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「なんでタトゥー入れてると温泉に入れないの?」というタトゥー入れてる人

今回は、「相手の立場にたって考えてみる」ということの重要性について、一つ例を出して意見をシェアしようと思います。

「なんでタトゥー入れてると温泉に入れないの?」

って言うタトゥー入れてる人いますよね?

僕からすると、
「何を言っているんだ。当たり前でしょ。」
って思います。別にタトゥーを入れてる人に喧嘩を売りたい訳ではないですが、事実として当たり前であるということをお伝えします。
(すごい小っちゃいタトゥーとかだったら入れるのかもしれません。そこらへんの詳しいことは知りません。)

まず、タトゥーをいれている人は、どういう思いでそれを言っているかというと、おそらく、

「俺(私)はタトゥーを入れているだけで、別に反社会勢力でもなんでもないし、ただのタトゥーへの偏見で温泉に入れないのはおかしい」

こんなことを考えているんではないでしょうか?

もう、この時点で温泉に入れない理由がでました。
どういうことかわかるでしょうか?


そうです。「タトゥーへの偏見で温泉に入れないのはおかしい。」タトゥー入れている本人が認識している通り、一般的な人はタトゥーへの偏見を持っています。タトゥーというより入れ墨といった方がよりイメージしやすいと思いますが、入れ墨は反社会的勢力の人が入れているイメージがどうしてもあるんです。

ここで1つ問題です。この人は反社会勢力の人でしょうか?それとも関係ないただのおしゃれタトゥーでしょうか?

わかりませんよね。そもそも反社会的勢力の人たちがどのような人たちかも詳しく知らないし、判断しようがありません。

これが、偏見の原因なんです。偏見というのは、その事実の正しさを完璧に理解できるときには起こりません。例えば、反社会的勢力と他の入れ墨入れている人は○○の部分で違っていて、たとえ温泉に来たとしても温泉の店員さんは絶対に間違えずに判断できる。というなら偏見などは起こらないので、温泉に入ることはできるでしょう。

しかし、現実はそうではないですよね。一般人からしたら、誰が反社会的勢力なのかなんて分かるわけないし、とりあえずタトゥーを入れている人がいたらその可能性があるから危険と判断しようという風に温泉側は公言しておかないと、人が来なくなっちゃいますよね。

もし、タトゥーを入れていない人が、「タトゥーを入れている人と自分は一緒に温泉入っても平気だけどね。」というのは全く問題ありません。
しかし、それをタトゥー入れている本人が言っても何の説得力もないのです。ただ、自分ひとりが悪い人で無かったとしても、そのようなイメージがある限りはダメなのです。


「相手の立場に立つと、自分がどう見られているのか」

これは自分が自分を見る見方と異なることが往々にしてあるということを理解することは非常に重要なことだと思います。


Tomo.

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