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イスラム教の犠牲祭『イード・アル=アドハー』って?

こんにちは!!ドイツ在住のTさんです。

昨日、外務省海外安全ホームページより以下の内容のメールが届きました。

●7月20日(火)から7月23日(金)頃までは、イスラム教の犠牲祭の期間に当たります。
●大規模行事はテロ等の標的になりやすいことに留意し、外務省海外安全ホームページや報道等により最新情報の入手に努めつつ、安全確保に十分注意を払ってください。情報収集には「たびレジ」もご活用ください。

イスラム教の連休のようで、その期間はテロなどが起こりやすいようです。

これを見て、まず最初に思ったことは『犠牲祭って何?』でした。

ぱっと文字だけ見ると、少し怖いイメージを感じてしまいますが、この犠牲祭について自分で調べてみましたので、調べた内容をこちらでご紹介したいと思います。

ちなみに以前、ラマダンについて調べたことがあったので、こちらももしご興味があれば覗いてみてくださいね😄

犠牲祭とは?

まずはイスラム教の犠牲祭について調べてみました。

イード・アル=アドハー(アラビア語:عيد الأضحى‎ ʿīd al-ʾaḍḥā、Eid ul-Adha)はイスラム教で定められた宗教的な祝日。イブラーヒーム(アブラハム)が進んで息子のイスマーイール(イシュマエル)をアッラーフへの犠牲として捧げようとした事を世界的に記念する日。ムスリムの巡礼月の10日に行われるイード(祝祭)である、イード・アル=フィトルと同様に、イード・アル=アドハーは短い説教をともなう祈祷(フトゥバ)から始まる。イード・アル=フィトルより長期間にわたるため、大イードなどとも呼ばれる。また、日本では犠牲祭と意訳される。
※Wikipediaより引用※

ちなみに『イード=祭り、アルアドハー=犠牲にすること』とのことで、翻訳自体は正しいようです。

これだけ見ると、人をいけにえに捧げようとしたことを記念する日となっていますが、これがなぜ記念日になるのかが、これだけだとわかりませんね。

もう少し歴史や祭りの中身を深堀していきましょう。

犠牲祭の始まり

今回はWikipedia以外で以下のリンクを参考にさせていただきました。

この中で以下のように、犠牲祭の始まりについて記載されていました。

この時期、街中ではこの挨拶が賑やかに取り交わされる。イードアルアドハーはアッラーに家畜を捧げる祭りである。イスラム教の経典コーランの「アブラハムという羊飼いがアッラーの命じる通りに息子をいけにえとして捧げようとしたところ、アッラーはその信仰の深さを知り、息子の代わりに羊を差し出させた」という話に基づく。

つまり実際は人を生贄に捧げられたわけでなく、羊を生贄に捧げたということですね。

本当はもう少しストーリーがありそうですが、ここの部分を聞くと、怖さは和らぎますね。

犠牲祭中はどんなことをするの?

では、犠牲祭中はどんなことをするのでしょうか?こちらも先ほどのリンクで以下の記載を見つけました。

イードアルアドハーは、巡礼が行われるイスラム暦の「ズー・アルヒッジャ月」の10日から13日にかけて4日間続く(イスラム暦は一般的な暦とは異なるので、毎年の開催時期は一定していない)。
その間は、人々は新しい服に身を包み、友だちや家族連れで行楽地へ遊びに行ったり、互いに訪問し合ったり、祝いの言葉を交わして喜び合う。10日はメッカ巡礼の最後に当たり、巡礼者は動物を犠牲に捧げる。これに合わせてイスラム世界では各家庭でいっせいに犠牲を屠(ほふ)るのだ。

さらに以下の文章が続きます。

イードアルアドハーの時期、街は羊の「メエ~メエ~」となく声と人々が互いにかけ合う声、走り回る子供たちで大変にぎやかだ。たくさんの人々が羊肉、牛肉を買い求め(日本では考えられないかもしれないが、家庭で羊を丸々一頭さばくのも珍しいことではない)、貧しい人々や親戚たちと分け合う。精肉店はこの時期が一番の繁忙期となる。

ふむふむ。つまり、連休なので、行楽地へ遊びに行ったり、10日のメッカ巡礼の最終日では羊肉や牛肉を買って食べるのかな?と思いますよね。

しかしさらに以下の文章では、この筆者が現地の中年男性に犠牲祭で動物の犠牲をささげる意味を聞いており、その回答が以下になります。

肉を買うために並んでいる中年の男性にも、「動物の犠牲を捧げる意味は何ですか」と聞いてみた。彼はこう言った。 「この祭りの目的は肉を食べることではありません。イードアルアドハーは、社会全体でやる社会福祉運動のようなものです。羊など犠牲を屠るのは恵まれない人たちや親族などに分け与えるためで、イスラムの精神はまさしくそこにあるのです。恵まれない人に食べ物を分け与え、互いの気持ちをつなぎ、みんな幸せになり、家族や親戚との絆もより強くなるのです。互いを思いやることこそがイスラムなのです」

なんと、この犠牲祭の目的は肉を食べることにあらず、恵まれない人たちや親族などに食べ物を分け与えるためとのことで、互いの気持ちをつなぎ、みんな幸せになること、互いを思いやることとのことです!!

普段、イスラム教について調べることがなかったので、このことを知ることができて、とても有意義になりました。

私もドイツに住んでいて、よく中東系の方々を目にすることが多いですが、彼らを見ていると、街中で互いに握手したり、仲良く話す姿をよく見ますが、イスラム教のこのような考えが浸透しているのかもしれませんね。

現代の日本人は人とのつながりが希薄になっている方も多いように感じているのですが(私もその中の一人ですが)、今の日本人が忘れているものを彼らが持っているようにも感じてしまいました。

犠牲祭の注意点

さらに注意点についても記載がありました。

注意したほうがいいこともある。イスラム教徒にとって、人に善を施すときに一番大事なのは、誰にも知られないような形で行うことである。「誰に」「どのように」など、具体的な詳細を明かさず秘密に保つのが、善を施すうえで重要な精神なのだ。
イードアルアドハーのときも同様。周りの人に知られない形で、恵まれない人や生活に困っている人に善を施すのが重要なポイントとなる。そのため、誰かのそうした行動が話題に上ったときは、質問したり具体的な説明を求めたりするのは避けるのが無難だ。

なるほど、こちらは何となく気持ちはわかる気がします。

大々的に恩着せがましいことはせずに、隠れて善を施すという感覚は日本人にも納得する方は多いのではないでしょうか。

まとめ

ということで、今回はイスラム教の犠牲祭と呼ばれる『イード・アル=アドハー』について調べた内容をご紹介しました。

犠牲祭と聞くと、なんだか怖いイメージを感じますが、自分で調べてみると実際は貧しい人に食べ物を分け与えて、お互いを幸せになり、絆を強める目的があることを知ることができて、とてもよかったです。

宗教関連の単語を調べると、自分の知らないことを知ることができて、自分の視野を広げることができます。

皆さんももし気になる単語があれば、調べてみることをおススメします。

以上、参考になれば幸いです。

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