見出し画像

ODで自殺未遂をした懺悔の備忘録

タイトルからこの記事を読みに来た人に告ぐ。

忘れたいけど忘れないように私はこれを書く。覚えているうちに書こうと思ったからリアルな部分もそのまま書く。だから汚い話も出てくる。無理だと思うのであれば今すぐにスワイプしてチンチラとかクアッカワラビーの画像なり動画なりを観てくれ。あと、多分長い。


***************


始まりは仕事に行く前だった。

スーツを着ていつもの処方薬を飲むか、と思った時だ。

遡ること3日前、ずっとイライラしていた。生理前の影響からなのか、躁転をしていたのか、どっちもだったのか分からないくらいイライラしていた。

最近は休日に外に出ないと通常モードに戻れないと太陽の光を浴びるために一人でも外出をしていた。が、自転車で自分よりも遅く漕いでいる人間を罵倒したくなるくらい怒り感情が体にまとわりついていた。

家に帰って処方薬の説明書を読むと、抗てんかん薬には「興奮状態を抑える」とあった。ずっと飲んでいる薬だから、正直惰性で胃に流し込んでいたものだ。

薬の名前は書かないが、処方されていたのは0.5mgの薬である。ネットで調べたら1日に6mgならOKってのを読み、2錠飲んだ。すると、次の日には無感情になっていて、効果が薄れてくるとまた怒り感情が出始め、2錠の方が良くね?と思った。

最初に戻る。

仕事に行く前にもイライラというか、沸々とした何かに取り憑かれていて同じように2錠飲んだ。だが、その時には既に遅かったのか、心の中では「ふざけるな」と誰に向けて言っているのか分からない感情が湧き、溢れ出していた。完全にアレは躁転だったのだと思う。

タガが外れ、仕事に行かねばならないことなど微塵も考えず、手が止まらぬまま2錠ずつ次々と飲み、多分ではあるが1シート以上飲んでいた。その間に他の薬にも手を出し同じく1シートは飲んでいたと思う。それは1錠100mgだ。

段々と「どうでもいい」という感情になっていた。そして記憶がここから曖昧になっていく。

その場で倒れ、意識を失う、朦朧としながらも取り戻す、また失うを繰り返していた気がする。咳き込んでいたのは覚えている。急に「やばい」と、iPhoneのサイドボタンを3回押すと緊急センターに繋がることを思い出し、押したのだが、どういうわけか上手くいかない。(調べたら本当は5回だった)

そこから画面に5分間使えませんと表記される。終わった、と思った。

しかし、そもそも電話を出る際のスライドをする力も入らない。インターホンを押す音も聞こえたのだが、動けなかった。後々、心配した上司が来てくれていたことが判明する。

iPhoneが使えるようになって立て続けに着信があったが意識が薄れていたせいで出られず、目の前にiPhoneがあるのにどこで鳴っているのかも曖昧になり、出るのは咳だけだった。咳と同時に途中で吐いていた。

そこに、いつも仲良くしてくれているお姉ちゃんのような職場の人からの着信画面が見えた。何度かスライドを試みて、電話に出ることが出来た。ここで出ていなかったら、今これを書けていなかったかもしれない。

「救急車を呼んでください…」と言ったような気がする。励ましてくれる声を聞きながらまた意識を失ったと思う。

そのうち大きな声とサイレンの音が聞こえる。目が開かない。何故かおしっこを漏らしていた。

多分、インターホンから救急隊の人が私の名前を呼んでいたんだと思う。玄関の鍵もベランダの鍵も閉めている。中に入れないのだ。

ガラスを叩き割る音がして、名前を何度も呼ばれ、体を叩かれたが、応答できない。担架に乗せられる時と、救急車に乗せられた時に「気持ち悪いから横向きの体勢にしてくれ…」と今考えると何を言ってんだということを考えていた。

スポブラをしていたから「これは脱がせづらいぞ」とか「おしっこすごいな」とか聞こえていた。すみません。乳がないもんで。あと人に囲まれながらまた漏らすだなんて。すみません。

たしか足が痙攣していた。あと寒かった。

その後は本当に断片的だ。「目を開けてください」と言われても開けられない。ライトで目を照らされても眩しいと思わない。両親の名前を聞かれた。会社の人が一人来てくれたことくらい。意識がまだはっきりしておらず顔はぼやけて誰なのか分からずだった。

あと3本くらい注射器を腕に刺されていたような気がする。

目を覚ました時には夕方になっていた。

「あ、覚めましたか?」と聞かれ、「今、何時ですか?」と聞いた。天井にある電気が目眩でぐにゃぐにゃしていた。

「まだ就業時間中だ」と思い、貴重品をまとめているビニール袋からiPhoneを取って渡してもらう。着信とメール、LINEが待ち受け画面を埋め尽くしていた。そこで点滴をされていることと、心電図に繋げられていたことに気付く。

