「AND JUST LIKE THAT…」と不明の変化
U-NEXT独占配信でセックスアンドシティの新章が現在2章まで出ている。賛否両論あるらしいが、私は特に何も思わず楽しんでいる。
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ネタバレ含みます。
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新章が始まって”チェ・ディアス”というノンバイナリーのスタンドアップコメディアンが出てくる。
ノンバイナリーは(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティである。
スタンドアップコメディアンということもあり、たくさんの人を笑顔にし、イベントでLGBTQ+について声を張り上げて場を盛り上げたりしている。
チェがステージで発した言葉で刺さったものがある。
本当の自分がいるはずなら、自分を「こういう人間だ」と固めずに殻を破っていけ。主に性に関してのことだが、考え方だって変えていこうとも言っていた。
ここでは性の話ではなく自身の考え方についての話をしたい。この言葉が何故刺さったのかって、私がそういう、”固めている人間”だからだ。
真面目で、人からの頼まれごとには必ず応対し、困っている人がいれば赤の他人であろうと助けようとする自分の行動は一言で言えば「頼りになる存在」のように見えていると思う。
蓋を開ければ完全態の善人なんかじゃない。心の中では「頼もしいと思われているから愚痴を言ってはいけない。というか、どうせ私の話すことなんて聞いてもらえない。聞いてもらえても軽く捉えられてしまうし、現に流されてきたことがあるし、そういう扱いをされる人間なんだ。」と捻くれて、固めてきた。
本当はわがままで、甘えたがりで、自己顕示欲が強く、話を聞いて「つらかったね、よく頑張っているよ」とこれでもかと思うほどに言ってほしい。
自分で自分のことを褒めても満足しない、強欲な人間なのだ。
以前、「あなたは”可哀想な私”が好きなんだと思う、だから(躁鬱を)抜け出せない」と言われたことがある。そう見られていると思っていなかった恥ずかしさとショックを受けた。
「私はそんな人間じゃない!!」と叫びたかった。
言葉をそのまま受け取ってしまったため、「”可哀想な私”が好きな私をプライドが邪魔をして受け入れられない」と後日、吐露してみた。すると微妙に解釈が違っていたらしく「自分が我慢すればいいやと思って自らそういった行動を取りがちであり、快感を得ている」という意味だった。
といってもあまり腑に落ちず、ハテナばかりが浮かんで頭がパンクした。理解が追いつかなかったことでますます自分に嫌気が差した。
あまり考えていなかったが、れっきとした善の気持ちで人の助けに入っても”私頑張ってますよ感”を見せつけて褒められたい欲を醸し出しているのかもしれなかったのか?と思った。
そうすると、こうして書いている最中も「色々と考えて成長しようとしているんですよ」と、同情を買おうとしている気がしてしまう。
昔から自己分析をして「こういう性格なんだ」と知り、ノートにみっちりまとめる癖はあれど、治すべき部分を忘れてしまい、ずるずると上澄みだけを啜って過ごしてきたんだろうと改めて実感した。この実感は過去に何度もしてきたはずなのに、結局忘れて甘い匂いの方へ向かってしまう。
”こういう人間だ”を曝け出してしまうのは、それが本当の私のはずなのに私でなくなる気がしてしまう。出し方の塩梅が分からない。我慢してでも人を助けることは感情よりも体が勝手に動く。でもこれが頑張っているよ、褒めてよと無意識に見返りを求めていたのか。自分が気持ち悪く感じる。
とはいえ、数十年生きてきて、今が一番自分と向き合っている気がする。過去の私はエベレスト級のプライドがあった。都合の悪いことからは逃げていた。
今はそんなことはなく、だからこそこうして自分の汚さを書けているんだとなんとなく思った。多分、人生の中で大きな変化を生み出そうとしている最中なんだろう。
もうこれ以上何を書けばいいのかすら分からなくなって手が止まりつつあるから終わりにする。支離滅裂な文章になっていると思うが今回ばかりは許して欲しい。
分からないことばかりだよ。人生。でも、混乱している方が良いのなら、まだこの迷宮に留まっていようかと思う。嫌だけど。
今回はここまで。
読んでくださりありがとうございました!
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