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人の痛みに寄り添いたい

母校の定期演奏会に行ってきた。高校の頃に楽器に全てを注いでいたと言っても過言ではない私は、もう面識もクソもない後輩たちの演奏で泣いてしまった。去年のクリスマスコンサートでも定期演奏会でも泣いている。歳をとるにつれてすぐ泣くようになった。

一緒に行ったのはいつも観に行かないかと誘ってくれるマリ。(過去の記事でも何回か登場しているので良かったら読んでみてください)開演前、思い出話に花を満開に咲かせ、そこで私と同じ楽器をやっていた男の同級生のことを思い出した。

数少ない吹奏楽部の男子生徒であった彼とは同じく初心者として頑張ってきたいわば戦友だ。パートリーダーになった時は一番協力をしてくれていた。

私たちの代のみで5年くらい前にやった飲み会以来会っていなかった。連絡も一度も取っていない。そこでLINEしてみようぜというノリになり、連絡してみた。

ちょうど演奏会の最後の部が始まる前くらいに返事が来て、これもまたノリで会うことにした。

合流した時、当時ガリガリに痩せていた彼の面影はなく、普通の体型になっていて最初誰なのかわからなかった。20キロほど太ったと言っていたが、身長が180あるため、特にデブった印象は持たなかった。顔は変わっていなくとも体型があまりにも別人になっていて、病気などで痩せていたわけでもなかったが、驚きすぎて「太れて良かったね」という謎の台詞を投げた。

三人で少し飲みながら話をして、男の同級生は何人かいるがインスタなどで繋がっていない子たちは今どうしているんだろうねとか、コンクール時期に彼を泣かせてしまったことがあり、その時の心理を聞いたりなどした。

その後、2時間制だった居酒屋を出たが、いきなり呼び出しておいてこれで解散するのは彼に悪いと思い、二次会をする流れになった。マリは帰らなくてはいけなかったため、二人でハシゴした。

そこでは同じパートならではの話をめちゃくちゃした。さらに、彼は就職して適応障害になって休職をした経験があり、精神疾患に関しても話した。躁鬱とは違っても似たような症状が出るため、共感し合った。

お互い周りにこういった人がいないため話すことが出来ず溜め込んでいた部分も同じだった。過去のことをつらつら吐露していると、何度も顔を手で覆い、なんとなく泣きそうな顔をしていた。

「何度も言ってしつこいかもしれないけど、生きててくれて本当に良かった。連絡をとっていなくてもいなくなったら悲しむ人はいるよ」

と、当時から優しさの塊だった彼は大人になっても変わっていないなと思った。「生まれてきてくれてありがとう」並みに嬉しい言葉かもしれない。

さらに、どんな流れだったかは覚えていないが「椎名は人の痛みに寄り添えるよね」とも言われ、前にも友人に同じことを言われたのを思い出した。

意識もしていなければ身を削って優しくしているわけではない。話を聞きたいから聞いて自分の考えていることを言っているだけだし、助けたいから助けている。

最近、自分が納得したやり方でやれば見返りは求めなくなると先輩に教わった。”やらなくてもいいのに、やりたくないのにやっている”で行動するとそれ相応の感謝をしてくれと考えてしまうものだ。

これはプライベートでも仕事でもそう。寄り添えるよねと言われる私でも上記のような場面が全くないといえば嘘になる。そうすると見返り求めだけでなく無駄な疲れが出る。

だから”やりたいからやっている、やらなくていいことはやらない”を意識するようになった。プライベートだったら連絡したい人にはどう思われてても連絡する、仕事では余計なことはしないとか。

要は、自分がやりたいと納得した上でやるのだから見返りを求めるのはお門違いだってことと、やらなくてもいいことをやってしまい自分で自分の首を絞めるのはやめましょうってこと。あとは人間いつ死ぬか分からないから労力をやりたいことに注ぎたい。

様々な場面でお世辞などの仕方ない気遣いは必要であっても、基本的に寄り添いたい。それが伝わっているのは嬉しいことだ。もう身を犠牲にしたくないので今後も納得した行動をしていきたい。

そして、noteも記事によって文章の作り方がバラバラだとしてもその時の自分が書きたい文章で書く。
ちなみにnoteを始めてから一周年らしい。早いね。これからも思考のアウトプットしていくぜ!

読んでくださりありがとうございました。
また来週!

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