このツイートは冷静と朦朧の間にいたのであまり記憶がないです


上司、先輩、色んな人に電話などで謝罪をしてから父と母に電話をして、母に電話した時には泣いていた。着替えを持って病院まで来てくれることになったが、実家は病院まで車で2時間はかかる。なんてことをしたんだ、申し訳ないと考えながら、また意識を失った。というか眠ったに近い。

名前を呼ばれた時には両親が来ていた。時刻は18時半過ぎだっただろうか。怒られるどころか、母は「困った時はいつでも連絡してくれればいいんだよ」と優しく、父はいつも通りのテンションで「今は顔色いいな」と言っていた。

その時には結構冷静だった。病院の先生が入ってきて、「死ぬ可能性もありましたので」と聞いた時は固まった。

両親は面会の最終時刻までいてくれた。今までこんなに感謝したことないくらいありがとうと伝え、母はまた明日来るねと帰っていった。もう消灯の時間になっていた。

看護師さんに「薬が抜けるまでは目眩すると思う、一旦熱計るね」と体温計を挟まれる時にノーブラで下はオムツを履いていたことに驚き、(心電図に繋がれているお漏らし人間なんだから当たり前なのに)「うお、ノーブラだ」と口走った。看護師さんは普通に笑っていた。ちなみに熱は38.5あった。

そのまま電気が消され、私は寝た。が、どこかのジーサンかベラベラと看護師さんに絡んでいる声が聞こえ、ちょいちょい起きた。

ちゃんと目が覚めたのは5時台だったと思う。ツイッターなりインスタなりを見ていた時に友達から電話がかかってきた。

「いとしちゃん!!!嫌だよ〜〜!!!!!」と泣いていた。驚いていると「気付いてあげられなくてごめんね、本当にごめんね」と言われ、いや、一緒に住んでいるわけではないから大丈夫だよ、ごめんね、泣かないでと話をしたが、ずっと泣いていた。しかし、病室が移動していたこともあり、電話はNGのためまた連絡するねと言って切った。

一泊だけの入院だったのもあり、あとは目眩と頭痛が落ち着くのを待つだけで、朝も昼もご飯を食べた。トイレに行く時だけは車椅子に乗らないと無理なくらい立てなかった。

母が昼頃に来て、一緒に帰り、窓ガラスがバキバキなのは仕方がないものの、吐瀉物はそこまでなかった。わざわざ掃除用具まで持って来てくれていた母にまた感謝をした。そして、夜までいてくれた。

親のありがたみ、良い人たちに囲まれた職場、心配してくれる友人たちに感謝をした日だった。

そして今日、こうしてパソコンの前にいる。いうなれば最初からその気はなくとも、私は自殺未遂をしたのだ。

今は元気である。生理で腹が痛いくらいには元気である。火災保険にも、ガラス修理屋にも不動産屋にも全てに電話をして今に至る。

どこかの誰かは言うだろう。「そんな少量でODだとは言わない」。

もうね、言いますけど、薬の用法用量を間違った飲み方をしたら全部ODなんですよ。パキれるだとか、多幸感がどうのとか、薬でやってはいけないんですよ。マウント取ることじゃないです。

私は本当に二度とやらない。電話に唯一出ることができたお姉ちゃん的存在の人に直接電話した時に言われた。

「無意識にでも『救急車を呼んでください』って言えたのは生きたい証拠なんだよ」

と。

死にたいと思っても怖くて何も出来ず情けない自分をいつも責めていた。でも、結局はこういう状況になった時、死にたくないと思う私がいたのだ。

迷惑をかけたくないから死んでしまえばいい、全員が敵に見える、言われる端々が私を責めているように聞こえる、認知が歪んでそう考えても、生きたいんだと思った。

「もうどうなってもいいや」と考えてしまうのはプライドを投げ捨てて書くと、金がないからだ。だから生きていても仕方ないとここ最近思考が歪んでいた。

こんなこと考えてたって金は増えないし、むしろ入院費や修理費でもっとなくなる。

これが私だ。ODをして死と生の狭間を経験して生存ルートを選んだ。

みんな、薬はちゃんと決められた量を飲もうな!!!腕は内出血で痛いし、体もバキバキで痛えぞ!!!
これぞ椎名さんとの約束だ!!!

ODするならO(穏やかに)D(抱きしめて)くれ!!まずは自分をな!!!


読んでくださりありがとうございました。
みなさんにも幸せが降り注ぎますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?