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「ダレン・シャン」9巻を途中で閉じてしまったあなたへ届けたい「10巻」のすすめ

「ダレン・シャン」シリーズは一時期、児童文学界において「ハリー・ポッター」と人気を二分するほどの勢いあるシリーズだった。
しかし、SNSを見ていると「途中で挫折した」「最後まで読んでない」人が一定数いるようだ。
 
考えられる大きな理由が、9巻でのあの出来事。
 
※以下は冗談ですまないレベルの大きなネタバレなので、「ダレン・シャン」9巻の例の決定的な場面まで読んでいる人以外はバック願います! 何のことかわからない人は即バック!
 
 
「ダレン・シャン」1巻の冒頭が最高の名調子であることは以前書いた。
 https://note.com/tyabudou/n/n863b1f7fb68c

これはフィクションではなく現実の話だから、都合のいいハッピーエンドはない……
あれほど言葉を尽くして警告していたのは、なるほど、このときのためだったのか。
そう思わせられることが9巻終盤で起こる。
 
※2度目のご注意。ネタバレですよ? いいんですね?


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かつてダレンはクレプスリーを憎んでいた。自分を夜の生き物にしたバンパイア。しかし共に過ごすうちに、彼と親子のような強い絆を結ぶようになる……
読者もダレンとクレプスリーの師弟が大好きにならざるをえない。唯一無二のコンビとして、シリーズを通して描かれる二人。
それなのに……!!
 
9巻の終盤、 第19章~20章の流れはあまりにも残酷。
初めて読んだとき、もう私は二十歳すぎで「物語」というものに慣れていたので、19章で「本当に? そんなことある?」と少し身構えていたが、それでも第20章は衝撃だった。
もしあと10歳若かったら耐えられなかったかもしれない。
 
“the Lord of the Vampaneze”との戦いの末、クレプスリーは残酷な最期を迎える。ダレンの目の前で。
ここの書き方が「ひどい」んですよ。けなしてるわけじゃない。うまいんです。でも、うまいぶん「ひどい」。
 
第19章
クレプスリー、鋭い杭が乱立する穴へ落下する
もはや絶体絶命と思われた最後の最後に「救援」が来る
クレプスリー、無事にダレンの元に戻り二人は固く抱きしめ合う
↓↓↓
 
第20章
……なんてことは実際は起こらなかった。クレプスリーは無残に死ぬ
 

ここね、新井隆広先生によるマンガ版も私は読みましたがね、
もう本当に「ヒュッ」て息をのんだ。展開知ってるのに。
マンガ・絵が持つ力の全てでぶん殴られたような感じがした。
(マンガ版も新井先生の原作愛が感じられておすすめなのだ)


原作で初めて読んだときも、なんとなく心の準備(「待て! ダレン・シャンがこんなハッピーな話なわけないだろ!」)はしていたのに、それでも特大のショックを受けた。
なんという突き落とし方をするのか……!
 
この章でパタン、と本を閉じて、二度とこの物語に戻ってこない読者がいても全く不思議はない。
それくらい衝撃の展開だし、ご丁寧にその衝撃を倍加するジェットコースターに乗せられてしまったのだ。どうせ落とすなら普通に落としてくれ。なぜ天国の甘き夢を見せた。
 
しかし、大人になった皆さん(noteには大人が多いと仮定して)。
ぜひ、どうか、次の10巻を読んでください。

 
 
大学時代、アルフォンス・デーケン先生による「死の哲学」という講義があった。学内外で有名で、新聞にも取り上げられたことがあった。
私は運よく在学中に受講することができた。そこで学んだ概念の一つが“grief care”「グリーフケア」。
大切な人との死別ののち、人間が経験する「悲嘆のプロセス」。
 
ダレンがクレプスリーの死という残酷すぎる現実を目の当たりにしたときも、彼はすぐに立ちなおることはできない。大きすぎる喪失を乗り越えるには、時間をかけて「悲嘆のプロセス」を経る必要があるのだ。
 
「悲嘆のプロセス」についてここでは詳しく書かないが、それはまず「無感覚・麻痺状態」から始まるという。ダレンも事件直後、精神的な麻痺状態に陥る。
デビーやハーキャットが涙し、バンチャが悲しみの叫び声を上げる中、ダレンだけは泣くことができない。9巻は真っ暗闇の中で終わる。
 
10巻の序盤でもダレンはクレプスリーの死を受け止めきれずにいる。Cirque Du Freakに戻るが、食欲はなく、睡眠不足になり、シャワーも浴びず、爪ものびっぱなし。一人、鬱鬱としている。
 
そんな彼のもとに、Cirque Du Freakのメンバーの一人・トラスカがやってくる。
彼女とのやり取りの中で、ようやくダレンはクレプスリーの死を泣くことができるんです。
ずーっと一人で抱え込んでいた感情を吐き出して。
Cirque Du Freakに戻ってから初めて、クレプスリーの名前を呼んで。ようやく大声で泣くことができるんです。
 
ここのくだりだけでも、ぜひとも読んでほしい。第2章です。
ダレンだけじゃなく、読者の私たちにも、悲しむプロセスが必要だから。
あのとき心にどおんと空いた穴を埋めるためには、10巻を読むしかないんです。読んで、ダレンとともに嘆き悲しみきるしかないんです。
 
悲痛な場面です。 “Mr Crepsley”と何度も名を呼んで。ダレンはいつまでもクレプスリーの弟子でいたかったんだろうな、ずっと頼りにしていたかったんだろうな、と泣けてしまう。
でも、トラスカの腕の中で大泣きするダレンを見て、読者の自分も一緒にその悲しみを悲しむ、それはどうしても必要なことだと。思うわけです。

10巻をさらに読むと驚きのジュラシックワールド?が広がっちゃうんですが、ハーキャットの「正体」も判明しますのでぜひ。
そしてそこまでいったらもう、シリーズ読破はすぐそこです。


(余談ですが、「ハリー・ポッター」では、ハリーはダレンと違って「わーっ」と声を上げて泣く機会を与えられない。泣きそうになるときや、静かに涙を流す場面はあっても、誰かに体ごと悲しみを受け止めてもらうことがないんですね。誰か、ハリーを抱きしめて泣かせてあげてくれ!!)

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