保たれていたのである。

やがて、暴力を批判する風潮の中で体罰教師は消えていった。

そしていつの間にか番長もいなくなった。

それと軌を一にして陰湿なイジメが社会問題化したのは決して偶然ではない。

「学級崩壊」の現状が広く知られるにつれて、親は子供の安全保障を真剣に考えざるを得なくなった。

何かに似ている・・そう、戦後日本そのものではないか。

「安全」はタダではないのだ。

安心して安全に国民が生活するために憲法を改正して軍隊を持つのは誰がどう考えても当たり前田のクラッカーなのである。

・・おしまい・・

【参考ブログ】『チャカポコ♪の愛国戦闘詳報』

※過去の自分のブログの橘玲さんの著作を参考に描いた記事の焼き直しです。

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